「朝鮮戦争」が全ての始まり…
さて、矢部宏冶氏の本の続きである…なぜかマッカーサーもダレスも「そんな可能性は無い」と信じて疑わなかった「北朝鮮の南進」が、1950年6月25日に始まった。朝鮮戦争である。北朝鮮軍はソ連から戦車を供与されていたが、韓国軍は米国から戦車すら供与されておらず(山岳地の多い朝鮮半島では、戦車は有効に使えないと判断していたらしい)、加えて北朝鮮側の準備の周到さと引き換え、韓国側はほとんど「防御準備」をしていなかったことから、あっという前に北朝鮮軍に蹴散らされ、「釜山橋頭保」と呼ばれるところまで追いつめられる。7月7日、3度目の国連安全保障理事会決議により「国連軍」が結成され、北朝鮮軍と戦闘を行うことになる。(もちろん韓国を「軍事占領」していた連合国軍は韓国軍とともに参戦していたし、日本占領中の米軍も国連軍結成前に韓国に派兵されている。
しかし、前にも書いたように「国連軍構想」は米ソの思惑の違いから、頓挫していた。従ってこの時結成された「国連軍」は厳密な意味で「国連軍」とは言わない…研究者の中にはこの特別な国連軍を「朝鮮国連軍」と呼び、矢部氏の著書でも「朝鮮国連軍」という言葉が使われている。そして、この「朝鮮国連軍」は「国連旗」の使用が認められるとともに、指揮権は米軍がもつことになった。ここに日本を占領していた米軍は単なる「占領軍」ではなく「朝鮮国連軍」というものになったのだ。
ここで前に書いたように、憲法9条2項により「非武装」化された日本は「国連(軍)」によって安全保障を担保することになっている。だから「朝鮮国連軍」には最大の協力をしなければならない…ここが矢部氏の指摘しているA:「史上最大の軍事力をもち、世界中に出撃して違法な先制攻撃をくり返す在日米軍」B:「いっさいの軍事力をもたないことを定めた日本国憲法9条2項」の共存という「ねじれ」の始まりとなる。
当然、ここで米国防総省の対日政策…「政治と経済については日本とのあいだに『正常化協定』を結ぶが、軍事面では占領体制をそのまま継続する」(バターワース極東担当国務次官補からアチソン国務長官宛の報告書/1950年1月18日)(p152)にアメリカ側は舵をきることになる。対日講和を進めるためにやってきたダレスも当然、そのように動く…要は日本独立後も、米軍は日本のどこにでも自由に基地を配備(配備とは当然、軍事的整合性をもつものとして行われる)するとともに、将来日本が再軍備した場合の「指揮権」は米軍がもったままにする…という構造で、対日講和を進めるという路線である。
しかし日本が独立した後も、外国の軍隊が駐留するということは、「ポツダム宣言」の「占領の目的が達成されたら、占領軍はただちに日本から撤退する」という項目に違反する。マッカーサーはあくまで「ポツダム宣言」に基づいて日本の占領政策を行っていたのであるが、独立後の日本にどうしたら米軍を残すことが出来るか、悩んでいたらしい…そこに知恵を与えたのがダレスである…国連憲章43条と106条を使うということである。43条は国連加盟国(日本は当時、国連には加盟していないが)と国連安保理が「国連軍」への兵力供出のための協定を結ぶ(この「協定」が完成しなかったから、正式な国連軍は今のところ存在しない)ことである。ではどのようなロジックをダレスは使ったのか?
「ところが現在、43条でさだめられた『特別協定』は実現しておりません。その場合、わが国をふくむ安全保障常任理事国・五ヵ国には、国連憲章106条によって『特別協定が効力を生じるまでのあいだ』にかぎり、『国際平和と安全のために必要な行動』を『国連に代わってとる』ことが認められております。」「日本は自国の国連加盟が実現し、くわえて43条の効力が発生するまでのあいだ、ポツダム宣言署名国〔=連合国〕を代表するアメリカとのあいだに『特別協定』に相当する協定をむすび、アメリカに軍事基地を提供する。国連軍構想が実際に動きだせば、それらの基地は国連軍の基地となる」(p166)というものである。
すなわち「日本が『国連軍のようなアメリカ』とのあいだに特別協定のような二ヵ国協定〔旧安保条約〕をむすんで『国連軍基地のような米軍基地』を提供することにすればいい。それは国際法の上では合法です。」(p167)ということなのである。
ということで、砂川判決第一審で示された「米軍の駐留は違憲」ということもクリアされてしまう。極端な話、日本国憲法施政下の日本にいる「国連軍」は「国連憲章」に定められた特別協定により駐留しているのであり、極端な話、その「国連軍」が「世界の平和と安定のために」核を使用したとしても、憲法9条を破ることにはならない…という理屈が成り立つ。もちろん砂川判決第一審の判断は、その理屈を根底からひっくり返すことになるため、判決の出た1959年3月30日以降、アメリカ側の政治工作が始まり、同年12月16日、計画通り最高裁で一審判決を破棄させるに成功した。なおこの時「国家の存立にかかわるような高度な政治性をもつ問題については、裁判所は憲法判断ができない」という、悪名高き「統治行為論」が判例として確立する。これによって「以後、日本政府がいくら重大な違憲行為をおこなっても、国民が裁判によってそれをストップさせることが不可能となり、日本国憲法は事実上、その機能を停止してしまうことになったのです。」(p175)
1953年に朝鮮戦争は「休戦」という形で終了するが、当然「戦争状態」は続いており「朝鮮国連軍」もまだ存在する…しかし在日米軍全てが「朝鮮国連軍」でないことは、彼らがベトナム戦争への軍事介入や、湾岸戦争、果てはアフガン戦争、イラク戦争に「参戦」したことからも明らかである。この構造を矢部氏と親しいあるTVディレクターは「米軍=国連軍」と思っていたのが、実は「米軍≠国連軍」だったわけですね…と表現しており、本書でも多用されている。
さて日本の「反戦・平和」勢力は、自衛隊という軍隊が出来き「再軍備」が完成したにもかかわらず、憲法9条を盾に、上記の「アメリカの戦争」への直接参加を拒否することに「成功」していた…しかし小泉政権の時、アフガン戦争では「インド洋での洋上給油」、イラク戦争では「サマワにおける復興支援」として、事実上参戦している(実は「朝鮮戦争」でも「海上保安庁による機雷掃海」という形で、事実上参戦しており、「戦死者」も出している)…ただしこれらはいちいち国会で自衛隊派兵のための「特別措置法」を作り、無理くりやってきたものだ…2015年9月19日に成立した「安保関連法」では、そのような面倒な手続きが無く、自衛隊が「米軍の指揮下」で参戦できるような仕組みを完成させた…ということになるわけである。
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