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加害の帰結としての原爆投下

 72年目の原爆忌にて…
 小学校の修学旅行は、広島だった。行く前に社会の授業がプリント授業になり、「あの戦争」がいかにして始まったのか?ということを学んだ。1929年の「世界恐慌」から始まって、「満州事変」へと、日本は中国侵略戦争の道を進んでゆく…「南京大虐殺」についても学んだ。犠牲者の数はともかく、日本軍が南京において捕虜や一般市民を大量に虐殺したのである。日本国内では戦争のための統制が進み、物資も不足してゆく…やがて対米戦争となる。
ガキであった当時、私も含めた多くのガキ共は、旧日本海軍の軍艦プラモなんか作って喜んでいた。子ども向けの本に、日本海軍や太平洋戦争のことを書いたものがあったが、なぜ対米戦争が始まったのか?ということは見事にスルーされていた。しかし学校でキチンと、中国侵略戦争が対米戦争につながったことを教わる。
 日本帝国主義の敗北が確実だった中で、なぜ米帝は原爆を投下したか?プリント授業では「米軍の犠牲者数減らすため」という、米側の主張も取り上げていたが、ソ連の参戦・進出に備えた、戦後世界のイニシアチブを握るため、あるいは「新型爆弾」の実験であったという旨も学習したハズだ。
 とにかく、「満州事変」以降の中国侵略戦争を起こさなければ、原爆投下という惨事がブーメランで帰ってくることも無かったのである。

栗原貞子さんの詩 「ヒロシマというとき」

ヒロシマというとき
<ああ ヒロシマ>と
やさしくこたえてくれるだろうか
<ヒロシマ>といえば<パールハーバー>
<ヒロシマ>といえば<南京虐殺>
<ヒロシマ>といえば 女や子どもを
壕のなかにとじこめ
ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑
<ヒロシマ>といえば
血と炎のこだまが 返って来るのだ 

<ヒロシマ>といえば

<ああ ヒロシマ>とやさしくは

返ってこない

アジアの国々の死者たちや無辜の民が

いっせいにおかされたものの怒りを

噴き出すのだ

<ヒロシマ>といえば

<ああ ヒロシマ>と

やさしくかえってくるためには

捨てた筈の武器を ほんとうに

捨てねばならない

異国の基地を撤去せねばならない

その日までヒロシマは

残酷と不信のにがい都市だ

私たちは潜在する放射能に

灼かれるバリアだ

 

ヒロシマといえば

ああ ヒロシマと

やさしいこたえがかえって来るためには

わたしたちは

わたしたちの汚れた手を

きよめねばならない

論稿:日中不戦ブログ…詩:[ヒロシマというとき]加害者意識の原型

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