「建国記念」はいつ?
この前の「建国記念の日」反対学習集会 における、黒田伊彦さんのお話しから…
「建国記念の日」は、1966年12月9日に政令によって規定され、67年から実施されたのであるが、66年に建国記念日はいつがよいか?という1万人世論調査が行われたそうな…その結果は、次のとおり
2月11日 ・・・47.4%(紀元節)
5月3日 ・・・10.6%(日本国憲法施行日)
4月3日 ・・・6.1% (「神武天皇」の命日?)
4月28日・・・5.8% (サンフランシスコ条約)
8月15日・・・3.1% (敗戦の日)
圧倒的に、「紀元節」を「建国の日」とする人が多かった…。なにぶん、戦前の「紀元節」が廃止されてから、20年もたっていない。なおかつ「記紀神話」に基づく歴史記述を批判的に語ることが当時はまだ一般的ではなかったから、人々の意識は「紀元節≒建国の日」と認識されていたのだろうということがうかがえる。4月3日の「神武天皇の命日」をあげる人が6%もいたことも、こうした意識が払拭されていないことの裏付けであろう。
大日本帝国が倒れて、新しい「日本国」が出発した…という意識に裏打ちされているのが、5月3日や8月15日を「建国の日」とした人びとの意識であろう。2つ合わせて13%、ただし2月11日を推す人に比べれば、圧倒的に少ない。戦後日本独立のメルマークである4月28日(ただし、沖縄切り捨てや在日朝鮮人等の切り捨て問題が残る)を推す人が6%ほどということだ。
こうしてみると戦前と戦後において、日本国は「断絶」していないという意識が読み取れる。「戦後革命」は起こっていないということだ。また近代国家の始まりである「明治維新」(維新100年とか、150年とか騒がれてはいるものの…)を推す人がほとんどいないのは、「維新」は「革命」ではないということに他ならない。「近代の確立」というのは、革命(独立革命を含む)を行わないと、意識として昇らないのである。
もし「天皇制」国家の確立を「建国」とするならば、「大化の改新」から天智天皇、天武天皇の統治期間ぐらいの間で、何か記念日を探すことになる…中大兄皇子(天智天皇)が蘇我入鹿を暗殺し、蘇我宗本家を滅亡させた「乙巳の変」(昔の中学生はこれを「大化の改新」と学習した…「大化の改新」とは蘇我入鹿暗殺クーデター以降始まった一連の「統治機構改革」総体を指す)が、7月10日、天武天皇が天智天皇系から皇位を奪った「壬申の乱」終了が8月21日、その天武が飛鳥浄御原令制定の詔を出したのが、2月25日…ま、こんなところか?(日付はWikiの記述に依った)
そうそう、古代日本列島は「倭国」が北九州に「大和朝廷」と並立して存在し、663年の白村江の戦いで敗れて滅亡した…という話もある。ただ「倭国滅亡」の日が分からないし、倭国滅亡=大和朝廷確立というわけでもないから、大和朝廷による天皇制国家確立記念日とは言い難い。
結論…「建国記念日」を2月11日以外に求めるためには、やっぱり「革命」が必要である
| 固定リンク
「かくめいのための理論」カテゴリの記事
- 設計変更を許すな!奥間政則さんの学習会(2020.06.29)
- けんじと太郎でタヌキを追い出せ!(2020.06.18)
- BLACK LIVES MATTER”よりも”大切なこと(2020.06.14)
- コロナ禍での社会ヘゲモニーを握ろう!(2020.05.15)
- 憲法1条を守れば天皇制はなくなる?(2020.05.05)
コメント