リーマン・ショックから10年
9月15日は、リーマン・ショックが起こった日である。この日から世界は恐慌過程に入り、あらゆる産業が縮小…日本でも派遣切り、雇い止め、リストラの嵐が吹きすさんだ。
このブログを始めた当日、突然福田首相が政権を投げ出し、麻生政権が誕生していた。当時の自民党政権は完全に民衆から指示を失っており、解散・総選挙は時間の問題とされていた。麻生政権は「選挙管理内閣」と呼ばれ、総選挙までの「つなぎ」と考えられていたのだが、世界恐慌に突入することによってなりふり構わぬ「景気対策」を行わなければならなくなり、1年程度「延命」することになる。
本ブログでは9月17日ぐらいに
とりあえず世界金融危機が来た〜と叫んでおくという題で、リーマン・ショックについて取り上げ、こんなことを書いている。
北京オリンピック後、中国経済が失速するのでは…と恐れられていたが、とりあえずは、昨年来のサブプライム・ローンこげつき問題が爆発し、米国金融を破綻させたのが先に表面化したわけだ。
サブプライム問題は、様々な人が取り上げているし、前進・島崎論文なんかのほうが詳しいのだろうが、「過剰な資本」が行き場を求めてあちこちに集中して投資(実は投機)されるのだが、その資本は実体経済として何も富を生産していないので、破綻する…とゆうことの繰り返しを続けている…これが繰り返される「金融危機」とゆうものだ。ここらへんまでは左翼なら誰でも書くだろう。
そして、「金融危機」が起こると、実体経済が回らなくなり、企業の倒産、労働者へのリストラ・賃下げが行なわれる。資本主義社会が労働者を生かしておくことができなくなるので、革共同中央派の人たちは、これを革命的情勢と呼んでいる。しかし、おさえておかなければならないのは、資本主義のシステムでは「金融危機」によって、生産がストップしたりするのだが、もともと投機にまわっている資本なんぞ、それが無くても生産ができる…実はここにも核心があるのだ…から、労働者が生産を維持し、コントロールすることが出来れば、世の中は回るとゆうことだ。
要するに、資本なんぞなくても、人間に必要な生産はできる、とゆう社会を作るのが、プロレタリア社会主義革命であるわけなんだな。
そう「革命的情勢」がやってきたわけですね(^^)/…ちゃんと「金融危機」とは何ぞや、「過剰な資本」が「投機」に流れて「破綻」しているということ。そうした「投機」にまわる資本はもともと必要がない、いらないものなのだから、それを排除した上で労働者が生産を自ら行うこと…これが資本主義を打倒し、共産主義社会に向かう革命なんだということを書いている。
でもって、当時の9月末のブログ記事は
マルクスたんは、やっぱり正しい!のだ という記事を書いている。
ここで注意しなければならないことは、金融危機が「想像を絶するフィクション」を無くすことが、もはや現在の資本主義社会では出来ないとゆうことゆうことだ。金融資本・・・マルクスをお勉強すると、「利子産み資本」なんて呼ばれ方をする。これは、労働者から搾り取った剰余価値の上前を、利子としていただくために、資本家(実際に労働者を使って、生産を行なうので、産業資本家と呼ぼう)に貸し出される資本である。マルクスの時代は、主に銀行がそれを担っていたわけであるが、帝国主義時代になると、「株式会社」とゆうものが発達し、株を発行し、しぼり取った剰余価値を「配当」することで、様々な人から資本を集めることが可能になった。ところが、なんでも商品にしてしまう資本主義の世の中だから、株も市場で売買される。株価とは、その株からどれだけ「配当」が得られるか、とゆう期待値によって値段が付く。もちろん、その「配当」の原資は、労働者から搾取された、もっと本質的に言うと、労働者が生産した価値・富から成り立つ。
株券や債権といった比較的分りやすいものから、複雑な金融商品まで、ようするに労働者が将来生産するであろう、価値から、金融商品の価格や配当額が出てくる。ところが、腐敗した帝国主義は、これらが過剰になって、やっている者でもどこから「将来的な価値」が出てくるのか分らないようになってしまった。かくして、本当に生み出されている富や価値とは無縁の、かつそれを上回る巨額のマネーが市場を闊歩するようになったのだ。 で、実際の富や価値がどれだけあるか分れば、破綻する。上回り方が大きければ大きいほど、破綻も大きい。困ったことに、本来の生産現場ではなんの意味もないハズの「巨額のマネー」は、資本主義社会において様々に生産現場を規制する。株価が大幅に下落することで、支払われるハズのカネが焦げ付き、倒産、労働者は路頭に迷う・・・とゆうことになるのだ。
過剰な資本が金融資本となって、実際の生産から乖離し「本当に生み出されている冨や価値とは無縁」になった、すなわち「架空性」を持ちながら、なおかつより利潤を得ようと動くことが、実態経済を破壊する…と述べているわけだ。
自分で書くのもなんだが、けっこう的を得た解説をしていたのだなぁ~と思う。
さて、あれから10年…一応、リーマンショックの大傷から世界は「立ち直った」かのように見えるが、資本主義社会の矛盾、過剰資本の問題は一切解決していない。
1929年の「世界恐慌」は、世界的な規模での帝国主義間戦争で多くの生産諸力をぶっ壊すということを通し「解鉄」したのだが、2008年の恐慌はそうゆう形をとっていない。もちろん、中東やロシア・ウクライナにおいて戦争は起こり、あるいは継続しているが、それで「過剰資本」が解決したわけではない。とりあえず「発展途上国」における成長を「取り込んで」過剰資本を消化しているというのが実情だろう。
一方で「革命」を呼びかける「党」は、この10年でヘナチョコに「変質」しただが、資本主義の矛盾が解決していない以上、マルクス主義的な「革命」路線ってのは、いつでも必要になるし、革命のやり方もレーニンや毛沢東、カストロのそれとはバージョンを変えるなどしながら、研ぎ澄まされていかなければならない。
そうゆうことを考えながら迎えた、リーマンショック10年である。
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