« 2018年9月 | トップページ | 2018年11月 »

2018年10月

外国人を分断して、より厳しい管理になる!

 今の臨時国会では、外国人在留資格を大幅に見直し、新たな在留資格を作って外国人労働者の受け入れを拡大する「入管法改正」が大きな課題として上げられている。少子高齢化が進み、いわゆる「人手不足」産業も出て来る中で、外国人労働者に頼らないと日本社会が成り立っていかない…ところまで来たのだ。
 安倍首相は「移民政策ではない」、「人手不足の深刻な業種に限り、即戦力となる人材を期限をつけて受け入れるもの」と衆議院本会議で答弁している。入管法改正の概要は毎日新聞の入管法改正 受け入れ対象は人手不足深刻14分野
 改正案の柱は、一定の知識・経験を要する業務に就く「特定技能1号」(最長5年)▽熟練した技能が必要な業務に就く「特定技能2号」(在留期間の更新可能)--という二つの在留資格の新設。
 とあり、人出不足が深刻な14分野とは
 介護▽ビルクリーニング▽素形材産業▽産業機械製造▽電気・電子機器関連産業▽建設業▽造船・舶用工業▽自動車整備業▽航空業▽宿泊業▽農業▽漁業▽飲食料品製造業▽外食業
 なんだそうな。

 上記の人手不足産業では「技術実習生」「研修生」あるいは「語学留学生のアルバイト」という形をとって、外国人労働者を働かせているのが実情だ。「実習生」「留学生アルバイト」では、制度の趣旨にそった運用をちゃんとやっている所がある一方、正規の労働者でないところから、低賃金・無権利労働の温床となっているケースも多く、外国人労働者の人権を守る上でも問題となっていた。また、これまで日本は、外国人労働者について、高度な専門知識を有する人材に限り、労働者としての滞在を認めているものの、それ以外の「単純労働」については認めていなかった。新しい在留資格を作るということは、とりもなおさず外国人の「単純労働」を認めるということで、外国人政策を大きく転換するものだ。安倍首相が「移民政策ではない」と言っても、実質「移民」によって労働力不足を補おうとするものである。
 入管法改正により、外国人労働者が合法的に日本にやってくる…日本の労働力人口が減少するにつれ、否が応でも外国人労働者が増えることになるのだが、それに対し法務省は、これまで内局であった入出国管理局を再編・格上げして、外局の「入出国管理庁」にする方針である。法務省設置法などの改正も、今回の臨時国会で行われる予定だ。
 これによって、「違法な外国人入国者」への取り締まりが、より厳しく行われることになる…なんだ、アタリマエのことではsign02と思うなかれ…外国人労働者も含め、外国人を「日本社会に役立つか」そうでないかで「分断」し、違法・不法就労(なんら「犯罪」をおかしていなくても、なんらかの理由で滞在が違法・不法になっただけであっても)には容赦なく取締り、国外追放を行う体制を構築したいということなのだ。
 今年の秋、フジテレビで「タイキョの瞬間」という番組が放送された。外国人の強制退去を担う入国警備を密着取材したものだが、「不法滞在」状態になった外国人の事情や、入管収容施設における虐待、人権侵害などの状況を全く無視した、「入管PR番組」として多くの批判があった。記事リンクこちら このような番組が放送されることも、外国人労働者の増加を見越した上で、外国人に対する管理・抑圧をすすめていくという法務省、さらには日本社会のあり方の現れだろう。

 外国人労働者、新しい入国資格の導入については、これまでの「実習生」や「語学留学生のアルバイト」といったその場しのぎの、本音とタテマエが乖離した制度を運用するより、きちんと労働者=人としての権利を認め、運用していくことが大切である。同時に「人手不足産業」の賃金や労働条件、働き甲斐といった所も大いに改善していく必要がある。少子高齢化で、労働力が減っていくことは今更止めようがない…だが、後者をそのままに、外国人労働者を導入しても、結局「人の嫌がる仕事」を外国人にやってもらうという、差別の構造は変わらないからだ。左翼であれば、こうゆうこともきちんと考えないとイケナイvirgo

| | コメント (0) | トラックバック (0)

埋め立て撤回執行停止弾劾!

 本日、辺野古埋め立て承認撤回に対し、国土交通省が執行停止を決定した…Y!ニュース沖縄タイムス
沖縄県の辺野古埋め立て撤回 国交相が執行停止を決定 近く工事再開へ
 【東京】石井啓一国土交通相は30日、名護市辺野古の新基地建設を巡る埋め立て承認撤回に対し、効力を一時的に止める執行停止を決めたと発表した。31日にも沖縄防衛局に通知書が到達する見込み。撤回を不服として申し立てていた沖縄防衛局は決定を受け、早期に工事を再開する方針だ。
 辺野古沿岸部の埋め立て工事は、中断前に土砂投入の目前まで進んでおり、工事の再開で重大局面を迎えることになる。
 石井氏は30日の閣議後会見で「沖縄防衛局が埋め立て工事をできない状態が継続することにより、経済的損失ばかりでなく、普天間飛行場周辺の住民が被る事故などによる危険性の除去や騒音などの被害の防止を早期に実現することが困難となるほか、日米間の信頼関係や同盟関係にも悪影響を及ぼしかねないという外交・防衛上の不利益が生じる」と説明した。

 防衛相「速やかに工事再開」
 岩屋毅防衛相は執行停止の決定を受け、記者会見で「現地の気象状況を踏まえ、準備が整い次第、速やかに工事を再開したい」と述べた。
 防衛局は執行停止の申し立てで「普天間飛行場の危険性や不安の除去が遅れる」などと「重大な損害が生じる」と主張。県は行政不服審査法に基づき、国が「私人」の立場で申し立てるのは不適法と反論していた。

 おおむね執行停止の判断が出るのは2週間ほど(前回もそんなモンだった)かかるとされていたので、予想通りの展開ではあるが、県知事選挙で結果が出たすぐ後、また26日には沖縄県議会で、辺野古新基地建設に対する県民投票条例が可決されてすぐの、「執行停止」判断には、怒りしかない。徹底的に弾劾あるのみだ。
 安部や菅がいくら「沖縄に寄り添う」などと発言しても、行政不服審査法という法をねじ曲げ、沖縄防衛局が「私人」「市民」のふりをし、デタラメなやり方で沖縄県の正当な「埋め立て承認撤回」の執行停止をする…「法の支配」もへったくれもないやり方を続けている以上、だれも信用しない。

 今後、沖縄・辺野古現地での闘いが強化される。土砂搬入があるということで、当面の土砂搬出地、沖縄県本部、塩川港でも阻止行動・抗議行動が続けられるだろう…全力で決起・支援するとともに、県外での闘い、東京での抗議行動を強化しようsign03
 土砂搬入を阻止し、辺野古基地建設計画を白紙撤回させよう、安倍政権を打倒しようvirgo

| | コメント (0) | トラックバック (0)

明治維新をdisろう…その7 維新後は「長州レジーム」?

 おわらせるつもりで、あと1回だけ…ブログ「資本主義の終わり論2」8・8講演会に参加して の中に、次のような記述がある。

 講師は 明治維新で作られた国家体制を「長州レジーム」と呼んでいます。下関戦争で敗北するやそれまで唱えてきた攘夷を捨て開国に転向したように 覇権国には屈服・従属し それを覆い隠すためにも、民衆に対しては強権的に振舞い、官僚の思惑通りに民衆を操作しようとする体制です。この間の安倍の森友・加計問題や自衛隊日報問題での対応(平気でウソをつき、黒を白と言いくるめる手法)や官僚の安倍に対する忖度を見れば 第二次大戦の敗北で民主主義になったはずなのに 「長州レジーム」がいまも続いていると思いました。

 維新後の国家体制を「長州レジーム」とするのは、なるほど面白い視点ではある。だが、その2で示したように、長州は最初は「開国」で動いていたし、 その5 に示した通り、明治政府の「侵略思想」は吉田松陰のオリジナルではない。だから「長州レジーム」という呼び方は正確ではないだろう。
 「武力倒幕」は、薩摩の軍事力無くしては始まらず、薩摩の主導権の下で行われたとみるのが正しい。リンク先にもあるよう、「大政奉還」で江戸幕府がなくなっても、その後の政局で徳川を追い落とすため、西郷が徳川を挑発して「手下を使って浮浪者をかき集め、江戸市中において強盗・辻斬り・放火・強姦などの無差別テロをやったそうです。」…いわゆる「薩摩御用盗」というヤツ…しかしこの話、歴史が好きな人にとって80年代には常識化していたゾ、手塚治虫が幕末を描いた漫画「陽だまりの樹」にもそのような描写がちゃんとある…
 薩摩の軍事力で、日本列島を制圧し、ついでに「薩摩閥」で軍や政府をかためた…「男尊女卑」が激しい薩摩の「武士道」的なイデオロギーが、日本全国に広まった…このへんはいろいろ検証してみる必要があるのだが、維新後の体制はむしろ「薩摩レジーム」と呼んだほうが正確ではなかろうか?

 最後に、その「薩摩レジーム」を作った西郷隆盛について述べてみよう。

 体制変革、もしくは権力掌握のため、武力(ゲバルト)を行使するのが「正道」であると、あの時期に最もリアルに考え、かつ実行し、出来たのが西郷なのだろう。彼が理想とする社会のあり方、「革命思想」の内容については良く分からないが、「武力行使」の有用性について最も理解していた。そのため、「薩摩御用盗」のような汚い手段を使ってでも、「武力倒幕路線」を貫いたのだと思う。その辺が、なんら武力、ゲバルトの裏付けがない「公儀政体論」者との大きな違いである。
 ただ、彼の力をもっても、「武士階級」の完全解体までは至らなかった…その落し前をつけたのが、10年後の西南戦争である。西郷は桐野利秋ら薩摩の不平士族に「担がれた」形ではあるが、西南戦争という武力行使を行い、敗北することで、自らも所属する武士階級を完全解体したのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

明治維新をdisろう…その6「公儀政体論」は成り立ったか?

