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山本善偉さんをしのぶ

 8月2日、関実の世話人であった山本善偉さんが亡くなられました。98歳だそうです。関実ブログより、リンク貼り付け。

関実世話人・山本善偉さんご逝去

山本善偉さんお葬儀などについて

キリスト者なので、「前夜祭」「昇天式」となっております。

惜別の辞 松原康彦

 松原さんは山本善偉さんのことを、本当に心を込めて「先生」と呼んでおられます。
 山本善偉さんの生きざまは、「ライオン吠える」に詳しく書かれています。
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 1943年「学徒出陣」…その壮行会が11月19日、神戸市東遊園地で行われた。その時に答辞を読んだのが、山本善偉さん。
 内地勤務で前線に行くことはなかったが、長野で新兵を教育し、各地の部隊に配属する役目だったそうな。

―戦後しばらく、ぼくは、これまでのことに意味があったのか、なかったのか、あきらめることもできず過ごしていたが、たまたま母校に呼ばれて教師になった。
 1956年、32歳のときアメリカに2年間留学、アジアからの留学生といっしょになった。そのとき韓国からの留学生に、「三・一独立運動、日本の官憲の暴虐な弾圧を知っているか」と聞かれた。ぼくは、全然知らなかった。
 あるとき米国各地にいるアジアからの留学生の親睦パーティーがあった。それぞれ自己紹介しながらにぎやかに話していたが、ぼくが「日本から来た」といった途端、その場が凍りついた。どうしたのか。誰もなにもいわない。何分ぐらいたったか、突然フィリピンからきた女子学生が、「なぜ、みんな黙っているかわかるか」と立ちあがった。「父は牧師だったが、民兵をかくまったと、日本兵に目の前で銃剣で突き殺された」と彼女がいう。他のアジアからの留学生たちは、みんなそういう体験をもっていると。フィリピンのラバーン君という一年先輩の留学生が「ゼニ―(善偉)が悪いのではない。日本がやったことだ」と、その場をとりなしてくれたが、誰もなにもいわない。
 ぼくも日本軍の一翼を担っていた。どういえばいいのか。謝ってすむことではない。けっきょく黙ったまま、お開きになった。その体験は非常に大きな衝撃だった。(ライオン吠える p48~49)
 「二度と戦争はやらない」「学徒動員を繰り返してはならない」という反戦の想いが、三里塚闘争と結びついた。また部落解放運動、狭山闘争や関西新空港反対闘争、その他反戦・反差別闘争に向き合い、真剣に取り組まれた方だった。

 もし天国というものがあるのなら、そこで北原鉱治さんや小川源さんなんかと、酒を酌み交わしているのかもしれない…

 山本善偉さん、本当にお疲れ様でした。やすらかにお休み下さい。

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