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「国体論」の結論…

 白井聡氏「国体論 菊と星条旗」の続き…
 「国体」について研究している人の中では常識なのだが、戦前の「国体」は「天皇主権説」と「天皇機関説」による二つの解釈が可能であった…というよりも、一般社会には天皇を絶対視する「天皇主権説」が「顕教」として受け入れられているものの、実際の政治を運営していく上では何らかの形で「天皇機関説」で運営されていた…ということである。「天皇機関説」というのは、政府・日帝政治委員会の中でのみ通用する「密教」だったのだ。だから「密教」を世に広めようとした美濃部達吉や北一輝は排撃されたわけである。

_000005  「戦前の国体」における「顕教(天皇主権説)」と「密教(天皇機関説)」については、白井氏も展開はしている。ただ「戦後の国体」における「顕教」と「密教」についてはほとんど述べていない。「戦後の国体」におけるこのような2面性を上げるならば、それは米軍基地の存在理由だろうと私は考える…すなわち「米軍は抑止力として日本にいる」というのが、一般向けの「顕教」であり、「米軍は世界戦略上、都合がよい(「思いやり」予算等の負担もしてくれる)から日本にいる」というのが、ごく限られた政府中枢にいる人向けの「密教」であるということだ。
 白井氏は、ウォーラーステインら世界システム論者が「アメリカの衰退と日本経済の上昇によって、世界資本主義の歴史におけるヘゲモニー国の交代が、アメリカから日本へというかたちで起こる可能性を指摘していた」ことを紹介するとともに「それではなぜ、ヘゲモニー国の交代が起こらなかったばかりか、日本の対米従属が現在においてより一層強固なものになったのだろうか。」(p284)と問い、「ヘゲモニー国家は軍事的にも最強国であるという一般的な原則は、現在の日本がこれまで踏襲してきた対米従属路線をさらに追及しなければならない理由にはならない。」(p296)としている。日米安保に基づき、日本が巨大な米軍基地を受け入れている理由も「東西対決における日本防衛」から「自由世界の防衛」、「世界の警察による正義の実現」そしてその「正義」も怪しくなってくると「中国の脅威」「暴走北朝鮮の脅威」への「抑止力」と二転三転しているが、これは「ただひとつの真実の結論に決して達しないための詭弁」であり、その結論とは「日本は独立国ではなく、そうありたいという意思すらもっておらず、かつそのような現状を否認している、という事実である。」(p297)だそうな。
 こう結論づけられると、完全に「観念論」となってしまうわけだが、その「観念論」を説明するのに有効な概念こそが、「国体」なのであろう。すなわち「被支配」や「従属」であることを「否認」し、「批判」することも許されずひたすら信仰するだけの宗教のごときものが、「戦後の国体」であるところの「永続敗戦」体制というわけだ。
 なお白井氏は本書終章の最後のほうで天皇退位を表明した「お言葉」について「今上天皇の今回の決断に対する人間としての共感と敬意」(p339)を表明している。「『国体』が国民の政治的主体化を阻害する」のであれば、その「国体」を形成する天皇制は否定されなければならないハズだし、象徴天皇制の下では個人・人間としての天皇は存在し得ないのだが、集会の時でもそうだが、この「信仰告白」はいかがなものであろうか?

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