明治維新をdisろう…その2、幕府はなぜ衰亡したのか?
その1 の続き企画…幕末の対外政策、条約締結などの中身を見ると、江戸幕府は決して「無能」ではなく、有能な官吏によって政権運営がなされていた。ということを書いた。ではなぜ国内が混乱したあげく、衰亡し、打倒されてしまったのか?
衰亡の理由としては、江戸時代における産業のそれなりの発展により、封建的な支配体制がゆきづまったから…と答えると元も子もない。ただ、幕末、開国時において特殊な条件が存在した。
もともと「鎖国(今はこのように学校では習わないらしい)」体制は、幕府の一存で決めたことなのだから、「開国」も幕府の一存で決めればよいことだった。だが、幕府は開国するにあたり、諸大名やはては朝廷にまで意見を求めて決めようとした。ここに、有力な外様大名や朝廷、公家なんかが政治に参加するようになり、収拾がつかなくなったというのが、「幕末・維新」史のキモなんだろう。ではなぜ幕府は、諸大名の意見を聞こうとしたのか?
岩波新書「幕末・維新(シリーズ日本近現代史)」によれば、天保改革で幕府権力を回復…文字通り、幕府が専制的に(「鎖国」を決めた時と同じように)支配できる体制を回復すること…に失敗したからだそうな。
「十九世紀に入るころ、江戸日本では、商品経済が発展し、国内市場が掲載されはじめていた。それまでの江戸、大坂、京都の三都を中心とする遠隔地間の市場から、城下町など無数の地方都市を核とする、きめ細かい網の目のような市場へと経済構造が進化していた。
大名も、村役人や在方の大商人などを組織して産物交易を展開する。大坂を通らないで江戸に「直き積み」(直送)した姫路藩の木綿専売がよく知られた事例である。(中略)
さかのぼると、阿部正弘が老中首座に就く前に、幕府の天保改革が失敗していた。天保改革の雄藩に対する政策として、江戸と大坂の大名領や旗本領を幕府直轄とする上知令と西国諸藩専売の取締令があった。大名や旗本を他へ移して、あるいは、大名の産物政策を禁止するなどの犠牲によって、幕府の支配と防衛の強化を行おうとしたものである。薩摩藩の密貿易は、新潟港などで幕府に弾圧された。しかし、大名は、すでに地域経済を成熟させており。改革は、大名の反抗が一因となって失敗した。その後に登場した阿部老中が、大名との協調路線、特に薩摩藩など雄藩と連合する政治をすすめたのは必然だった。こうして、雄藩は、ふたたび力強く台頭する。」(p51~52)

「尊王攘夷」のもう一つの”チャンピオン”長州藩はどうか?開国を決める時はあたりさわりのない回答しかしていないらしい。その後、1861年に「航海遠略策」…幕府と朝廷に海外貿易進出を進める…を引っ提げて政局に登場することになる。長州藩の周布正之助、高杉晋作そして木戸孝允らは、のちに長州の「尊王攘夷運動」を支えるのだが、この時ぐらいまでは横浜貿易への参加を試みるなど、「開国」で動いていたようだ。
ますます「尊王攘夷」運動ってナゾだなぁ~


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