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表現・結社の自由についての補足

 エントリー表現の自由規制は「当然」という自民党 についたコメントについて、原則確認と補足説明…こっちも書き足らんかったところもあるので…
 民主主義社会においては、思想・信条の自由がはっきり謳われており、それを保障する意味で表現の自由、結社の自由がある。どのような「思想・信条」を持つことも自由であるが、それを表明すること、あるいは同じ思想・信条を持つものを集める、あるいはそれを広める自由が担保されていないと、意味がないからだ…すなわち「心の中で思っている」だけなら当然、国家権力の干渉もうけず「自由」に思うことが出来るが、それを自由に表明する、あるいは共感する人を集める等できなければ、意味はない。
 そこであらゆる思想・信条について無条件に「表現の自由」「結社の自由」が認められる。宗教的なものであれば「信仰の自由」「宗教の自由」が認められ、およそどのような宗教団体…それがいかなる「邪教」であっても…の存在も認められる。

 では、オウム真理教のような殺人を肯定するような「反社会的」宗教は、どうなのか?(およそどのような思想・信条あるいは宗教でも、それをつきつめていけば「不寛容」にゆきつくので、絶対に「反社会的にならない」という保障はない)が、それらを表現や結社の段階で規制することはできない。
 「表現」行為…様々な活動の中で、刑法等に違反する行為があると認められた際に、刑法犯として「規制」されるだけなのである…そして現代社会において、おおむねその刑法の抑止効果で、違法行為を根絶する…という規制方法をとるしかないし、そうすべきである。

 私がコメント欄で「あくまでも民衆の力で反撃することが大切」と書いたが、これはこの刑法による抑止があった上でという前提をぶっ飛ばして書いているので、「民衆が、警察や裁判所を、すっ飛ばして犯罪者集団と、対決しなきゃいけないの?」というコメントがでてくるのも、無理はなかった…実は警察や裁判所は、刑法による抑止の観点で「活躍」するという前提は私も持っている。

 その上で、現在の日本では「政治警察」…ナチスのゲシュタポや旧ソ連のKGBみたいなもの…は存在しない「ハズ」なのだが、実際は「警備・公安警察」というものがあって、彼らが「共産主義運動」をはじめ、反戦運動や労働運動、さらには市民運動まで監視し、ささいなことでデッチあげ逮捕等を行って「弾圧」をしている…表現の自由や結社の自由を抑圧しているわけだ。ちなみに90年代新左翼も力を失って「おとなしく」なったため、警備・公安警察の「仕事」が無くなると思われていた時に、都合よくオウム真理教が「反社会的集団」として立ち現れてきたので、政治警察の生き残りが計られたという面もある。
 で、この警備・公安部門ってのが、警察社会では力を持っている…警察の中でより多く予算を多く分捕り、人員もそれなりに配置され、出世もするらしい。しかし一般民衆からみれば、刑法犯を直接取り締まったり、身近に困っている事象にすぐ対応してもらうほうが有り難いハズだ…警備・公安部門なぞ一般民衆に直接関係ないところで予算を使い、市民を監視(それこそ盗聴だとか、尾行…ストーカー行為である、その他郵便物の抜き取り、盗撮など、ありとあらゆる「犯罪行為」を日常的に行っている)している。そんなところに予算や人員を配置するより、身近なところに予算と人員を配置するべきである。「政治警察」なんかいらないのだ。
 
 まわりくどくなったが、その前提の上で「民衆の力で反撃」というものを位置づけている…ま、この言葉もちょっと激しいのでもう少しかみ砕いた話をすると、「言論の自由」が担保された社会空間の中で、批判・論評を通して「反社会勢力」を包囲してゆくという、ある意味ありふれたオーソドックスな方法を取ろうということである。
 オウム真理教のような「反社会的」結社についても、何が「反社会的」であるかは個人個人が判断することであり(その判断のために、「言論の自由」は担保されなければならない)、その上でなおかつ「反社会的」結社に参加する人がいたとしても、それを「国家」が規制することは出来ない…刑法の「抑止効果」に期待するしかない。