 そろそろこのシリーズも一応の「まとめ」みたいなことをしておかなければならない。その1 のところで、「、関氏が持ち上げる赤松氏が構想した政体、議会制民主主義が、なんの暴力も、テロリズムもなしに幕末に成立するわけないでしょ…という意趣返し」である。

 幕末において、欧米流の議会制度を取り入れて政治をしようという考え方を「公議政体論」と呼ぶ。提唱する人によって温度差があるのだが、徳川将軍家を元首とした上でその下に諸侯会議を置くというものから、公家・諸侯による上院と、庶民も含めた下院を組織しよう(赤松のそれは下院を普通選挙で選ぼうという画期的なものだ)というものまである。いずれにしても「諸侯」すなわち大名が「議会」の構成員として参加することが想定されている。

 諸侯による会議で物事を決めようとする事例が、幕末で2回存在した。ひとつは1893年(文久3年)の年末から数ヶ月行われた「参与会議」であり、もうひとつは1867年5月の「四候会議」である。「参与会議」は薩摩と会津・徳川が組んで行われた8月18日の政変で長州勢力を京都から駆逐した後、長州の処分と横浜の鎖港(攘夷の実行)をどうするか?という点について、薩摩藩主の父島津久光、越前藩前藩主松平慶永、宇和島藩前藩主伊達宗城、土佐藩前藩主山内豊信、徳川慶喜一橋徳川家当主・将軍後見職、松平容保会津藩主・京都守護職の6名が「朝廷参与」として任命され発足した。「四候会議」は第二次長州征伐が幕府側の敗北に終わり、また14代将軍家茂の死後、すったもんだのあげく徳川慶喜が15代将軍にやっと就任した後に、長州の処分(幕府との戦争に勝利したとはいえ、まだ「朝敵」扱いのまま)と兵庫開港についてどうするか?という点について、島津久光、松平慶永、伊達宗城、山内豊重(容堂)らで話し合ったもので、正式な機関ではないが、徳川幕府に対する諮問機関的なものとして発足した。
 いづれも長続きしていない…「参与会議」は横浜鎖港をめぐって島津久光と一ツ橋慶喜が激しく対立し、三か月ほどで崩壊した。「四候会議」は徳川慶喜も関与することになるのだが、やっぱり久光と慶喜の対立により一か月で破綻してしまう。「公議政体論」の前段となる「諸侯会議」の事例が、2回失敗しているのだ。
 失敗の理由としては様々あるだろうが、いずれにしても「会議」の参加者の身分が「諸侯」すなわち大名家の代表ということであれば、それぞれの「お家の事情」を反映させざるを得ない。島津久光なら島津家の、一ツ橋(徳川)慶喜なら、徳川家の都合が優先される。封建諸侯が領地や民衆支配のあり方などをそのままに「国の大事を決めますよ~」と会議に参加しても、実りの多いものにはならない。
 薩長による「武力倒幕」構想が具体化する中、徳川慶喜は「大政奉還」で幕府権力を朝廷に返上する。幕府を畳んでしまえば「討幕」されることはない、朝廷には政権担当能力はないので、いずれ政権は徳川に帰って来る。政権が「宙ぶらりん」であっても「公議政体論」による「諸侯会議」でヘゲモニーは握れるハズ…という徳川家にとって乾坤一擲の手である。徳川の領地400万石はそのままだし、幕府も軍制改革を行い、独自の「幕府陸軍」を持っていた。加えて榎本武明が率いる、開陽丸を持つ海軍もある…
 「大政奉還」後の、薩長による鳥羽伏見の戦いからはじまる戊辰戦争にはなんら「大義」なぞないのであるが、薩長がクーデターも起こさず、「公儀政体論」で政権運営をしたところで、別の形の徳川独裁が続いたであろう。ただ、「公儀政体論」を導入することで、諸侯とその家臣クラス、さらには下級武士や豪農・豪商階級が政治参加する道は開ける。その中でいずれ「徳川独裁」や、封建的な領地や民衆支配方法に対する不平不満が広がり、なんらかの形で「武力による解決」→「革命」に至る可能性は高かったのではないだろうかsign02
 薩長の武力倒幕を批判(批難)し、公儀政体論を重要視する人の中には、武力倒幕を批判するあまり「武力」を使うことも否定したがる人もいるだろう。だが「公儀政体論」をそのまま適用すれば、「公論」でもって日本が近代化していくというものでもない。いずれ何ら彼形で、「武力革命」を行うことになったであろうと思うが、どうかvirgo

| | コメント (0) | トラックバック (0)

変えよう!日本と世界(後篇)

 歌とカンパアピールが終われば、連帯ユニオン、関西生コン支部の西山直洋さんの「緊急アピール 権力の闘う労働組合つぶしと対峙し、働く仲間の先頭に立つ」である。
Dsc01575
 この間に関生にかけられた弾圧について説明するとともに、今の安倍政権が自分たちの都合の良い社会をつくるのに邪魔な勢力を、つぶそうとしている。運動を全国に広げて、韓国のキャンドル革命のように政府を倒そう!とあいさつ。

Dsc01576

 続いてもう一つのメイン、沖縄からの報告…まずは前名護市長の、稲嶺進さん。登壇とともに大きな拍手が巻き起こった。
 2月、自らが敗北した選挙について、本当にこの人は市長や政治家の「地位」というものにはこだわっていないなぁ~という感じで振り返るとともに、玉城デニー知事誕生を喜んだ。だが10月17日、政府が行政不服審査法による異議申し立てを行ったことを強く弾劾した。そして「安倍政権は早く海の底に沈めないといけない…大浦湾はダメですよ」と笑いをとった。
 その上で、辺野古新基地建設における新たに発覚した問題、海底の軟弱地盤や活断層、長島の海中鍾乳洞(国内唯一)の発見、滑走路からの「高さ制限」 に関わる二重基準(国立名護高専や小中学校はそのまま、電力の鉄塔だけは移設する)などに触れ、辺野古新基地は絶対にできない、こちらからもがんばっていきますと訴えられた。

Dsc01577
 続いて、「ヘリ基地反対協議会」共同代表の安次富宏さん。翁長前知事の「埋め立て承認撤回」に触れ、翁長知事亡きあと、二人の副知事がしっかり執務を代行し、8月31日に工事が止まったことを報告された。
 沖縄県知事選挙を振り返り、相手候補のスローガンは『対立から対話へ』だが、これは一種のネガキャンであった。玉城候補は「新時代沖縄」で、翁長知事の遺志を引き継ぐもの。玉城候補の総決起集会では、堂々と創価学会の三色旗が翻った。これが沖縄のアイデンティティですよsign03と述べられた。
 行政不服審査法については、選挙への影響を恐れて政府側が何もやらなかったため、裁判で仮処分ということが出来なくなった(本当に緊急性があるのならば、選挙にかんけいなく「仮処分」申請できたハズだ)ため、3年前と同じ方法でやってきたのだと分析された。その上で、17日から2週間ほど、今月いっぱいで審査結果がでるだろう。知事と現場の連携を密にした運動で迎え撃つと宣言された。
 そして、横田基地にオスプレイCV-22(特殊作戦用)が配備されたこと、佐賀県に陸自のオスプレイが配備されることを受け、全国で日本からオスプレイを追い出す運動をつくりだそうと提起された。7月の参議院選挙で野党統一候補を立て、安倍政権を打倒しようではありませんかsign03絶対に日本政府には負けませんsign03と宣言された。

Dsc01580
 この後、川口真由美さんの歌…「今こそ立ち上がろう」「人間の歌」「真実は沈まない」を披露。みんなで歌って盛り上がる。

Dsc01581
 だいぶ日が陰ってきました…

Dsc01583
 歌手、総出演。

Dsc01585  
 集会実行委員会事務局長の寺田道男さんから、まとめと行動提起。参加人数は650人とのこと。この集会、もう10年やっているわけだが、そろそろ安倍を倒そうsign02と提起。
 
Dsc01588
 インターナショナルの後は、デモでありますっhappy01

Dsc01589
 2梯団に分かれて、移動…

Dsc01590
 「梅田解放区」とかで掲げている「アベやめろ!」の横断幕を持つことに…これを持っていた関係で、デモ隊列のほぼ先頭に立つこととなった。

Dsc01593
 安次富さんらの、スグ後…赤いコートは、雨宮処凛さん。
 コースはいつもの通り、八坂神社横から四条通りを西に、四条河原町で右折して北上…京都市役所前に行くもの。

 コールは、米軍基地関係が目立ったような気がしたなぁ~「辺野古新基地絶対反対!」「岩国基地の強化反対!」「Xバンドレーダーいらない!」等々…
 もちろん、朝鮮半島情勢をみすえ、「休戦協定を平和協定に!」「東アジアの平和をつくろう!」等も。また、安部が消費税増税を表明したことから「消費税増税反対!」「税金は金持ちから取れ!」なんてのもあった。定番の「格差社会を打ち破ろう!」「人らしく生きられる社会を!」というのもあったが、せっかく雨宮さんが来ているのだから、反貧困がらみでもう少し具体的なコールは出来なかったものかなぁ~

