レジスタンスの中にコミュニズムは存在するか?
2月下旬に「展望 19号」 が発行された。その中に「革命的共産主義者同盟関西地方委員会」名で、「未来へのレジスタンス ~時代の転換期といかに闘うか~」という論文が掲載されている。
一方、この論文に対し、「資本論の終わり論2」ブログに「未来へのレジスタンス」について と題した批判が上げられている。書き出しだけ引用すると…
革共同再建協の機関誌『展望』19号(17.2発行)に 関西地方委員会名の「未来へのレジスタンス」なる文章が掲載されています。この文章は 編集後記には「関西総会への地方委員会からの報告」と記されています。総会でも、また事前の(案)段階でも この報告に対する反対意見が次々と表明されました。この報告(の内容)は 総会では採決されていないので、個人の見解に過ぎず 個人名で掲載すべきものだと思います。その上で討論の素材としてこの報告を載せるのであれば 当然反対意見を併せて載せるべきです。一個人の見解をいかにも党の見解であるかのように押し出すやり方は 中央派(清水・安田派)と同じではないかと思います。
私は 事前の(案)段階で「報告はプロレタリア革命を否定するものであり 同志が今も革命の実現を願っているというのであれば 自ら撤回すべきものである」と意見書を提出しました。報告が公表されたので 誤りを明らかにしたいと思います。(以下略)
ということである。
要するに、党の見解を表す論文なのに、「プロレタリア革命」が全く提起されていない…(党内で採決もされていないのに)革共同はいつから「レジスタンス政党」になったのか?ということである。
批判文をふまえて、あらためて「未来へのレジスタンス」を読んでみる…なるほど、「当面の任務」的に言えば、こんなモンだろうな…という感じであった。ただ、「党内(総会)での採決」云々の手続きに関しては、私は知らないので何も言えない。
あえて書くならば、p37の下の方に、こんな記述がある
現代のマルクス派は、沖縄や福島、そして世界の反グローバリズム運動が未来のためのレジスタンスであり、その中にコミュニズムが息づいていることを見て取らなければならない。
「レジスタンス」の中に「コミュニズム」を見る…レジスタンスとは、グローバリズム・資本の攻撃に対しての抵抗であり、それを「党」が主体的に担っていこうとする態度は正しい…しかし、抵抗はあくまでも「抵抗」に過ぎず、そこに「コミュニズム」が必ずあるというものではないだろう。
「未来へのレジスタンス」の中でも(4)ナショナリズムを越えるに展開されているように、反グローバリズムの「レジスタンス」の中には、「トランプ現象」に見られるよう、民族排外主義や人種主義、偏狭かつ好戦的な愛国主義にまみれているものもある…これらは「コミュニズム=共産主義」には相いれないものである。
「共産主義者の党」が「資本主義の暴虐」に対するレジスタンスに参加する時、そこに「コミュニズム」の論理や作風を持ち込み、提起しながらレジスタンスしなければいけないのではないだろうか?
もちろん「コミュニズム」とは、労働者・人民の「自主的・自発的」な運動に基づくものであるし、そうでなければならない。自主的・自発的なレジスタンスの中に「コミュニズム」の萌芽を見つけ、それを発展させていくことも大切だろう…ただ、「萌芽」を見つけ発展させてゆくためには、党の人間が「コミュニズムとは何か」と、ある程度知っておかねばならない。(ここで「完全に」とか「良く知って」とか書かなかったのは、「完全なコミュニズム」とは永遠に未完成なものであると私が考えているからである)
「コミュニズムが息づいていることを見て取」るためには、どうすればいいか?考えていかねばならない。
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コメント
私には「頑張って下さい」としか言えない
趣味活動の中に飛翔は存在するか?
「羽ばたいて飛ぶ人の会」が「日常の仕事」に対する趣味の活動に参加する時、
そこに「飛翔」の論理や作風を持ち込み、
提起しながら趣味の活動しなければいけないのではないだろうか?
もちろん「飛翔」とは、
労働者・人民の「自主的・自発的」な運動に基づくものであるし、
そうでなければならない。
自主的・自発的な趣味の活動の中に「飛翔」の萌芽を見つけ、
それを発展させていくことも大切だろう…ただ、「萌芽」を見つけ発展させてゆくためには、
会の人間が「飛翔とは何か」と、ある程度知っておかねばならない。
(ここで「完全に」とか「良く知って」とか書かなかったのは、
「完全な飛翔」とは永遠に未完成なものであると私が考えているからである)
「飛翔が息づいていることを見て取」るためには、どうすればいいか?考えていかねばならない。
投稿: まとめちゃん | 2017年3月25日 (土) 16時37分