 もっとも民主主義社会の中、たとえばドイツなんかではナチス賛美、ヒトラー賛美は許されておらず、言論・結社の自由は制限されている。この事例は唯一例外だろう。米国では「国旗を焼く」行為が、多くの人々を不快にすることは認めながらも、表現の自由として認められている。
 一方欧米を中心に「対テロ戦争」を口実として、いわゆる「アルカイダ」や「IS」につながるありとあらゆるものを「取り締まろう」という動きが加速し、「政治警察」的な動きが強まっていることも事実である。2001年以降、様々な例外規定を設けて「言論の自由」「結社の自由」「信仰の自由」を規制し、人々を監視する法体系が作られている。

 ナチスだけ、あるいはオウム真理教だけ…という「規制」ならば簡単かも知れないが、こういった規制は必ず拡大解釈を生む。治安維持法が「国体の変革および私有財産の廃止」すなわち「反天皇制」と「共産主義」思想だけをターゲットにしていたにもかかわらず、最終的には自由主義的な、あるいは反戦的な思想、信条を弾圧することに使われ、日本社会を壊滅の道に導いた歴史を忘れてはならない。

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コメント

言論活動や話し合いで、結社の拡大を図る所までは、民の理解の範疇にあると考えます。
しかし、暴力や殺人やテロ活動を行うことで、目的を達成しようとする団体の活動を規制することは、必要なことと考えます。
他人に害を為す行為を、認め放置することは、「公共の福祉」に反する行為で、「言論や表現の自由」は、暴力や殺人を認める権利では無いのだから、
当然、害をなす行いを広める言論や表現は、認められないし規制する、という結論になると思うのだが?


そもそも、カルトや聞く耳を持たない団体に対して、大衆の言論活動には強制力が無いから、行動を抑止することは出来ないし、教化し導く対象者扱いの大衆の言うことを、素直に受け入れる訳がないのではないか?

投稿: 素朴な疑問 | 2016年12月 3日 (土) 10時13分

>害をなす行いを広める言論や表現は、認められないし規制する。
その「害をなす」という基準を決めるのを「国家権力」にゆだねてしまうようなことは、民主主義社会ではやってはイケナイことなのです…原理論としてこうなっている。
「憲法」(改憲後に)でそれをやって良いのだ…と書き込むのが「自民党改憲草案」なのです…で、理由づけとして「オウム」を持ち出している…そうすると「素朴な疑問」さんのような方が「賛成やむを得ない」としてくれる…
 こうやって「改憲」したら、しめたもの…後は「拡大解釈」で「政府に反対する」意見を「害をなす行い」として認定すればよい…こういったことを防ぐために、あらゆる「言論の自由」(結社の自由等)は、認められないといけないわけです。規制できる文言を、憲法に書いてはいけない。
 「犯罪集団」を規制するためには、刑法の枠内で行うしかないし、またそれで出来ないこともないでしょう。

 これ以上はおそらく「平行線」をたどると思いますので…では。


投稿: あるみさん | 2016年12月 5日 (月) 16時55分

「素朴な疑問」でしかないので、
返答いただけるだけで、ありがたいことです、
多様な意見を、表明することで、民衆の賛同者を、増やす活動ができる社会は、良いものですね、
当然その中には、間違いや、犯罪に係る事なども含まれているでしょうから、
民衆が検討して、判断できるように、色々な情報を提供する事が、必要なのだなあと思いました。

投稿: 素朴な疑問 | 2016年12月 6日 (火) 11時51分

害をなす行為をやる予定なので
取り締まる法律を作らないで下さいと言う意味だから

会話が成立するわけがない

あるみさんも本質を突かれたくないから
平行線をたどると幕引きをしている

信念をもって暴力革命を目指している人達に
民衆の常識を振りかざす愚を犯してはいけない

投稿: まとめちゃん | 2016年12月 8日 (木) 04時14分

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