Dsc01596
 まもなく、四条河原町を右折するので、車道の右に寄っているところ…

Dsc01600
 四条河原町では、こちらの速報 にもあるように、「フランスデモ」になりかけた。警官の数も少なく、右折時にデモ隊列がぐぐっと膨らんで、広がったのである。昔の学生なら、渦巻きデモをやっていただろう。多くの観光客も巻き込んで「解放区」が実現しかけたのである。

Dsc01602
 それに、今は皆さん、スマホでデモの様子をホイホイ撮影してくれますから、デモへの注目度は大きいぞsign03

Dsc01605
 なんだかんだで、京都市役所前に到着…ただ今回から市役所前まで道路を渡らず…

Dsc01606    
 手前の歩道に入って、流れ解散となる。

Dsc01608
 皆様お疲れ様でしたvirgo

| | コメント (0) | トラックバック (0)

変えよう!日本と世界(前篇)

 21日、第12回反戦・反貧困・反差別共同行動in京都「変えよう!日本と世界」に参加した。
 八坂神社から円山公園へ、いつもの道を通り、円山野外音楽堂へ…13時過ぎに入り口付近でビラを撒く人あり。
Dsc01563

 会場の中…まだまだ参加者は少ない。

Dsc01562
 入口で書籍等の販売あり。トークに参加する雨宮処凛さんの新刊「非正規・単身・アラフォー女性(光文社新書 2018年5月)」を購入…雨宮さんのサイン入りだhappy01

Dsc01564
 「わっしょい、わっしょい!」と、釜ヶ崎の労働者の皆さんが入場してきた…

Dsc01565
 集会前の空き時間に、歌が披露される。いい声を出されていた。
 13時半になったので、集会開始…主催者あいさつと基調ということで、集会実行委員会・代表世話人の仲尾宏さんの報告。
 9月31日の沖縄県知事選挙勝利と、韓国ろうそく革命から、東アジアのうごきが大きく変わる…東アジアの市民、民衆の連帯を訴えるとともに、グローバリズムが跋扈し、アベノミクスの成果なぞ何もない、世の中が良くなったという実感はだれも持っていない…これは資本主義の腐朽の極みであるsign03等々を訴える。
 基調報告なのである程度長くなることはしょうがないのだが、集会冒頭から話があっちこっち、長々と報告されるのもなぁ~という感じだ。

Dsc01566_2
 連帯あいさつということで、四月に京都府知事選挙に立候補した、「安部改憲NO!アクション京都」の福山和人さん。安部首相は、9条に自衛隊を書き加えても何も変わらないと言っているが、それでは「改憲」の必要はない。だが2015年の戦争法通過後の自衛隊は、その前の自衛隊とは違う。(「違憲」の自衛隊であるということ、憲法にこれを書き加えるのは、それを無理やり「合憲」にしてしまうことなのだ)戦争法後、自衛隊は南スーダンに派兵され、武装集団に襲撃されている。政府軍、反政府軍、自衛隊の3者で戦闘になった可能性もあった。戦争をするのは私たちの子どもや孫の世代である…と、安倍改憲に反対した。またm憲法12条にある「不断の努力」を呼びかけ、選挙では12条を思い浮かべながら闘ったと述べられた。

Dsc01567_2
 「戦争あかん!基地いらん!関西のつどい実行委員会」の中北龍太郎さんは、沖縄県知事選挙で玉城デニーさんが当選した、これだけはっきりした県民の意思が示された以上、基地建設を進めることは出来ない。だが政府は行政不服審査法という卑怯旋盤きわまりない手続きで、基地建設を進めようとしている。絶対に許されないことだ。「県民投票」と辺野古現地の闘いをがっちりと進めて行く…3000万人署名を成功させるとともに、市民と野党の協力で自公を2/3以下にする。1日も早い安倍政権の打倒をsign03訴えた。
 服部良一元衆議院議員から、政局の話題。昨日は大阪で800人の集会があったこと、玉城デニーさんの選挙で、「励ます会(政治資金集めパーティー)」に250名も集まり、「3本」のカンパが送れたとの報告。
 朝鮮半島情勢については、関係諸国の本気度からいって、確実に和平は進む。これは安全保障だけでなく、経済でも大きく変わることだ。シベリア鉄道でヨーロッパからロシアを経て、朝鮮半島さらには日本まで鉄道がつながり、日本から1週間でヨーロッパに届くようになる。
 アメリカの世界戦略は、対立の火種を東アジアに残しておくことだった。それが止まる。東
アジアで冷戦が終わることで、「戦争法」の前提であった安全保障における厳しい環境がなくなる…もういいかげん、安保条約はいらないんじゃないかsign03我々が元気なあいだに、安保条約を無くしましょう。そうゆうことを代弁できる政治勢力を作りましょう…ということだった。

Dsc01569
 続いて、「アベノミクスの失敗と貧困」と題して、雨宮処凛さんと、司会との講演トークである。 雨宮さん自身、「団塊ジュニア」世代で、就職氷河期を過ごした「ロストジェネレーション」世代である。2006年から若者の生きづらさや貧困について書き、発信してきた人だ。
 2008年のリーマンショックから「派遣切り」「年越し派遣村」と貧困問題が可視化、「発見」され、注目を浴びた。政権交代もあったが、何の変化もないまま安倍政権になった。ロスジェネ世代の状況は全く変わっておらず、30代だった「若者」は40代になっている。一方、リーマンショック回復後の「いいとこ取り」をしたのが安倍政権・アベノミクスであり、若い人は「今より就職が悪くなるのは嫌だから、安倍さんがいい」というふうになっている。
 「失われた20年」というが、ロスジェネ世代は20代から40代の間、就職して、結婚して、子供が出来て、家を買ってという、親の世代がやってきたことを奪われている。全部、手に入れていない。そういうことも親世代から理解もされなかった。
 世の中にはいろいろ、モザイク状に差別がある。自分のような「単身・フリーランス・女性」であれば、マンションの入居審査に落ちる…保証会社に月7000円も支払わなければいけない。高齢者も、アパート、マンションには入れない。保証人は「男性」でないとという意識も社会にある。私たちの年代では親の「介護」が始まる年代だが、都会で暮らしている「娘(息子ではない)」がめんどうみてあたりまえ、都会から呼び戻すという「謎のシステム」も存在する。
 「一億総活躍」「女性活躍」とか言われているが、「底」を上げてゆく必要があるのに、年収700面あるような層ばかり見て、「底」をみていない。みんなが「輝ける」わけはないのに、女性だけが仕事、家事、育児で大変になるモデルしか提示できていない。男性も家事で「活躍」して欲しい、賃労働だけが「活躍」か?
 「生活保護バッシング」をしてきた片山さつき地方創生大臣は、男社会の中で「活躍」してきた「名誉弾性」だ。「貧困バッシング」「生活保護バッシング」は、今や「正真正銘の貧困か?バッシング」になった。これは「お前はつらいけど、オレだってつらいんだ!」ということ…こいゆうことは共有して変えてゆきたい。しかし今は「敵」の設定が人によって違う…ありとあらゆる方法で「敵」をつくって、ガス抜きが行われる。本当の敵にはゆきつかないので、状況はまったく変わらない。奪われた、剥奪された感は、全世代が持っている…「頑張れば報われる社会」にしたいが、一部の人には「どうがんばっても報われない社会」であることが分かっている。もっとドンドン、おかしくなっていくのではないか?今を維持するため、今の政権を支持している…政治が自分の人生をデザインするツールではないということだ。
 玉城デニーさんとは、安保法制反対の時にお会いした。知事になるとは思っても見なかったが、当時からムードメーカーで、周りを盛り立てる人だった。選挙ではデマやフェイクが飛び交って???という情況だった。沖縄の基地問題を丁寧に取材したプロの取材者に対し「ネットを見ろ」とメールする人間がいる…こっちが正しいことを言っているからOKということにはならない。
 一番最初の海外旅行が朝鮮だったこともあり、朝鮮半島情勢については感動してみている。今、「素人の乱」の人たちといっしょに、アジアの「活動家」たちと飲み会をしたりしている。国がどうこうと言う前に、民間人同士、仲良くしてゆこうというものだ…云々。

 雨宮さんのトークは、ざっとこんなもので、内容は深刻だ…「希望」は当面はないけれど、最後の「素人の乱」の活動で少しは希望を持ちたい…

Dsc01571
 トークの後は、シンガーソングライターのよしだよしこさんの歌と

Dsc01572
 趙博さんの歌…三線と「木魚」ライブ…ないないづくしの「アホダラ経」である。
 その後、カンパのお願い…後半に続く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大洗「ガルパン」聖地巡礼(後篇)

 商店街から、大洗のメインストリートを海側に左折する。
Dsc01407

 自動車修理工場には、劇場版、最終章から登場、サメチームの村上のパネル。

Dsc01408
 海に向かったのは、大洗マリンタワーに登るため…地上60mの展望台は、320円ナリ。
Dsc01409
 登ってみれば、こんな感じ…北海道に渡るフェリーターミナルがある。

Dsc01411
 陸地のほうは、こんな感じ…右下は温泉施設「ゆっくら健康観」がある。

Dsc01410
 大洗ご当地キャラ「アライッペ」だそうな。ちょっとキモカワcoldsweats01
 マリンタワーには「ガルパン喫茶Panzer Vor」があるのだが、ちょっと値段が高めなことは分かっているので、今回はパス…
 1階は土産物とか売っていて、ガルパングッズ以外のものもけっこうあるぞ。

