天皇制…和の原理の凶暴性
FOR BIGINNERS 天皇制「人間関係のカルチュア 内なる天皇制」より…p118~
天皇制と賤民性は、歴史的起源においてだけでなく、今日の社会の差別意識の根においても、なお不可分なものとして存在しつつけている。それは天皇制が差別が無くては存続しえないシステムであるということにほかならない。古代天皇制は、他部族を征服するに当たって、つねに異分子を、差別を前提として、共同体の内部に位置づけるというやり方をくりかえしてきた。出雲族の国ゆずりの説話における扱いなどは、異分子が差別をみとめて同族となるパターンの典型であろう。(中略)
このような流儀は、近代天皇制下までひきつがれてきた。アイヌに対し、琉球に対し、台湾、朝鮮、中国東北部住民に対して、日本国家は、その流儀を押し通し、さらに、1941~42年には、東南アジアの、各地域住民に、同様のかたちの服属を強制してきたのであった。
そこに共通しているのは、屈辱的な位置を強制し、これをみとめた場合には、差別=屈辱を自明として自己の膝下にかかえ込み、差別を前提として、「皇民」の仲間入りをさせるというパターンである。この共同性の独特のところは、差別的屈辱を容認したかぎりでは、一見その被差別者に対し親和的である、ということである。
もちろん、それはたてまえであって、陰惨な侮辱や暴力が加えられたには違いないのであるが、たとえば中国の汪兆銘政権に対しては、あくまでも親和的態度を装っていたし、満州国の国民には、五族協和の理想を説いていた。「八紘一宇」の原則は、アイヌにも琉球人にも朝鮮、台湾の人民にも、形の上では等しく適用され、皇民としての和の原理が、その全体を掩ったのである。
実体は嘘っぱちであるにせよ形の上で和の原理をかなぐりすてずに維持しつつけていることは注目に値する。たとえばゲルマン民族以外のすべての民に対して排外的で、一片の親和もみせようとせず、立場の如何をとわずユダヤ人のいっさいを抹殺しようとしたナチスの流儀とは、同じ強権でも全くスタイルを異にしていた。
ナチスは、共産主義者のすべてに対し、物理的殺戮を以って報いようとしたが、日本天皇制は、思想犯への密室内のテロ・リンチと家族の泣き落としとによって、転向を要求し、この要求に応じて多くの思想犯が転向した。
転向者は、一応、たてまえとしては、同じ陛下の赤子として、「平等」に扱われた。もちろん過去への猜疑はぬきがたく、兵役の折には、えりすぐって危険な最前線送り、というケースも少なくなかったが、それを受け入れさえすれば、わけへだてない和の原理の内部に転向者もまたふみとどまることができたのである。
では、和の原理をもつ天皇制権力が凶暴化するのはどのようなケースか?それは、和の原理の前提にある、屈辱の容認、差別の承認と、いった一方的譲歩を、その要求された当事者が拒否した場合である。その場合には、同じ日本人に対しても、せっかくの温情に仇を以って報いる不届者の烙印がおされたのであった。
それは、その拒絶行為が、敵と同一の態度と認定されるからであった。ということは、本来の敵に対しては、凶暴、残虐のみが正当な態度とされたことを意味する。日本帝国主義軍隊の、中国における三光作戦と呼ばれるあの凶暴きわまる戦争流儀は、決して偶然のものではなかったのである。恐ろしいのは、その残虐さ、凶暴さが、身内への和の原理と何ら矛盾しない、ひとつの源泉から導かれてくることである。
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