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三里塚闘争50年にさいして 2・12集会

 昨日は国策とたたかう農民・農地を守ろう!アベ政治を許さない!三里塚闘争50年にさいして 2・12集会に参加してきた。
 案内時には詳しく伝えなかったのであるが、本集会は「3・8分裂」後、初めて「北原派、熱田派」の隔たりなく呼びかけられた集会である…とのことである。
港区民センターの会場に行ったら、もう始まっていて、主催者あいさつで山元一英さん(全港湾関西地方大阪支部顧問)であった。
 その次に労働組合挨拶ということで、全日建運輸連隊近畿地方本部書記長 西山直洋さんが話された。
 動労千葉のジェット燃料阻止闘争を引き合いにだした上で、現代の三里塚闘争で労働組合としての戦線の広がりのなさを指摘された後、「戦争法反対」のストライキが出来る組合がどれだけあるのか?政治的なたたかいが出来る労働組合運動をつくる、出来る労組から進めていくことを提起された。
 農業ジャーナリストの大野和興さんの提起…反グローバリゼーション運動の流れが、排外主義とナショナリズムに結びついている。これらは人権と民主主義を無視する。
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 一方、現在、農民、漁民、山の民がいちばん収奪されている。モザンビークでの農業大開発でも、日本のODAや商社が進めている。新しい収奪が始まっている。
 三里塚の50年は、自律した自分達の経済を創造してゆく闘いであると述べられた。

 ここから置賜自給圏推進機構常務理事の、菅野芳秀さんの講演「農民の自律と地域の自立―置賜自給圏づくりに至る一百姓の思いと行動―である。(置賜とは、山形県の米沢盆地周辺地域のこと)
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 菅野さんは1949年山形県生まれ。始めは地域から「逃げ出したい」と思っていた。三里塚に行って、自分もまた「農民」であることに気が付く…21才の時三里塚で逮捕され、31才まで裁判闘争を闘ってきたとのこと。山形に帰ったら、警察が監視してくる…パトカーの停まる家から「地域計画」を始めたのだそうな。
 街から出る生ゴミを堆肥にして、農村に循環させる…街が村の堆肥をつくり、村が街の食糧をつくる「レインボープラン」という取り組みをしている。
 「レインボープラン」を実行するには、市民、業者、農民、農協、商工会といった既存の組織、人々を動かさないといけない…しかし「パトカーが留まる家」である…考えて、女性団体へ話をしに行った。自分達の課題としてとらえ、いろいろとつないでくれたおかげで、「レインボープラン」が動き出したということである。
 反対するだけでなく、どっゆう枠組みが私たちに求められているか提案、実行することが大切であると説かれた。このあたりは、「熱田派」と呼ばれる人たちが分裂当初から言っていたことと重なるところがあるようだ。

講演が終わって、休憩…三里塚の作物や、福島のコメなんかが売られている。
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3時過ぎから、集会も後半へ…川口真由美さんの歌と語り…
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 彼女は沖縄・辺野古にはもう何回も行っている…「座り込め」や「今こそ立ち上がろう」なんかを、みんなで歌ったのである。
 続いて、三里塚現地から、市東孝雄さん、萩原富夫さん、そして「市東さんの農地取り上げに反対する会」の山口千春さんの3名が檀上に上がる。
 まず市東さんから、いま抱えている裁判闘争も含め、農地取り上げ攻撃といかに闘っているか?ということの報告があった。その上で映画「標的の村」を観てきた、国家権力の住民無視のやり方は、沖縄・福島・三里塚と根っこは一つ…たたかわなくてはならないと述べられた。
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 つづいて萩原富夫さん…市東さんのたたかいは農民として普遍的なたたかいであるが、どうやってたたかうか?三里塚闘争を闘った人、やめた人、土地を売った人、今も闘っている人…すべてが三里塚闘争である。いろいろ批判する人もいるが、今まで闘ってこれた人は、家庭の事情や家族の支えがあったから闘ってこれた(だからそういった条件が少し違うことで、たたかいを断念せざるを得ない人も多いということである)。自分もこれまで「北原派の運動しか見て来なかったが、これではダメだ…熱田派、北原派、他の人、それが何なんだ?と…垣根をとっぱらって、50周年を去年の7月にやろうとして…失敗しました…とのこと。「柳川さんとも会ってきたし、熱田派の集会にも参加してきました」と報告された。「いっしょにやる話」は柳川さんからも「まぁ別々にやろう」と言われ、7月の集会は「反対同盟(北原派)主催でないとダメ」と言われたのだとか…まぁかなり「突っ込んだ」話をされた。
萩原さんのこういった「突っ込んだ話」は、これまでも三里塚現地闘争の中で展開されており、最大支援党派の中核派(革共同中央派)にとっては、耳の痛いところもあるのではないだろうか
 終わりのほうで萩原さんは(三里塚闘争は)農民である自分達以外、変えることが出来ないというようなことを述べられた。
 次は山口さん…今檀上にいる人は。3・8分裂の時、闘争現場にいなかった、今、三里塚は新しい世代にはいっている。そのたたかいの原点に戻って、一人の個人として、怒りを個人に帰ってたたかおうと呼びかけられた。そして裁判官の移動を例にとり、三里塚と沖縄は1つであると、国側も考えていると述べた。最後に「農地を守る会」の会員になって、裁判を支えて下さいと呼びかけた。

 次は沖縄の現地から、安次富浩さん(市東さんの農地を守る沖縄の会)と、平石澄子さん(辺野古の海に基地をつくらせない神戸行動)
 安次富さんは先週の「辺野古着工」報道を取り上げ、報道からは現地の細かい情報は入らない。年が明けてから現地は闘いの連続…こんなことであきらめない、現場のたたかいを放棄することはないと明言された。決してあきらめない、くじけない、したたかにしなやかに非暴力抵抗運動を続けていく…と。
 そして沖縄では大同団結している。三里塚も、なぜ大同団結ができないのか?もう一度原点に戻って、国策…民衆を騙す…に負けない闘いをやろう。アベ政治は沖縄だけでは倒せないと述べられた。
 平石さんは、まだ活動を始めて3年しか経っていない…無関心な多くの人達は、昨日までの私であり、関心を持つきっかけは人それぞれ…私たちはそのために、ずっと伝えないといけないのだろうと述べられた。

 続いて福島現地からの報告…葛尾村議でコメ農家の、松本操さんから。
 三里塚との交流の始まりは、ジャガイモを掘るツアーに参加したこと…土が素晴らしい。福島では除染のため、農地として一番いい5~10㎝の表土をはいでしまった。10~15年、土をつくるのに時間がかかる。
 コメ作りをあきらめるわけにはいかないが、村には私より若い人がいない。41世帯、事故前の8%ぐらいしか戻ってきていない。事故が収束するのに30年、40年かかるか分からない…汚染水の処分場も無い、原発は絶対反対だと訴えられた。
 最後に原子爆弾被害者証言者の米澤鐡志さんが、閉会のあいさつ…ヒロシマ、ナガサキ、オキナワ、フクシマは一体のもの、三里塚闘争にも参加してきた。セクト主義を批判する…というような内容であった。
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終了は4時半ごろ…報告した以上に「中身の濃い」集会であったと思う。

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