Dsc01416
 土産物と昼食を。「まいない市場」のある大洗シーサイドステーションへ…

Dsc01417  
 まいわい市場の入り口…ネトゲチームのぴよたん、ねこにゃー、ももがー
 市場は野菜、果物その他加工食品が売られている。ガルパン商品もあるぞ。

Dsc01419
 シーサイドステーションのエスカレーター…劇場版でここを知波単、福田タン操る九十五式軽戦車が降りてゆくシーンがある。
Dsc01420
 シーサイドステーションは、商業施設+その他いろんな施設というコンセプトらしいのだが、残念ながら空きスペースも多い。土曜の昼だが、人が多いわけではない。

Dsc01422
 しかし、ちゃんと「ガルパンギャラリー」があるのだ。ちょっとした展示と、ガルパングッズを売っているぞ。

Dsc01424
 で、食堂で昼食…「みつだんご」がまだ腹に残っているので、量は少ないがフンパツして「常陸牛バーガー」セット850円を食す。
 ところが、バーガーがなかなか出てこないsign021時間ぐらいぼーっと待っていたのだが、どうやら「忘れられていた」らしい。オレンジジュースの氷がすっかり溶けて、薄くなってしまった。
Dsc01425
 気を取り直して、また街を歩くことに…アメリカ古着を取り扱う「クロ―ゼット」さん。
Dsc01426
 「人間が朝の6時に、起きれるか!」の冷泉麻子タンが恐れるおばぁ、冷泉久子さんのパネル。

Dsc01427
 駅のほうに戻る道で、1年生チーム、大野アヤたん。

Dsc01428  
 道路整備を記念した、像が立っている…東日本大震災後、津波からの避難も考慮して整備されたものらしい。

Dsc01430    
 駅に戻って来た…売店ものぞいてみる。「りんてつ」のガルパン・ラッピング車両のBトレインショーティーを売っていたぞ。
Dsc01432
 駅に留置してある、ラッピング車両…「サメチーム」が居るから、最近のものだね。

Dsc01435
 こんなラッピング車両もあるよ。

Dsc01434  
 新型車両8000系(右側)で、水戸に戻ろう…左は鹿島神宮行き、6000系。
 ではではvirgo

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大洗「ガルパン」聖地巡礼(前篇)

 

予告していた通り 三里塚全国集会の前に、大洗に聖地巡礼に行ってまいりましたhappy01

 夜行バスで水戸に直行…ゆっくり朝食をとった後、鹿島臨海鉄道 (りんてつ)で大洗へGOsign01
Dsc01355
 「りんてつ」は随分前に、完全乗車終了している。

Dsc01359

 「あんこうチーム」の皆さんが、お出迎え。

Dsc01361
 大洗駅の駅舎…劇中ではこの駅前広場も戦車が走行する。

Dsc01362    
 顔出しパネルが2枚もある。

Dsc01363
 インフォメーションコーナーの前においている、鉄道関連機器。 「るるぶ」で前もって行くコースは決めているので、インフォメーションはちょっとのぞいた程度。  それでも案内図とかおいてあるので、下調べなくても時間があれば「聖地巡礼」は可能。
 駅からしばらく歩いて、商店街を行くことにした。

Dsc01365
 いきなり「自動車部」さんであります。

Dsc01368    
 歴女チーム、カエサルたん。

Dsc01369
 「バレー部」キャプテン磯部典子タン。
 朝、まだ早いので開いている店は少ない。

Dsc01370  
 聖グロ、ダージリン様がおられるのは、割烹旅館、肴屋本店…もちろん営業している。劇中では戦車がカーブを曲がり切れず、ここに衝突している「名所」だ。

Dsc01372
 黒森峰、逸見エリカ様。
 他にもキャラクターパネルは沢山あるのだが、全部写真撮っていると大変だ。あと、長く屋外に置かれているものは、どうしても退色傾向がある。こういったパネルもメンテナンスが大変だなぁ~と実感した。

Dsc01377
 で、ずぅ~っと商店街を行くと、大洗磯前神社にぶちあたる。今回の巡礼の目玉の箇所だ。

Dsc01380
 坂道を上って、神社へ…
Dsc01382
 立派な社殿である。
Dsc01381
 こうゆうものが目的なんじゃなくて…

Dsc01384
 この海を臨む鳥居と、石段だsign03

Dsc01385  
 劇場版では、この急な石段を、あんこうチームのⅣ号戦車が下りてゆき、プラウダ高校のカチューシャたちも下りてゆくのである。(劇中では手すりは描かれていない)
 海も良く見えるので、晴れていたら凄く景色がいいんだろうなぁ~sun

Dsc01388
 神社周辺、海沿いにも「聖地」はあるのだが、とりあえず元来た道を戻ろう…プラウダ高校、カチューシャたん、ノンナたんは、なぜか屋内に収納されていた。

Dsc01393  
 風紀委員、ゴモヨがいるのはスルガヤ薬局。

Dsc01392_2
 年宝菓子店には、あんこうチーム、秋山優花里殿がいる。

Dsc01391
 中にも秋山優花里殿がいるぞ、サンクス制服の「潜入」スタイル…ここで大洗女子学園の校章をデザインした「増加装甲飴」を購入(写真に写っています) 店内には戦車模型なんかも飾られていて、別のガルパンさんがお店の人と話していた。

Dsc01398    
 あんこうチームにして、現生徒会長の五十鈴華さんが立つのは、「味の店たかはし」さん。

Dsc01396
 ここの「みつだんご」はおススメhappy01 1本60円と安いmoneybag 出来立てのだんごは柔らかいが、けっこうボリュームはある。5本300円で腹が一杯になる。だんごそのものには味がほとんどなく、みつときなこの味を楽しむ。
 店内で食べていたら、バイク乗りの人たちがやってきて、「安い!」と言いながら買って行った。

Dsc01399
 横には駐車場もある…バイク乗りの人が来るように、もともと大洗のあたりは太平洋を望むツーリングコースでもあるのだ。
Dsc01401
 風紀委員、そど子がいる「大進」さん…店の主人もパネルになっているのもある。
Dsc01404
 聖グロ、オレンジペコたんがいる「VINTAGE CLUB MURAI」さん…紅茶ばっかり飲んでいる「聖グロ」だが、ここは酒を飲むところ…

Dsc01406
 歴女、おりょうさんがいるのは、玉屋さん…もともと菓子屋だった所が、軽食・甘味処として2017年に再オープンしたもの。

後篇に続くvirgo

| | コメント (0) | トラックバック (0)

辺野古不服審査請求弾劾!

 日本政府が辺野古新基地建設で再びキバをむき出し始めたsign03Y!ニュース朝日新聞より
辺野古移設で国が不服審査請求  県の埋め立て撤回に対抗
 岩屋毅防衛相は17日午後、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設をめぐり、石井啓一国土交通相に対し、行政不服審査法に基づく不服審査請求を行ったと発表した。沖縄県による辺野古沿岸部の埋め立て承認撤回に対する対抗措置。裁決が出るまで撤回の効力を一時的に止める執行停止も申し立てた。
 岩屋氏は防衛省で記者会見し、行政不服審査法による手続きを踏んだ理由について「様々な方法を検討したが、できるだけ迅速に当面の問題を解決し、目的の達成に向かって進みたいと考えた」と述べた。防衛省関係者によると、沖縄防衛局職員らが17日午後1時半ごろ、東京・霞が関の国交省に関係書類を提出した。
 移設工事をめぐり、沖縄県が8月末に埋め立て承認を撤回して以降、埋め立て承認の効力が失われ、移設工事は中断している。今回の措置により、執行停止が認められれば、政府は移設工事を再開する方針だ。
 不服審査には数カ月かかるとみられるが、執行停止の判断は、2015年の同様の事例では2週間程度で出た。こうした経緯を踏まえ、早期の工事再開を目指す政府は、裁判所への申し立てとは異なる対抗措置を採用したとみられる。移設作業の再開を急ぐ姿勢に対し、県が反発をさらに強めるのは必至だ。(藤原慎一)…以下略…

 またもや行政府の一機関(防衛省)が別の行政機関(国土交通省)に審査を求めるという離れ業を使ってきた。しかも「執行停止」判断がでれば、すぐに工事を再開するという。
 菅官房長官や小泉進次郎が3回も選挙中沖縄を訪れ、政府・与党が全力を絞って攻めてきた沖縄県知事選挙で、「オール沖縄」の玉城デニー氏が8万票もの差をつけて圧勝した。政府は沖縄の民意を最大限尊重し、辺野古新基地建設をあきらめるべきである。しかし、デタラメな手法を使ってなりふりかまわぬ基地建設工事を強行しようとしている。絶対に許さないsign03 
 しかも埋立て承認撤回の理由の一つである、大浦湾側の軟弱地盤について具体的対策も取らず(取れず)、そのまま埋め立て工事が完成するワケはない。辺野古新基地は当面、完成する見込みすらないのだ。今、護岸を撤去すれば海は元にもどるかも知れない。しかし土砂を投入してしまえば、もはや元に戻すことは不可能だ。出来もしない基地建設に、これ以上税金を投入してはならないのだsign03

 沖縄県側は、引用記事の続きによると
■玉城デニー・沖縄県知事「対話求めた5日後に…」
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画で、県が埋め立て承認を撤回したのに対し、防衛省が国土交通相に不服審査請求と撤回の効力を一時的に止める執行停止を申し立てたことについて、玉城デニー知事は17日、対話を求めて安倍晋三首相らと12日に面会したことを挙げ「そのわずか5日後に対抗措置を講じた国の姿勢は、知事選で改めて示された民意を踏みにじるもので、到底認められない」とするコメントを出した。
 また行政不服審査制度を国が利用することについては「制度の趣旨をねじ曲げた、違法で、法治国家にあるまじき行為と断じざるを得ない」と批判した。

