« 「標的の村」上映会 | トップページ | JR三江線…ついに廃止へ »

泉佐野市議 こくが祥司氏が亡くなった…

 毎日jp 訃報 国賀祥司さん 64歳=泉佐野市議/大阪
 国賀祥司さん 64歳(こくが・よしじ=泉佐野市議)23日、食道がんのため死去。通夜は25日午後7時、告別式は26日午後0時半、同市上町3の3の18の泉光殿・泉佐野パレード。自宅は同市長滝3262の15。喪主は妻綾子(あやこ)さん。1986年の市議選で初当選し、現在8期目だった。

 国賀さんは私が大学時代、泉佐野市で「関西新空港建設絶対反対!」を訴え、見事当選した中核派系の議員さんである。彼が当選した時、大学の教室に置かれていた置きビラは、いつものと違って「です、ます」調…表題も柔らかく、まるで民青同盟のビラかと思うほどであった。
 その選挙の際、選対で泉佐野市に居住していた活動家に対し「居住実態が無いにもかかわらず住民票を移し、不正選挙を行った」と大阪府警がでっち上げ逮捕を行った。あげくの果てに、その「証拠探し」と称して、国賀氏に投票された投票用紙を全て押収し、指紋採取までしようとした…この弾圧に対しては当然、怒りのビラがたたきつけられた。当時(今もか?)大阪府警は不祥事が相次いでいたため、「大阪府警は、真っ黒け!」というフレーズが書かれていた。

 その後も泉佐野では国賀議員と「泉州住民の会」がともに関西新空港反対闘争を粘り強く続けていった。と同時に、地元泉佐野の問題にも積極的に関わる「革命的議員」の一人であった。その証拠にこれまで一度も落選せず、8期目を迎えたところである。何年か前は空港依存で破綻した泉佐野市が「ゴミ収集有料化」を打ち出し、それに反対して勝利した。

 私が三里塚に再び「あるみさんズ」を持って行き出した頃、「三里塚勝手連」の方といっしょに気さくに話をしたことがある。ただ、「あるみさん」とは何ぞやと説明するため出した「鉄道むすめ」カードを、名刺と間違えて持って行かれたことがある(古いこのブログ記事にあるハズだ)…遺品を整理していたら、出て来るカモ知れない。

 革共同分裂時には、議員のほとんどは選挙対策もあって、中央派に行った。だからその後は三里塚でも離れた所で坐っているため、言葉を交わしたことはない。ただ、いつも畑の集会場でビシッとスーツを着て立っているのが印象的だった…

 議員であっても、すごく腰が低く、丁寧な人であったと聞く。

 それにしても食道がんで64歳の死は、やはり早すぎる…と、いうか、新左翼業界ではちゃんと闘っている人は「早死」して、幹部として責任ある地位にあるのに何も出来ない?ヤツが「長生き」したりしている…敵側も、国鉄分割民営化を強行し、三里塚二期工事や関西新空港建設に着手した中曽根康弘なんかは、まだ生きている…こりゃ~安部晋三も「長生き」するかもしれない(森喜朗という「老害」を得に書いたようなヤツも長生きしてるわな)…

 現在の立ち位置は違うものの、ご冥福をお祈りします。

|

« 「標的の村」上映会 | トップページ | JR三江線…ついに廃止へ »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 泉佐野市議 こくが祥司氏が亡くなった…:

« 「標的の村」上映会 | トップページ | JR三江線…ついに廃止へ »