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そもそも「統合」が必要なのかを問え!

 昨日の記事で、内田樹が「天皇主義者」になった…云々のことを書いたが、いただいた資料の中に 朝日新聞デジタル2017年6月21日08時00分 内田樹さん、「天皇主義者」宣言「変心」の真意語る 記事の引用があった。
 9条護憲や脱原発などのリベラルな主張で知られる思想家の内田樹(たつる)さん(66)が、雑誌のインタビューで、自分は「天皇主義者」になったと宣言した。右派的な用語で、アブない気配が漂う。なぜ今”変心”なのだろう。(以下略)

 でもって、天皇が「霊的な存在」だと言っているのは、こんなふうに書かれている。 

インタビュー記事では、天皇制が高い統合力を持つ一因はそれが持つスピリチュアル(霊的)な性格にある、と踏み込んだ。「選挙で選ばれた指導者などの世俗的な『国家の中心』とは別に、国家にはしばしば、宗教や文化を歴史的に継承する超越的で霊的な『中心』がある。日本の場合、それは天皇なのだと思う」

 ここで内田氏が天皇を「霊的な存在」としていることは置いておく。もっと別の論点を提起したいからだ。それは「高い統合力」という言葉である。
 国家というものは、国民を「統合」していないと成り立たない…という、ドグマか真理か分からないが、そういうものらしい。日本国家の場合、その要が「天皇」であり、「天皇制」はそのために「必要」だ…と理屈づけられる。
 だから「反天皇(制)」「天皇制廃止」を掲げるのであれば、別の「統合」するための何か…を用意しないとイケナイということになる。日本国憲法の1条から8条を変え、天皇制を廃止して共和制日本にするとき、天皇の代わりは何か

 いや、ちょっと待て、我々は「統合」されている必要があるのか?
 国家が成立するため「統合」が必要である…しかし、我々が生きていくために「統合」されている必要が本当にあるのか?無いのならば、国家も必要ないし、そのための「天皇」も必要がなくなる。

 国家による統合を「必然」とするのではなく、それを徹底的に疑うことこそ、思想家、内田樹氏がやるべきことではないか
 単純に「国家」には統合機能が必要で、日本ではそれが天皇である…というのは、思想でもなんでもなく、単に現象を表しただけでしかない。内田氏は「思想家」だとしても、現れた現象を都合よく「説明」「解釈」しているだけで、その中身を徹底的に疑う「哲学者」ではないらしい(それはそれでエエけど…)

 仮に「統合」のための「霊的」な装置が天皇だとしても、天皇(制)はそれだけで「統合」をしてきたわけではない。
 近代史上、日本帝国主義が侵略していった北海道(アイヌモシリ)、沖縄(琉球)、台湾、朝鮮半島…日本が領有化し、国家の一部として支配する際、必ず「天皇」が押し付けられてきた。学校を建て、そこに「御真影」を置いて敬うように強制する、宮城遙拝を強制する、「天皇の赤子」であることを教え込み、天皇のために命を投げ出すことを最上の価値とすることを強制してきたのである。強制には暴力が伴う…それが「統合」の正体だ…「霊的」なものが自然に人々に「信仰」されて「統合」されたわけではない。

 「霊的」なものは「信仰」の対象であり、それは「宗教」だ。宗教は、儀式によって徹底的に一つの価値観を体にしみこませていくものだ。学校における周年行事、入学式や卒業式などで、「日の丸」「君が代」が強制されるのは、まさにそれだ。

 内田氏の思想で問題なのは、①そもそも「統合」が必要なのかということを問うていない②仮に統合が必要だとしても、「霊的」な存在のみで「統合」がなされたわけではないという歴史を見ていない ことだ。特に②について、現在も「日本国」の一部であり「統合」されている北海道のアイヌ民族や沖縄から見れば、トンでもないことを言っていることが良く理解できるだろう。

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