戸籍は天皇の奴隷名簿
蓮舫代表の戸籍公開問題に触れたので、ここで戸籍についてのおさらい(どっかで同じようなことを書いたかも知れんが、改めて)
人民登録システムとして「戸籍」のようなものを持っているのは日本だけである。もともとは遊牧民族が、家畜などの自分の財産の特徴を書きつけておいたものが始まりらしい…財産の登録簿を管理するものが、所有者というわけだ。そこに「一族」についても記述するようになった…一族の長が、その名簿を管理する。
で、これが中国の古代王朝にもたらされる。人民を登録し、租税負担、労役そして軍役に人民を刈りだす基本台帳として「戸籍」が整備されるようになる。隋、唐の律令国家をまねて、古代日本国家でも「戸籍」が作られるようになるが、律令国家の衰退とともに、戸籍は作られなくなる。中世、近世においては「分権」の時代だから、それぞれの領域を「収める」荘園領主なんかが、独自に自らが支配する人民の「名簿」をつくっていたのであろう。江戸時代には「人別張」が作られる。ただしこれは、人々の身分関係…すなわち、誰がだれと結婚し、子どもを生んで…ということはトレースできないものだった。相続が必要になる人は、別に「系図」を作成していたのである。
150年前に明治維新…「王政復古」で、古代天皇制国家のような、天皇中心の国家づくりを目指すとしたため、戸籍を復活させることにしたのだ。1871年に戸籍法出来る。居住単位を基礎に、人々の身分関係、さらには廃止された封建的身分までも記載される。ただし、古代国家と同様に、戸籍は役人がいちいち調査して作成するものだった。この法律に基づき、1873年に壬申戸籍が出来る。これは記載された人が被差別民であるか判別できるため、現在は完全に封印されているシロモノだ。
戸籍法は、家制度と密接に結びついている…というより、家制度を担保するように、戸籍制度をつくったのである。また、家制度は当時の支配階級だった武士階級のものをそのまま全人民に押し付けるものだった。民衆には、姉家督(最年長者が家を継ぐ)や末子相続(最年少の男子が家を継ぐ)などの習俗があったにもかかわらず、長男単独相続制が導入された。
もちろん、戸籍は「徴兵名簿」としても使用される…壬申戸籍ができた同じ年に、徴兵制が布告される。
戸籍法はその後、1886年改正(明治19年式戸籍)、明治民法が成立した1998年改正(明治31年式戸籍)される。明治19年式戸籍から、6年に1回、一斉調査による戸籍作成から、人民に身分関係の変化がある場合、逐次届ける現在の方式に転換した。戸籍法は1912年にまた改正となり、大正4年式戸籍となるが、この時、戸籍は居住と切り離され、純粋な「身分関係」を表す台帳となる。
戸籍は植民地である台湾、朝鮮にももたらされる。朝鮮の戸籍は1945年の解放時に、ソ連が占領した北側では破棄されたのだが、南側ではそのまま残った…韓国は長い間戸籍を使用していたが、2007年に廃止している。台湾にはまだ戸籍が残っている。
とまあ、ざっくり戸籍の歴史を書いてみたが、注意せねばならないのは、天皇には戸籍が当然、ない そう、戸籍を持っているのは天皇だからだ。すなわち、戸籍とは「天皇の家来(奴隷)名簿」なのである。この性格は、明治政府が古代国家をまねた戸籍なんぞを作成した時のまま、戦争に負けて「日本国憲法」が制定されても、変わっていないのだ。
ちなみに天皇家は「皇統譜」という、皇族の名簿を持っている…皇太子のつれあいになった、雅子みたいな人は、戸籍から抜けて、皇統譜のほうに「登録」されるのである。
また蓮舫代表のように、外国人が日本国籍を取得した場合、新たに戸籍を作製することになるが、これも見方を変えれば「外国人が天皇家の奴隷になる」ということになる。そういった位置づけは、在日韓国、朝鮮人が簡単に日本国籍を取らないことにも通じているのである。
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