神道が政治性を持った理由
FOR BIGGINERS天皇制より…p108から
世界の各地域に、このような民俗信仰は無数に存在する。それらの民俗信仰、共同体宗教は、日本の神道以外は強力な国家権力を根拠づける政治神を生み出すということをしなかった。むしろ、政治神として強力であったのはキリスト教と回教である。(部分的には仏教にも政治との強い統合がみられる。)それは、これらの宗教が、価値意義の創出を志向する性格をもっており、よくも悪くも、世界性や普遍性を内在させているからにほかならない。つまり、これらの宗教は世界への通路をもっており、一地域の地域性の中に自足できない性格をもっているのである。欧米の世界侵略に先立って、世界のすみずみにまで、「福音」という名のヨーロッパ的価値観をゆきわたらせたキリスト教の布教活動にこそ、普遍的教義をもった宗教のもっとも典型的な姿ということができよう。
これと対比して考えるなら、神道は、政治神たる資格に欠け、ましてとうてい世界侵略の原理たりえぬ宗教であったといえる。にもかかわらず神道は他の祭祀宗教やアニミズム信仰の諸形態とは違って、日本近代国家の権力を神聖化する宗教的権威となり、あまつさえ、大東亜共栄圏構想やら、五族協和精神やらの、中枢として位置付けられた。共同体的な親和の関係が、普遍的な価値の根源とみなされ、国家は、家や村を単位とする共同体に、また、アジアは日本になぞらえ、共同体祭祀の空間が、強引に、アジア大に拡大されたのである。
こうした「政治性」は、神道という宗教の、分に過ぎたことであった。なぜ、このような、政治神化がおきたのであろうか。第一に、神道と仏教の混淆の中で、本来教義をもたぬはずの神道に、普遍的な価値を問題とする教義への志向力が付与された事実に注目することが必要であろう。本地垂迹説に体現された、仏教主導の教義体系は、のちに儒学、国学などによる神道の教義化への、媒介の役割を果たしたといえる。
次に、神道に普遍的価値志向を導き入れたのは、藤原惺窩をはじめとする江戸時代前期の儒者たちであろう。ここで神道は、はじめて、廃仏的な思想と出会う。
さらに、江戸時代中期からは、神道信仰が国学者たちの解釈にゆだねられることとなり、幕末に至ると、神道は倒幕論の根拠として機能することとなる。こうして、全く内部に教義をもたぬ神道信仰が、あたかも激烈なナショナリズムの源泉であるかのようにイデオロギー化され、天皇は、それを支える絶対的存在として位置付けられたのである。
(引用終わり)
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