 県側は「対話」を求めているのだ。県の話をちゃんと聞けsign03と…長年、対立をしていた朝鮮と米国、朝鮮と韓国も「対話」で物事を解決しようとしている。だが、日本政府は対話を拒否し、問答無用の基地建設攻撃をかけてきたのだ。

 断じて許さないぞsign03

 防衛省、国交省、首相官邸等を包囲し、怒りをぶつけようsign03安倍政権を打倒しようvirgo

| | コメント (0) | トラックバック (0)

10・14三里塚全国総決起集会(デモ編)

 さて、三里塚でデモでありますっhappy01
Dsc01501

 勝手連でどこの隊列に混ざるか…今日は実質、3名と少ないので、蜂起派のみなさんに混ざって歩こう…ということに。蜂起派さんはほとんどノーヘルで参加。

Dsc01506
 白ヘルの皆さん、ご出発。

Dsc01505
 他の皆さんも続々と出発…青ヘル、赤ヘルは最後のほうに出発。

Dsc01507
 ほぼ最後尾を歩くことになりました。私たちの後は、野戦病院。その後ろは、警察の後備警戒であります。
Dsc01509
 市東さんのお宅の前…強制収用反対の看板も健在。

Dsc01510
 滑走路下をくぐる、カルバートボックスを行く。

Dsc01511
 ひたすらフェンスが続く空港横を歩く…

Dsc01514
 交差点を右折して、小見川県道を北上する。

Dsc01516
 横を歩く機動隊なんですが、どうもこの場所で「新人研修」をやっているように見受けられた。なんだこりゃ~

Dsc01517
 とにかく北上…コールは前を行く「統一委員会」さんのものに合わせている。

Dsc01523
 県道から右折して、南台畑入り口に入る。
Dsc01521_2
 機動隊がこんな形で、待機。

Dsc01524    
 この南台の畑のところで折り返す…しばし待機中。この待期期間、草加さんと中核派の白ヘルの人たちが、勝手連独自プラカードについてなごやかに談笑するという、十数年前では絶対にありえない光景が見られたのであった。

Dsc01525_2
 これは別のグループとの談笑の図…こんな感じですかねhappy01

Dsc01529  
 白ヘルの皆さん…

Dsc01530
 青ヘルの皆さんです…

Dsc01531
 折り返し地点での待機は終了…動き出します。

Dsc01533
 県道を南下…もときた道を引き返す。

Dsc01535
 ハイ、また機動隊が交差点を「封鎖」しています。

Dsc01536
 デモもほぼ終盤…もうすぐ市東さんのお宅の前でしょうか…この後、集会場の畑前の「団結街道」にデモが入っていって、流れ解散となります。

 で、集会後、駅までどうやって行くかsign02
 「共産同」のバスが空いているカモしれない…ということで、彼らについて行ったのですが、空席が2席しかなかったので、仕方なく乗車せず…結局、空港第二ターミナル駅まで歩いてゆくことに…

 天神峰のバス停から、歩いておよそ35分ぐらいで到着。

 その後、日暮里に出て、打ち上げであります…「ガルパン」と「血小板ちゃん」の布教活動sign02も行いました。
ではではvirgo

| | コメント (0) | トラックバック (0)

10・14三里塚全国総決起集会(集会編)

 昨日の「10・14三里塚全国総決起集会」に参加してきた。

 11時前にJR成田駅に到着…京成成田駅のウラまで行って、コミュニティーバスの時間を確認…11時44分発である。集会は12時開始なので、ベンチに座ってコンビニおにぎりの昼食。バス停に戻ると、「今日の三里塚集会参加者ですか?」と聞かれ、送迎の車に案内されたのだが、座席は残りわずか…向うに関西から来た知り合いの姿が見えたので、その方たちといっしょにコミュニティーバスで行くことにした。
 集会場所は「天神峰」バス停の近くなのだが、あやまってその先の「東峰」で下車…どこだどこだと集会場を探し、天神峰まで戻ることに。
Dsc01449
 そこそこ機動隊や公安が出張っています。

Dsc01451
 約15分の遅刻…集会はもう始まっていて、萩原富夫さんの基調報告中。

Dsc01456
 連帯のあいさつ…国鉄千葉動力車労働組合。田中委員長。

Dsc01458
 関実の松原さん…8月に亡くなられた、山本善偉さんをしのび、思いを語られた。
 関西生コン支部のあいさつも予定されていたようだが、組合の大会があるということで連帯メッセージの代読。

Dsc01462
 市東孝雄さんのあいさつ、決意表明。 請求異議裁判は9月27日、最終弁論が行われ結審し、12月20日が判決公判である。
「1億8千万やるから、農業を辞めろという判決は絶対に許さない…不当判決をださせない闘いはやれればいいなと思います。…農地を取られるということは、命を取られるということ。これからも皆さんに負担をかけると思いますが、私も頑張ります。」とのこと。
Dsc01466
 続いて顧問弁護団の皆さん…葉山弁護士、一ノ瀬弁護士  、大口弁護士、吉岡弁護士の順番でトーク。大木(小泉)よねさんにかけられた攻撃を、再び市東さんに加えるのか!必ず粉砕します。とのこと。
Dsc01473
 市東さんの農地取り上げに反対する会から…茨城・群馬を代表した、群馬合同労組の戦いが報告された。また、中央では11月18日(日)に、文京区民センターでシンポジウムを行うことが報告された。

Dsc01468    
 会場の畑は、すぐ近くで航空機が発着するため、、非常にやかましい。

Dsc01457
 青ヘル、赤ヘルの皆さん…

Dsc01471
 白ヘルの皆さん…

Dsc01475    
 全国農民会議からの発言…自動車の関税を上げさせないために農業を売り渡す安倍農政を批判した。
 西日本豪雨の被災地、岡山からも発言あり。自治体の民営化が、農業の民営化につながっていると批判。

Dsc01476
 福島からの訴えという事で、椎名千恵子さん。福島の事故をなかったことにさせない。診療所運動の新しい地平と、その中から新たに立ち上がった人がいることが報告された。

Dsc01477    
 沖縄から、名護市議の河野さん…9月9日の名護市議会選挙で当選し、3期目に入ったことを報告。辺野古新基地建設反対を掲げ、前市長の稲嶺さんも全国を飛び回っている。国策とたたかう地方議員の一人としてがんばるとあいさつされた。
 この後カンパアピール…カンパ隊が会場を回る…
 住民・市民団体からのアピールということで、若狭の原発を考える会からメッセージ代読。
 部落解放同盟全国連絡協議会からは、東京の狭山集会について報告。
Dsc01482
 全国水平同盟から、改憲阻止・安倍打倒を三里塚から闘って行くとあいさつ。

Dsc01483
 婦人民主クラブ全国協議会、その後は手話実の方があいさつ。
Dsc01486  
 「都政を革新する会」から、北島さん。そして来年の統一地方選挙で、杉並区議に立候補予定の洞口さんsign03があいさつ。 (区議ならなんとかなりそうsign02

Dsc01488
 山谷で闘う労働者、その後福日労からあいさつ。
 「星野文明さん再審連絡会」から、高松が運動の拠点になっている、再び全国集会を高松で行うとのこと。
 なお、デモ出発が14:30~と早く、またほかの発言が長いこともあって、予定されていた共闘団体決意表明はなしということになった。
 で、集会の終わりになって、やっと「三里塚勝手連」到着~
Dsc01493
 「勝手連のぼり」は持ってこず、オリジナルボードを取り出す。
 反対同盟から、本日の集会参加は680名とのこと。
 動労水戸、石井委員長から、常磐線全線開通攻撃に対する闘いと、JR本社への署名提出行動報告があった。

Dsc01499
 デモコースの説明が行われた後、デモに出発~virgo

| | コメント (0) | トラックバック (0)

変えよう!日本と世界

 集会のお知らせ
10・21国際反戦デー 第12回 反戦・反貧困・反差別共同行動in京都
変えよう!日本と世界
9条改憲阻止!東アジアの平和を妨害し政治を私物化する安倍政権を倒そう!

