ナチスの「手口」と緊急事態条項…「歯止め」なき自民党改憲草案
さて、日本で考えられている「緊急事態条項」であるが、2012年の自民党改憲草案でみてみよう。
改憲草案の第九章に「緊急事態」が設けられ、第九十八条(緊急事態の宣言)と、第九十九条(緊急事態の宣言の効果)が記述されている。
第九十八条では、内閣総理大臣が閣議をへて、緊急事態を宣言できるとしており、それは国会の事前もしくは事後の承認が必要とされているものの、基本、行政府の長が自分で決められるようになっている。
また百日を超えて緊急事態宣言を続ける場合は、事前に国会承認が必要であるが、百日というのは他国の事例と比べ、長い。
第九十九条において、憲法十四条(法の下の平等)、第十八条(奴隷的拘束及び苦役の禁止)、第十九条(思想および良心の自由)、第二十一条(表現の自由)は「最大限に尊重する」と書かれているものの、これは「制限してはならない」という意味ではないので、これらは制限されるということだ。フランス第五共和国憲法でも、緊急事態において基本権を制限できる可能性については触れられていない。また、ボン(ドイツ)基本法では七十九条第三項に、第一条(「人間の尊厳」「人権」)および第二十条(民主制、連邦制、選挙制、法の支配、抵抗権…)の憲法の根本的な原則を変えてはならないとある。緊急事態時でも、基本権は守られる歯止めがあるわけだ。
緊急事態を詳細に分類してそれぞれに規定を与えるわけでもなく、また内閣総理大臣の死亡や内閣総辞職の時の効力規定もない。国会集会の規定もなされていない…二院制での「ねじれ国会」を政治の停滞、議会の機能不全とするような国で、この状況を内閣総理大臣が「特に必要がある」と緊急事態を発する可能性もある。こんな中で、法律と同等の効力を持つ政令を、内閣がフリーハンドで出すことができるのだ。また、政令では「国民投票」の投票者を制限することも出来るので、緊急事態宣言時に、平時ではありえない制限を設けた上で「憲法改正発議」を行えば、簡単に憲法を変えることも可能だ。「主権独裁」が現れてくるのである。
そもそも緊急事態条項は必要がない…大規模な災害時にあってはすでに「災害対策基本法」があるし、現憲法にも非常時の国会については、第五十四条二項に参議院の緊急集会の規定がある。憲法に選挙の期日が書かれており、それが災害等で選挙が行えない場合でも、その選挙が無効になったりするわけでは必ずしもない。
それでもあえて「緊急事態条項」を入れるなら、ドイツのように要件を細かく規定し、犯すことのできない基本権を憲法に定めておくか、フランスのように裁判所(憲法院)によって歯止めをかけるかである。ただ裁判所によって「歯止め」をかけようとする場合、日本においては「高度に政治的な問題については、裁判所は司法審査権を行使しない」という、「統治行為論」を始末しておかないといけない。内閣が発した緊急事態宣言についての審査が、高度に政治的でないハズはないからだ。「統治行為論」を憲法条文で否定しておく必要がある…ということだ。
本書ではドイツにある一連の憲法原理を強く求める姿勢が「戦う民主主義」と評価されている(もちろんこの中には、「抵抗権」もあればネオナチや共産党を禁止している「基本権停止宣言」も含まれている)が、このような政治的風土は、ナチスの犯罪の歴史についての深い反省と洞察が背景にあるのだそうな。歴史にも憲法にも向き合うことは、非常に「しんどい」ことなのであるが、それをちゃんとやってきたということだ。
しかるに日本において、「南京大虐殺」も「従軍慰安婦」も「(たいしたこと)なかった」とする歴史認識がまかりとおっている…こんな国に「緊急事態条項」を設ければ、ロクなことにならないのだ…そう最後にまとめておこう…
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