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不屈館に行く

 一昨日、那覇にもどり、昨日は飛行機の時間まで那覇市にある不屈館 瀬長亀次郎と民衆資料を見学に行って来た。
 ゆいレールの「県庁前」駅で降り、東西に走る通りをひたすら西に行く…若狭中通りを、若狭海浜公園まで行って右折すれば、「不屈館」の建物が見える。
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 のぼりも掲げてあるので、すぐわかる。
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 瀬長直筆の「不屈」の文字…
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 周囲の住宅にしっくりなじむ建築物である。
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 入場料は大人、500円…では入ってみよう。
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 開館の10時過ぎに入った…ちょうどDVDの上映中。TBSが過去に放送した、瀬長亀次郎の業績、あゆみを簡単に紹介するものだったのだが、これが非常によい。
 で、これをさらに詳しく記録した映画「米軍が最も恐れた男 その名はカメジロー」が、8月に公開されるのだ。

 沖縄の闘いは、「沖縄戦の記憶」だけによるものでなく、米軍統治下の米軍政・基地拡大との闘いの歴史にも規定されている。戦後の闘いにおいて、先頭にたって献身的に闘った人の一人が、沖縄人民党の瀬長亀次郎なのだ。
 ちなみに、不屈館の館長は、亀次郎の次女である。

 亀次郎は1952年、最初の沖縄立法院議員総選挙でトップ当選。琉球政府創立式典では米軍への「宣誓」を拒否したため、米軍当局ににらまれることになる。1954年の人民党事件で逮捕、裁判の後2年の獄中生活を送る。なお戦前も亀次郎は、治安維持法違反で懲役3年をくらっている。人民党事件当時、亀次郎の家は那覇刑務所の隣にあり、そばには人民党の事務所もあったそうな。56年出獄後、那覇市長選挙に出馬…対立候補の選挙妨害を受けるも、当選を果たす。だが米軍当局は、米軍が出資していた琉球銀行に補助金と融資の打ち切りを強行させ、瀬長市政をつぶしにかかる。しかし瀬長を支持する民衆が納税運動を起こし危機を乗り切った。その後も瀬長市政への妨害は続けられ、保守陣営は7回も不信任決議を提出した。最後は米民政府高等弁務官布令143号、通称「瀬長布令」で投獄を理由に瀬長の被選挙権を奪うという「禁じ手」を使わざるを得なかったのである。
 1967年に「瀬長布令」は廃止され、亀次郎の被選挙権は回復された。翌68年には再び立法院の議席を回復、1970年、沖縄初の国政参加選挙において、衆議院議員となる。以降7期連続当選。日本共産党に所属し、共産党副委員長などを歴任した。

 共産党(人民党)という「党派色」よりも、復帰運動を牽引した人であり、かつ民衆の絶大な支持を得た、大衆によって立つ政治家だったと言えよう…実際、亀次郎は民衆からの様々な相談事を、小さなことでもメモに書き留め、解決に向かって奔走するような人であったそうな。
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 館内の様子…いやぁ~亀次郎さん、いい顔しているなぁ~
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 DVDを観たテレビ…開館当時は小さなテレビだったが、多くの人の支援により大きめのテレビを購入したとのこと。

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 亀次郎人形…

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 亀次郎の残した、新聞の切り抜き等…

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 部屋の再現。

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 いろんな闘いのグッズなんかも売っているよ…川口真由美さんのCDもある。

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 もちろん、「不屈」Tシャツもあるよ

 小さな資料館だが、内容は濃いので沖縄へ行く人には、訪問をお勧めする。沖縄の闘い、特に戦後のそれを学ぶ場は沖縄でも少ない…だから行くべきだ
 ちなみにいっしょにDVDを観たのは、前日。辺野古でいっしょに座り込みをしていた、北海道からのグループの皆さんである。

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 近くには駐車場もあるよ。

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ではでは

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