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「成長の質を変える」ことと「平等に貧しくなる」ことは違う

 2月11日に中日新聞の記事に乗せられた社会学者、上野千鶴子氏の論考(この国のかたち 3人の論者に聞く の2つ目)が波紋を呼んでいる。論考としては、少子高齢化が進む中、日本の排外主義的な体質が変わらないものとして、移民の導入を諦め、「みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい。国民負担率を増やし、再分配機能を強化する。つまり社会民主主義的な方向です。」とのたまった。
 日本の排外主義的な体質を不変のものと、社会学者の上野氏が断じてしまうことはいかがなものかとも思うし、社会民主主義が「再配分機能の強化」であることも半分正しいのではあるが、「平等に貧しく」とは、なんだかなぁ~とも思う…

 かつて「脱成長」ということが言われていた。70年代から始まった反公害、反原発等の運動が提起してきたもの…経済成長一辺倒の社会はオカシイsign01というところから始まり、左翼の中からは「スターリン主義」、社会が、これまた重工業を中心とした「経済成長」をスローガンに、自由や人権を抑圧するとともに環境破壊を続けてきたことへのアンチとして、80年代ぐらいには盛んに言われていたものである。反公害から、環境運動と続いてきた潮流(緑)と、左翼(赤)の中から既存の「社会主義」にある経済成長一辺倒路線を批判する部分が、いろいろ出し合ってきた…そうした中から、資本主義社会を撃つ「別の思想・潮流」が生まれてきたのである。これは現在にも「脱原発運動」の中に流れ込んでいる。
 基本的には「社会のあり方を変えて、成長の質(中身)を変えよう」ということである…例えば原子力を使って電力を作るのでは無く、自然エネルギーを使おう…ということだ。(ただし私は別の意味で自然エネルギーには反対である…分かりやすい例示として挙げている)原子力をガンガン使うシステムで「成長」するモデルがこれまで評価されていた。その指標でみると、自然エネルギーを使った場合のモデルでは成長が「緩やかに」あるいは「減少」して見える。しかしそれでも社会は運営され得るのだsign01ということだ。(ただし「自然エネルギー」に関して、今の脱原発主流は「自然エネルギーのほうが雇用も増え、経済成長する」というロジックを使っている)
 さて、少子高齢化でかつ「移民」を導入せず人口が減少する社会モデルを考えるにあたって、「社会の組みなおし」が必要になる。なぜならこれまでの社会は人口が右肩上がりであることを前提に組まれていたからだ。社会を組みなおすにあたっては、当然「リストラ」される産業・部門も出て来る…住宅建設なんか、そのいい事例だ。新規の住宅はもうガンガン建つことはなく、これまであるものをリフォーム・リユースしてゆくことが求められる。あるいはぶっ壊して「更地」にする需要だってあるだろう。こういった産業の「組みなおし」の中で「成長の質」は変わる…それだけだ。組みなおしをやっている段階で、かなり資源や労働力を使うことになるので、成長はそれなりに起こる…実は「脱成長」もそうゆうことである。産業・経済構造を変える中で、成長は起こるから、「脱成長」をやる=「衰退」し、「平等に貧しくなる」ということではない。
 とはいえ現在、「脱成長」=「衰退」…ゼロもしくはマイナス成長…と考えられていることも事実だろう…たとえば上野氏に対するトータルの批判としてまとまっている、脱成長派は優し気な仮面を被ったトランピアンである の「脱成長派」の使い方はそうである。

ま、もともとの「脱成長」とは「成長の質を変える」ということだったのだ…ということが言いたかった。

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