« マウンダー極小期と、小氷期 | トップページ | ええ加減にせよ 米軍事故!抗議行動 »

野中広務は沖縄差別を止揚できたか?

 90年代に官房長官を務め、自民党の幹事長でもあった大物保守政治家、野中広務氏が亡くなった。京都の被差別部落出身でもあり、政治家引退後、辛淑玉氏との対談本「差別と日本人」(角川書店 2009年)で、差別問題に保守政治家としてかかわってきたことが書かれている。
S_0001 また、昨今の安倍政治の憲法軽視・デタラメ政治が酷すぎるせいか、この人も憲法・9条を擁護する「リベラル」政治家であると考えられている。
 たとえばこんな感じ…毎日新聞WEB
野中広務さん死去:剛腕、平和追及…党派越えたたえる声

 野中広務元官房長官の訃報が伝わった26日、与野党から悼む声が相次いだ。野中氏が政争で見せた「剛腕」と、「平和」を追求し「弱者」に寄り添った政治姿勢は党派を超えて後進に影響を与えた。(以下略)
 ま、人様の訃報を聞いて、悪くコメントするヤツはほとんどいないのはおいといて…彼は少なくとも「沖縄」には寄り添えていないと考える。
 政治は、結果責任である。野中氏は「沖縄駐留軍用地特別措置法」を改悪し、知事の代理署名なしに沖縄の反戦地主の土地を米軍基地に使用できるようにした張本人である。いくら委員会の最後に「この法律が、沖縄を軍靴で踏みにじるような、そんな結果にならないように…国会の審議が大政翼賛会のような形にならないように、若い皆さんにお願いをして、私の報告を終わります。」と言った(議事録からは削除)としてもである。沖縄差別法を、政治的に認めたことは消えない。
 また97年に辺野古への基地建設を問う住民投票が行われた際、彼は名護市にいた…もちろん、「移設」を梃子入れするため、基地建設「容認」や「条件付き容認」が住民投票で「勝利」するよう、いろいろ工作をしていたのである。官房長官としての仕事だ。また、住民投票後の名護市長選挙・沖縄県知事選挙において「自公協力」を体制を作り(後に「本土」に波及する)、その後10年の「辺野古容認と引き換えの、沖縄振興」路線をつくった人でもある。

 要するに「札束で沖縄の人の頬をひっぱたく」体制を維持・発展させた人なのだ…このような人物が、後になっていくら「物わかりのいい」事を言っても、私ゃ信用はしない。

 なお全国政治で言うと「国旗・国歌法」をつくった人でもある…なんとなく「国旗・国歌」とされていた「日の丸・君が代」を、国旗・国歌であると法的根拠づけをしたものだ。成立時に付帯決議として「濫用」したり「強制」したりしてはイケナイとされたにもかかわらず、教員や公務員の思想・信条をしばり、入学式・卒業式等の周年行事での強制がまかり通るようになった。

 野中氏を「反差別」、ましては「リベラル」で括るようなあり方については、非常に違和感を感じる。

|

« マウンダー極小期と、小氷期 | トップページ | ええ加減にせよ 米軍事故!抗議行動 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

かくめいのための理論」カテゴリの記事

コメント

野中氏を持ち上げるのって、ちょっと「安倍首相による改憲反対」という呼びかけに似ていますね。

なるべく幅広い支持を得るよう、「本来は改憲賛成の人でも、アノ安倍さんの言いだす改憲ですよー。胡散臭いじゃありませんか」と持ちかけて支持を増やそうというような。

「昔の自民党はもっと幅が広くて良識があった」っていう言い方も、これと似ているけど。

投稿: kuroneko | 2018年1月29日 (月) 00時26分

野中氏をはじめとする「古い」自民党の人たちの多くが戦争体験があったりして、9条改憲はやっぱりやばいんじゃないか?て考えてはいるようで、そんなところが「昔の自民党は…」云々になるのでしょうね。ある意味、安部晋三他が酷すぎる…というのもあるでしょう。
 しかし安倍晋三を用意したのは、まぎれもなく野中氏を始めとする「古い」自民党の人たちなのですよね。その辺、あいまいにしてはイカんと思うのです。

投稿: あるみさん | 2018年1月29日 (月) 22時23分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 野中広務は沖縄差別を止揚できたか?:

« マウンダー極小期と、小氷期 | トップページ | ええ加減にせよ 米軍事故!抗議行動 »