S2018_0001_2

2018年10月21日(日)午後1時半~(開場午後1時)
京都・円山音楽堂 (祇園・円山公園内)
入場無料・雨天決行・集会後デモ(京都市役所前まで)
講 演
稲嶺進さん「沖縄・辺野古への米軍基地建設を許すな!」
雨宮処凛さん 講演トーク「アベノミクスの失敗と貧困」

安次富浩さん 辺野古の現地報告
沖縄・平和を歌う 川口真由美さん

公演 反戦・平和を歌う
趙博さん
よしだよしこさん

〇政局を語る 服部良一さん
〇主催者挨拶と集会基調、連帯再撮など

主催 反戦・反貧困・反差別共同行動in京都実行委員会
連絡先 〒601-8003 京都市南区東九条西山王町7 NPO社会労働センターきずな内
問合せ先 ☎090-5166-1251(事務局長・寺田道男)Fax 075-981-4121
賛同/カンパ振込先 郵便振替(番号) 00950-5-108500 加入者名 反戦・反貧困・反差別共同行動(きょうと)
 今年に入って日本と東アジアの情勢は大きな変動の時期に入りました。朝鮮半島をめぐる情勢は、南北の首脳会談、それに触発された弁長首脳会談の開始が、大きな変動をこの地にもたらしています。しかし日本の安倍政権はこれらの動きに対して「蚊帳の外」であるばかりか、「北朝鮮の脅威」を依然として煽り、朝鮮半島の「南北和解」による平和と統一の動きに敵対しています。
 今年の10月21日の国際反戦デーは、「戦争する国」づくりに奔走し、政治を私物化する安倍政権を一刻も早く退陣に追い込み、そして市民の側に政治をとり戻す機会です。沖縄情勢や労働者・若者をとりまく危機的な情勢を見据え、明日への活力を培うために、ともに闘うために、京都の円山音楽堂への結集を呼びかけます。

スローガン
①朝鮮半島と東アジアの平和を!朝鮮戦争の休戦協定を平和協定に!
②戦争法廃止!集団的自衛権の行使を許すな!秘密保護法・共謀罪廃止!
③憲法改悪反対!天皇の「元首化」を許すな!
④辺野古への米軍基地建設を許すな!
 米軍普天間基地の即時撤去を!オスプレイの配備撤回!日米地位協定の抜本改正を!南西諸島の自衛隊配備を許すな!どこにも基地はいらない!
⑤京丹後の米軍Xバンドレーダー基地の撤去を!
6⃣すべての原発を廃炉に!核燃料サイクルをやめろ!原発輸出をやめろ!
 政府・東電は事故の全責任を取れ!被曝労働を強制するな!
 放射能汚染から子どもたちを守れ!
⑦アジア民衆への加害の歴史をかくすな!
⑧格差社会を打ち破り、人らしく生きられる世界を!
⑨あらゆる差別・排外主義に反対し、人権を確立せよ!
⑩モリ・カケ疑惑を徹底的に追及しよう!
⑪消費税廃止!税金は金持ちと大企業から取れ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018関西のつどい

 集会のお知らせ。

 10/20とめよう!戦争への道
 めざそう!アジアの平和
 2018関西のつどい

S2018_0001
 10月20日(土)PM1時開場ー1時半開会
 閉会後デモ出発
 於 エルおおさか (2Fエルシアター)
 資料代 500円(大学生300円/介護者・高校生以下無料)※手話通訳あり
大阪平和人権センター/戦争あかん!基地いらん!関西のつどい実行委員会/戦争をさせない1000人委員会・大阪の三者共催

東アジアの平和の道を踏み固めよう!
辺野古新基地建設強行を許さない!
 米朝首脳会談で両首脳は、朝鮮半島の平和を構築すると宣言しました。この共同声明は、朝鮮半島・東アジアにおける平和への大きなうねりをつくりだしました。もはや9条改憲と辺野古新基地建設の根拠は失われています。ところが、安倍政権は、未だ改憲と新基地建設を推し進めています。
 3000マン全国署名運動の成功で改憲をとめ、埋立承認の撤回、県民投票、知事選勝利で新基地建設をストップしよう!安倍政権の早期退陣を迫ろう!核兵器禁止条約を早期に批准しよう!

講演者
■稲嶺 進さん
 1945年沖縄県名護市生まれ、1972年名護市役所に就職し、2010年の名護市長選挙に「普天間飛行場県内移設反対」を掲げて初当選し2期勤めるが、2018年の3期目をめざしたが果たせなかった。
■安次富 浩さん
 1946年沖縄県金武町生まれ。1982年、一坪反戦地主会設立に参加。98年「ヘリ基地建設反対協議会」共同代表になり辺野古新基地建設反対運動に取り組む。2009年「辺野古・違法アセス訴訟」原告団長。沖縄意見広告運動・全国世話人
■川崎 哲さん
 1968年東京生まれ。ピースボート共同代表。2017年にノーベル平和賞を受賞した国際NGOネットワーク「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」国際運営委員。著書『核拡散』(岩波新書)で日本平和学会第一回平和研究奨励賞を受賞。雑誌『世界』(岩波書店)をはじめ国内外のメディアに寄稿多数。恵泉女学園大学非常勤講師。日本平和学会会員、日本軍縮学会会員・編集委員。

■賛同費
団体:一口3000円/個人:一口1000円
■郵便振込先:00980-6-101680
 戦争あかん 基地いらん 関西のつどい

連絡先―大阪平和人権センター(℡06-6351-0793/Fax06-6358-163)/しないさせない戦争協力関西ネットワーク(℡06-6364-0123/Fax06-6364-5247中北法律事務所気付)/大阪府教職員組合(℡06-6765-1558)/自治労大阪府本部(℡06-6242-2233)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

明治維新をdisろう…その5、吉田松陰思想編

 さて、吉田松陰の思想についてみてみよう。

 「勤王の志士」なんて、天皇がエライ!としか考えてない、民衆のことなんか考えていないんじゃ~!!!という「偏見」というか、時代制約と「武士階級」にいたことの限界性を考えれば、しょーがないなぁ~という点は前提としながら、「じゃぁ、吉田松陰はどうなの?」というところの考察だ。
 ネタ本は「FOR BIGINNERS 吉田松陰」である(80年代に松陰評価の立場で書かれたものだから、その後の研究、その他による別の評価もあるだろう…ということを念頭においてね。)

 1851年12月、江戸に遊学にでていた21歳の松陰は宮部鼎蔵(後の肥後勤皇党の代表的人物で、1864年の池田谷事件で負傷、自刃)と東北を視察する旅に出た。(長州藩はこの旅の”許可”をしていなかったため、松陰はこの時「脱藩」したことになる。)
 「ふたりは白河、会津、新潟、そして佐渡へ渡った。初めて踏んだ東北の地で、松陰は「その山水は、吟人墨客の観に適すといえども、その農桑の業においては困苦もまた如何ぞや」、と農民と農民のおかれた過酷な農事状況に目を向け、佐渡では囚徒や無頼の徒が働く金山の坑内に「衣を脱ぎ一短弊衣を着、縄を以って帯となし」という鉱夫と変わらない姿で地底深く入り、その現場をみた印象を「……おおむね四十人ばかり昼夜更番す。強壮にして力あるものと雖も十年に至れば羸弱(体が弱る)用に適せず。気息奄々あるいは死に至る、誠に憐れむべきなり」と怒り、涙で記している。
 当時の武士で見学のために坑内に入ったのは彼だけだろうし、劣悪な環境と過酷な支配と賃金の安さを指摘した武士も彼だけだろう。」(p48~49)
 「士たる者は三民(農工商)の業なくして三民の上に立ち、任君(君主)の下におり、君意を奉じて民のために災害渦乱を防ぎ、財政相たすけるをもって職とせり。然るに今の士たる者、民の膏血をしぼり、君の俸禄を盗み、この理を思わざるは実に天下の賊民と言うべし。」(p51)

_0001  てなことが書かれている…少なくとも、政治は民衆のために行うもので、当時の政治はそうなってない
sign03と考えていたことは事実だろう。その「理想」のための「思想」として、「天皇を中心とした政治」という…幕藩体制下ではある意味「革命的」だった…尊王思想ということだ。
 彼の「攘夷思想」は以下のようなものだったそうな。
「鎖国はもとより苟偸(一時のがれ)の計にして末世の弊政(悪政)なり」と姑息固陋な攘夷主義者を指弾し、「……万国を航海つかまつり、知見を開き、富国強兵の大策相立ち候よう仕りたき事に御座候」(『続愚論』)という開明主義者でさえある。ただ阿片戦争などの事実から松陰は西欧諸国を無法な侵略者とみていたのだが、それがペリーの恫喝外交によってその正体を確認した。これに屈して開国することは民族の自立、自決、自由を失う亡国の道だと彼は考えていた。
 その渦中にあって戦おうとしない者は「その罪、逆賊より百等よりも重きなり」というのが松陰の攘夷論である。(p75)
 なぁ~んだ、「開国」にもちゃんと意識を向けていたわけだ…なるほど、彼の弟子たちが攘夷はムリだと悟れば、開国にすぐさま舵を切れるのも良く分かる。
 さらには、期限をきっているもの、非戦・軍縮も提案している。ペリーと条約を結ぶ前は「攘夷戦争」を声高に叫んでいたのだが、
「西洋夷と兵を交うるが如きは十年の外に非ざれば決して事なし」(『獄舎問答』)と、10年に年限を区切ったにしろ戦争反対というふうに180度変貌。そして軍備についても
「余の策する所は、武備の冗費を省き膏沢(恩恵)を民に下さんとあり、四窮無告(恵まれない人に)の者は王制の先にする所。西洋夷さえ貧院、病院、幼院、聾唖院などを設け、匹夫匹婦(平凡な男女)もその所を得ざる者なきが如し、いわんや吾が神国の御宝(農民)にし犬馬土芥の如くして可なんや……」(同上)。

と、時代の潮流に逆らって縮小論を展開、その金を人民にまわせと主張(p93)
 全然民衆のことを考えなかった天皇主義者…というわけではない。松陰を「テロリストの親玉」などとくさして、維新をdisたつもりになっても、具体的にみるとそうとは言えない…というわけだ。
 アジア侵略思想について…松陰を語る、批判する上で必ずでてくるのが、彼の思想が後のアジア侵略に結びついた、という指摘である。(この視点は、先の引用本にはまったく触れられていない)具体的には「幽囚録」にある次の記述である。
 今急に武備を修め、艦ほぼ具わり砲ほぼ足らば、すなわち宜しく蝦夷を開墾して諸侯を封建し、間に乗じてカムサッカ・オロッコを奪ひ、琉球を諭し、朝覲会同すること内諸侯と比しからしめ、朝鮮を責めて質を納れ貢を奉ること古の盛時の如くならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾・呂栄の諸島を収め、漸に進取の勢を示すべし

