ポピュリズムについて考える(後篇)
ポピュリズムは「左派的」「分配重視的」なものとして始まったが、現在では「新自由主義批判的」なものとして捉えられている。特に「東西冷戦」が終結したヨーロッパにおいては、既存の政治勢力が、左派勢力のみならず「反共」としての保守勢力もその存在意義を問われている。左右の既存政党は「新自由主義」や「立憲主義」に規定されて主張の差が少なくなり、また社会構造の変化からそれらを支えている労働組合、農民団体などに帰属するメンバーが少なくなっているからだ。ところで「新自由主義批判的」に躍進しているポピュリズム政党のほとんどが、フランス国民戦線のようにもともと「極右」として誕生した政党が、民主主義的な価値を一定程度認めるよう変化したものか、民主主義的価値観を容認してきた保守政党から「イスラムは民主主義的価値観と相いれない」として「移民排斥」主張を掲げ、先進的な社会福祉は自国民だけに限るといった「福祉排外主義」を主張する右派政党がほとんどである。これはなぜか?簡単なことで、左派・左翼の主張というのは「分配」だけではなく、「権利の行使のために自ら主体的に参加し、行動する」ことを掲げる。また左派・リベラルが主張する「多文化共生」というのは、外国人の異なる文化や習俗を学び、理解した上で解決策を模索するという、ある意味大変めんどうくさく、手間ヒマがかかるものだ…だから「外国人は出ていけ!」と叫ぶことのほうがラクなのである。
日本における橋下や小池のポピュリズムは、「新自由主義批判的」な主張のカケラすらなく、それどころか新自由主義的な政策を「改革」として掲げ、ひたすら敵を設定して叩き「立憲主義」を破壊しているのが現状だ。また「分配の公平さ」を求めようにも、真の収奪者たる独占資本・金融資本がアンタッチャブルになっているから、「既得権益保持者」として労組や弱者団体を叩くことが中心となる。また、日本における小泉改革は、政権政党がポピュリズム的な突破を行ったと捉えることができる。トランプ現象は既存政党にトランプというポピュリストが浸透していったものと考えられる。
人民主権や選挙、多数決といった「民主主義」の言葉に依って立つポピュリズムを、「民主主義の敵」として叩くことには限界がある。議会制民主主義、代行主義に立つ限り、ポピュリズムは避けて通れない面があるのだ。だからポピュリズムに対抗するには、民主主義の質を問うもの、単に選挙の一票だけのものではない、実際の統治に「自らが主体的に参加し、行動する」民主主義のシステムをつくり、「収奪者から収奪する」社会をつくろうとする粘り強い取り組みが求められるのである。
参考文献…「ポピュリズムとは何か 民主主義の敵か、改革の希望か」水島治郎 中公新書2016年12月
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