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萩原富夫さんと交流会他

 10・8三里塚全国集会の後、「三里塚勝手連」で共産同統一委員会さんのプレハブ小屋におじゃまして、そこで開かれた反対同盟の萩原富夫さんとの交流会に参加してきた。

 集会場から車に乗って数十分?多古町の畑をうねうね巡った住宅地の奥に、プレハブ小屋はあった。
 そこの集会室でしばらく休憩した後、5時頃から交流会が始まった。参加者は私や草加さん、勝手連で初めて「北原派」の集会に来たという方、その他統一委の皆様方、初めて三里塚に来たという若い人が3名…うち一人は大学1年生で、中学時代には「ネトウヨ」をやっていたという、多彩なメンバーがそろっている

 萩原富夫さんは、1967年生まれの佐賀県出身、80年代に法政大学(二部)でサークル活動とかやりながら、88年に初めて三里塚に来たとのこと。その後、援農等の支援として三里塚に関わる。2003年から萩原進さんの家に「婿入り」して以降、農民・反対同盟員として三里塚闘争に関わって来た。
 だからお話しは、農民として三里塚をどう闘っていくか?ということが中心だった。
 
 農業は基本、年に1回しか出来ない…そこは工業製品の「効率」とは違う…だが、毎年、工夫がある。また、いろんな作物を作っていると、ある年、ある作物がダメでも、別の作物でカバーできる。そこが「家族農業」の強みである、とゆうような話が印象的だった。
 あと、「義父」の萩原進さん、やっぱり一徹で厳しいお方だったそうです

 ざっくばらんなお話、交流会を8時過ぎぐらいまで行った後、また車に乗って京成成田駅まで…ここから東京方面への帰路につく。

 車内では「勝手連」つながりの統一委の方とお話し…「情況」の表紙に「萌え絵」もどきを使っていろいろ批判されている(確かにこれは「萌え絵」ではない…「もどき」なのに批判される要素…例えば肌の露出とか…はしっかり入っているのが問題)話とか、関西に移り住んだ園良太君の活躍とか…
 彼に言わせれば「誰か園良太君を、止めろ!」ということ…なぜか?彼は一人でなんでも仕切って、スケジュール帳が真っ黒になるまで「課題」を詰め込み、体を壊して倒れてしまうとのこと。なるほど、確かにそうゆう危険性はあるなぁ~でも、どうやって止めるんだ

 とりあえず、JR山手線との乗り換え駅、日暮里で解散…お疲れ様でした

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