 たしかに、後の近代日本が歩むアジア侵略のススメ!みたいなことを書いている。
 実は、薩摩の島津斉彬も同じようなことを書いている…「大陸出撃策」というものだ。ただ、これを紹介しているのが、林房雄の「大東亜戦争肯定論」であり、ネットでは島津斉彬自体がどのように書いているのか?ということがイマイチよく分からない。内容的には、日本の諸侯を三手にわけて、「近畿と中国の大名は支那本土に向かい、九州諸藩は安南、咬留巴(カルパ)、爪哇(ジャワ)、印度「に進出、東北奥羽の諸藩は裏手よりまわって山丹(シベリア)、満州を攻略する。わが薩摩藩は台湾島とその対岸広東福建を占領し、南支那海を閉鎖して英仏の東漸をくいとめる」というものだ。日本の大名を三手に分けて侵攻しようとしている分、松陰のそれよりも具体的であるし、「英仏の東漸をくいとめる」とは、一種の「積極的攘夷論」でもあろう。
 同時代の吉田松陰と島津斉彬が似たような構想を持っていた…ということは、別に誰か「元ネタ」を考えた人間がいるか、似たような構想が思い浮かぶぐらい、当時の思想的背景があったとみるべきだ。「攘夷論」「開国論」を問わず、当時の人々がどのような「対外政策」案を持っていたのか?もう少しいろいろ調べてみる必要がある。
 開国論者で「尊王攘夷ナンセンス!」と考えていた「幕府側」の人、福沢諭吉は維新後に「脱亜論」を著すなど、「アジア侵略思想」を裏打ちする思想家になるのだが、諭吉が幕末時に松陰の「幽囚録」や斉彬の「大陸出撃策」を読んだとすると、それについて、どう考えたかsign02なんてすごく知りたいテーマだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

明治維新をdisろう…その4、吉田松陰生き方編

 明治維新を「批判」する言説の中で、「勤王の志士というのは、テロリストじゃないかsign03」というのがある。テロリストが、明治新政府をつくった←テロはダメでしょ←明治新政府ってアカンやん…という論理構成なのだが。いや、テロ、暴力一般を全否定して、時の政権を打倒し、体制を変革することは不可能でしょsign01

 逆に右側、体制側から維新を「評価」する側も、そこに至るまでどれだけ凄まじい暴力のやり取りがあったかということを抜きにしている。「維新」なんて政党名をつけているヤツらが典型的だ。坂本龍馬たんは… 幕府権力からみれば「過激派」であり、常に体制側(江戸幕府)から命を狙われる「覚悟」をもって活動していたハズだ。現代の「維新」なんて、体制側には絶対暴力もふるわないクセに、公務員や弱者に「改革」と称してキバを向いて来るから、たまったものではない。

それはともかく、その「テロリスト」の親玉、思想的指導者が、長州の吉田松陰ということになるらしい。この人に触れずして、明治維新を語ってもしょうがないので、吉田松陰について触れてみる。
_0001 元ネタは、こちら…FOR BIGINNERS吉田松陰(文/三浦実 イラスト/貝原浩 1982年第一版)当然、本書は松陰を肯定的に紹介している。

 本書の最初のほうに「それにしても松陰ほど評価が別れ、それでいながら左翼にも右翼にも信奉者もつ人物は日本史のなかでは稀有といっていいだろう。」「しかし松陰がユニークな存在として歴史にあるのは先見性によってではない。彼の生きざまが幕末に活躍した志士の誰よりも、世界の革命家の誰よりも『政治家』的資質に欠けた革命家だったという特異性によってでもある」(p20)とある。
 良く知られているように、松陰は外国事情を知るべく、アメリカに密航しようとした。ペリーが二回目に来た時(1854年)、アメリカ船に弟子とともに乗り込み、アメリカに連れていって欲しいと頼み込んだのだ…このへんの行動力はスゴイ…で、断られるのだが、翌日、下田奉行所に「自首」しちゃうのである。もうこのへんで訳が分からんsign03当面の「外国事情を知る」…そのためには、何度でも「密航」を試みるか、別の合法的な?手段を探すか、どちらにしても「自分を大切にして下さい」としか言いようがない。この密出国事件のおかげで囚われの人となり、長州に送還、「野山獄」に隔離同然押し込められることになる。 
 徳富蘇峰の「吉田松陰」の中で、蘇峰は「彼は多くの企謀を有し、一の成功あらざりき。彼の歴史は蹉跌の歴史なり、彼の一代は失敗の一代なり。」と記している。本書でも「やることなすこと失敗続き」(p130)と紹介されている。野山獄から出されて松下村塾を主催してから、彼の思想は過激になり、早々と「幕閣の暗殺」→「討幕」を目指し、構想するのだが、空理空論、地に足がついていない。「理論と情熱が先行して現実認識が甘すぎるのだ」(p131)で、老中襲撃の武器を周布正之助(藩の要人である)に援助して欲しいと願い出る。そんなモノ、かなえられるハズもない。1858年の暮れには再び「野山獄」に押し込められることになる。獄中でも倒幕計画をたて、松下村塾の弟子たちにその実行を迫るが反対される。「僕とは所見が違うなり、その分かれる所は僕は忠義をするつもり、諸友は功業を為すつもり」と、松陰は弟子たちと決別する。
 時代は「安政の大獄」の真っただ中である。1869年4月、幕府は吉田松陰の償還を命じた。容疑は梁川星厳や梅田雲浜といった、攘夷を唱える国学者との関係である。7月に幕府の評定所において、梅田雲浜との関係や、幕府を誹謗した落とし文について聞かれた。松陰は梅田と謀議をしたこともないし、落とし文なども関係なかった。このまま黙っていれば何事もなかったハズなのだが、彼は幕府の役人に対し、自分のやってきた計画について問われもしないのに語りだした…老中暗殺計画や倒幕計画を、打倒対象である幕府の役人にしゃべっちゃったのである。もちろんこれらの「計画」は松陰の頭の中でほぼ止まっているようなもので、何ら具体的な形、「未遂」ですらなっていないのだが、こりゃぁ幕府も捨ててはおけない…そのまま牢に留め置かれ、12月に処刑されることになる。
 「安政の大獄」とは幕府に歯向かう人たちを弾圧したものと捉えられているが、より詳しくみれば将軍継嗣問題…病弱で子どものいない13代家定の後に、一橋慶喜をたてるか、紀州の徳川慶福(後の家茂)をたてるかで争いがあり、一橋擁立グループが敗北…その後も「一橋派」がいろいろ朝廷を通じて工作等をするものだから、それに対抗して井伊直弼が「大弾圧」をしたものである。松陰は心情的には「一橋派」に近かったかも知れないが、べつに一橋慶喜擁立運動をしたわけではない。梅田雲浜とも謀議しておらず、「落とし文」とも関係がないならば、ほぼ幕府からは”おとがめなし”だったハズ。まったくAFOなことで命を落としているのだが、別な見方をすれば、非常に(BAKAがつくほど)正直な人間であったと言えよう。どっかの(彼を尊敬すると自称している)首相とは大違いじゃないかsign03
こういう「失敗だらけだが、正直な」吉田松陰ってのも魅力だろうな。なお、幕府が松陰を刑死させたことが、最終的に彼の弟子たちを「討幕」に向かわせたとも言える。もし松陰がちょっとまともになって、幕府から殺されなかったら、歴史は違っていたかも知れない。

なお松陰の思想についての検討は別途行う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

明治維新をdisろう…その3、植民地化の危機はあったか?

 

その2 で長州の周布正之助や木戸孝允らが、はじめは「開国」で動いており、横浜貿易への参入を試みたり、「航海遠路策」を引っ提げて登場したり…というようなことを書いた。その長州がなぜ「尊王攘夷」の急先鋒になったかsign02
 単純に「孝明天皇が、攘夷の意向だった」からとしか、言いようがない。

 その2で書いたように、幕府が大名や朝廷などから意見を聞いて、対外政策等を進めようとした。大名・武家は「開国やむなし」となるのだが、京都にこもって実態経済を運営していない、朝廷・公家は違った。「異国をいれるとは何事じゃ、打ち払えsign03」というわけ。少し後の話になるが、1863年、前年に薩摩が起こした「生麦事件」の賠償支払いが決まった時、孝明天皇は「震怒」し、自筆の勅書を幕府に発する。そこには「皇祖神に対したてまつり、申し訳これなく、」「たとえ皇国、一端、黒土になりそうろうとも、開港交易は決して好まず」と書かれていたそうな。いやぁ~皇祖神に申し訳ないから、たとえ国土が”黒土(焼野原)”になってもいいんで攘夷をしろsign03と言ってるわけだ。

 当時の”常識”として、天皇、朝廷を「ないがしろ」にすることは許されない…という意識があたりまえのようにあり、天皇の意向を「忖度」するほどエライsign03ということになる。加えて長州は1858年に「朝廷に忠節、幕府に信義、祖宗に孝道」という綱領を決めている。そうなると天皇の意向をくんで「攘夷」したほうがエエんじゃね?そうすれば京都政局における地位も確保できるし…ということで、1862年7月、京都三条河原町の藩邸における御前会議(藩主の前で行う会議)で、「破約攘夷」攘夷決行を藩是と決定したのである。

