独占資本と不可分の天皇制
FOR BEGINNERS 天皇制 p152~153 なお、80年代の本なので、ここに出て来る皇太子とは現天皇のこと。結婚とは1959年、当時の皇太子と正田美智子との結婚のこと…
松下圭一は「大衆天皇制論」で戦後の大衆社会化状況の中で、天皇が戦前とは違った形で、国民的親愛の対象となったことを指摘した。だが、松下はこのとき同時に、「今度の結婚の意味するものは、日本の独占資本が政治的支配層として成熟したことであり、天皇制は独占資本の支配を政治的に粉飾する芝居として機能する」
「田中耕太郎氏は皇太子ないし皇室は『国民のもの』となったとのべた。このことは『国民』の名において支配する独占資本のものに皇室が転化したという意味において正しい」とも書いていたのである。
このような、マイホーム主義のシンボルとでもいうべき天皇―井上清のいう「新天皇制」―が社会的に定着したとき、天皇は、独占資本のものになったのである。
くりかえし、のべたように、1970年代以降、天皇をめぐる情勢は変化した。80年代にはさらに変化した。だが、天皇が、独占資本が阻害する客体で、主体は独占=国家独占であるという関係は、1959年以来変わっていない。ただ、政治が、その主・客関係に大衆をまき込む、まき込み方と大衆のまき込まれ方が、急速に変わっているにすぎない。このことから我々は、安部博純が記しているように、次のような教訓を得る。
「……まずいえることは、天皇制が独占資本と不可分となり、独占資本主義体制の象徴となったということである。そして、ここからひき出せる結論は、天皇制廃止がもはや独立の戦術目標とはなりえないということであろう」
天皇制廃止の問題は、君主制か共和制かの問題ではなく、独占資本の支配か、それからの解放か、の問題にほかならない。つまりそれは、国家廃絶の問題である。そしてそのためには、国家とは何か、どのようにして国家は階級独裁の手段でありながら、手段であることをこえたかのようなすがたをとるのかという観点から現代天皇制国家のしくみの解読が必要となるであろう。
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