 ただ藩是を「攘夷決行」にできるのは、単に「天皇の意向」だけでは無理で、それなりに「世論」の後押しも必要だ…で、この時代は、列強によるアジア侵略が進められていた時代でもあり、幕府も含め、武士階級の有力な人たちは1840年の「アヘン戦争」について情報を得ていたし、同時代には「アロー戦争(1856年)」から天津条約、インドにおいては「インド大反乱(セポイの乱 1857年)」からムガール帝国の滅亡…ということが起こっている。欧米列強の「開国要求」が、そのまま「植民地化」に向かうのではないか?と危機感を覚えた人も多くいたであろう。そういうことも背景に「攘夷論」というのは広がってゆく。
 明治維新を「評価」する考え方として、この欧米列強からの「植民地化」圧力が、「攘夷論」を生み、そのエネルギーが「討幕」から中央集権的な近代国家成立へと導いたとする。実際、「攘夷」を行って「植民地化」に抵抗、対抗するためには、軍備を近代化せねばならず、長州もふくめ多くの藩が「軍制改革」を行って「西洋銃陣」を取り入れようとした…だが「西洋銃陣」は、同じ銃を持った均質な兵士の人数をそろえることが基本であり、身分、階級の複雑な武士階級をそのままにした上で導入してもうまくいかない。そうゆう「封建的身分制度」をぶち壊し、粉砕する必要があった…その原動力として「尊王攘夷」運動が果たした役割は大きいだろう。

_0001  だが、幕末期の「植民地化の危機」について、後付けになるのではあるが、列強は日本を植民地化する意図も能力も無かった…というのがホントのところらしい。岩波新書の「幕末・維新」によれば、「生麦事件」後の外国人居留地で起きた「即時報復」論に対しても、「しかし、イギリス代理公使ニール(オールコック公使は帰国中)は、『日本と開戦することに等しい」と拒否し、海軍キーパー提督にいたっては、問題に関与することも断った(『一外交官の見た明治維新』)。イギリス外交部は日本に対して慎重であったし、香港を本部にする、極東のイギリス海軍は外交部以上に慎重であった。」(p113)そうな。この後、倍書金支払いをイギリス海軍の力で勝ち取るよう、本国外務省から訓令が来ても「しかし、海軍のキューパー提督は、慎重であった。日本の三港の安全を同時に保証する戦力はイギリス海軍には「とうていない」(キューパー)のである。こうして、日本現地のイギリス側の本音は、日本との戦争はなんとしても避けるというものであった。」(p114)そうな。

 さらに書けば、1861年にロシア軍艦が対馬の芋浦崎に来航し、勝手に兵舎を建設したあげく、対馬藩に永久租借を要求する事件があった。これについて
「ロシア軍艦の行動は、箱館のロシア領事も知らなかった海軍独走によるもので、明白な条約違反以外のなにものでもなかった。事件が「植民地化の危機」論争で必ず引用されるのは、日本に圧倒的な影響をもっていたイギリス公使オールコックが、「もし、露艦が、同島(対馬)から退去を拒む場合は、英国自身、これを占領すべきである」と言明し、イギリスが「日本占領」の意図を示したし、戦前の文部省維新史料編纂会編『維新史』で説明されてきたからである。
 実は、イギリス東アジア艦隊司令官ホープは、オールコックの言明に賛成しなかった。司令長官は、日本の開港場が中立港として利用可能であれば、経費も防衛費も要らないのであり、「日本の領域のどんな一部の一時占領でさえ」得策ではない、という見解であった。イギリス海軍は、中国の開港場を占領したために、経費と防衛費負担に苦しんでもいた。
 オールコックの対馬占領意見も、ロシアが退去しないのであればというロシアへの「対抗処置」であり、また、その目的は「それ(対馬)は、中国の港とわれわれの巨大な貿易の大きな保護手段となるでしょう。そしていつでも、北京の宮廷でのいかなる裏切り行為に対しても絶えざる威嚇となるでしょう」というように、日本での権益獲得のためではなく、巨大な中国権益保護のためなのである。それをも軍事作戦を統括する海軍当局が認めなったわけである。」(p117~118)

 また時代が「倒幕」段階になった時も、イギリスは局外中立を守っていたし、幕府側に加担していたとされるフランスも、実際のところベトナムへの侵略と、欧州で台頭するプロシア(ドイツ)への対応に重点を置かざるを得なかったという実情であったそうな。

 だから、結果的に「尊王攘夷運動」というのは、外国勢力に対する「過剰反応」であったともいえる。だが、当時の人たちはそんな細かな事情はまず分からないし、知ることもできなかった。あまり「後付けの理屈」をもって、当時の運動や理念が間違っていたということは、やってはいかんだろう。そうゆう意味で、明治維新「批判」ではなく、「disる」で止めている…ということもあるのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

明治維新をdisろう…その2、幕府はなぜ衰亡したのか?

 

その1 の続き企画…幕末の対外政策、条約締結などの中身を見ると、江戸幕府は決して「無能」ではなく、有能な官吏によって政権運営がなされていた。ということを書いた。ではなぜ国内が混乱したあげく、衰亡し、打倒されてしまったのか?
 衰亡の理由としては、江戸時代における産業のそれなりの発展により、封建的な支配体制がゆきづまったから…と答えると元も子もない。ただ、幕末、開国時において特殊な条件が存在した。
 もともと「鎖国(今はこのように学校では習わないらしい)」体制は、幕府の一存で決めたことなのだから、「開国」も幕府の一存で決めればよいことだった。だが、幕府は開国するにあたり、諸大名やはては朝廷にまで意見を求めて決めようとした。ここに、有力な外様大名や朝廷、公家なんかが政治に参加するようになり、収拾がつかなくなったsign02というのが、「幕末・維新」史のキモなんだろう。ではなぜ幕府は、諸大名の意見を聞こうとしたのか?
_0001 岩波新書「幕末・維新(シリーズ日本近現代史)」によれば、天保改革で幕府権力を回復…文字通り、幕府が専制的に(「鎖国」を決めた時と同じように)支配できる体制を回復すること…に失敗したからだそうな。
 「十九世紀に入るころ、江戸日本では、商品経済が発展し、国内市場が掲載されはじめていた。それまでの江戸、大坂、京都の三都を中心とする遠隔地間の市場から、城下町など無数の地方都市を核とする、きめ細かい網の目のような市場へと経済構造が進化していた。
 大名も、村役人や在方の大商人などを組織して産物交易を展開する。大坂を通らないで江戸に「直き積み」(直送)した姫路藩の木綿専売がよく知られた事例である。(中略)
 さかのぼると、阿部正弘が老中首座に就く前に、幕府の天保改革が失敗していた。天保改革の雄藩に対する政策として、江戸と大坂の大名領や旗本領を幕府直轄とする上知令と西国諸藩専売の取締令があった。大名や旗本を他へ移して、あるいは、大名の産物政策を禁止するなどの犠牲によって、幕府の支配と防衛の強化を行おうとしたものである。薩摩藩の密貿易は、新潟港などで幕府に弾圧された。しかし、大名は、すでに地域経済を成熟させており。改革は、大名の反抗が一因となって失敗した。その後に登場した阿部老中が、大名との協調路線、特に薩摩藩など雄藩と連合する政治をすすめたのは必然だった。こうして、雄藩は、ふたたび力強く台頭する。」(p51~52)

 やっぱり、産業の発展が、封建的な支配体制をゆるがし、「幕府の即決」なんて乱暴なことは出来なくなっていたということだねhappy01
 なお「開国」にあたって意見をきいたところ、強硬打ち払いから積極通商まで、様々な意見がでたが、国内での産物交易が進展していたこともあり、通商を求める開国論の大名が圧倒的に増えたのだそうな。最初に積極通商の意見に変わったのは島津斉彬の薩摩藩であり、「最後まで打ち払い策を上伸した大名は少数で、徳川家門の尾張藩、水戸藩、そして鳥取藩、川越藩の四藩だといわれている」(p52)…「攘夷思想」水戸学の本家、水戸藩はともかく、「攘夷」なんかしたかった藩は非常に少なかったことが分かる。
 「尊王攘夷」のもう一つの”チャンピオン”長州藩はどうか?開国を決める時はあたりさわりのない回答しかしていないらしい。その後、1861年に「航海遠略策」…幕府と朝廷に海外貿易進出を進める…を引っ提げて政局に登場することになる。長州藩の周布正之助、高杉晋作そして木戸孝允らは、のちに長州の「尊王攘夷運動」を支えるのだが、この時ぐらいまでは横浜貿易への参加を試みるなど、「開国」で動いていたようだ。

ますます「尊王攘夷」運動ってナゾだなぁ~coldsweats01
なお幕府は権威低下に対し、この後も何度か「権威回復」を試みようとする。その大きなものが井伊直弼の「安政の大獄」であろう…しかし、本人が暗殺されて失敗。また、より後年には幕府権力回復をめざす徳川(一橋)慶喜と、薩摩藩との「政局争い」になる…それがつもりつもって、薩摩による「武力倒幕」に行き着いた…というのが、幕末・維新史のキモなんだろうなvirgo

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大洗に行くぞ!

 ガルパンおじさんは、大洗に聖地巡礼に行くべく、「るるぶ」ガールズ&パンツァー最新版です!を買ったのだhappy01
S_0001

 この絵柄の、書下ろしポスターもあるぞ(裏面は、西住みほタンと、アンツィオ高校アンチョビ姐さん、プラウダ高校カチューシャたん等)
 10・14三里塚全国集会 に合わせていく予定…だから13日か…

表紙をめくると、聖地巡礼の注意事項があるので引用
①住民に迷惑をかけない
 町中で大声を出さない。特にゆかりのスポットやお店で話す際は、ヒートアップに要注意、節度ある行動を心がけよう。また、交通ルールを守り、歩道では横並びになって往来を塞がないように歩こう。
②不法侵入は禁止
 気になる場所があっても、民家や立ち入り禁止区域に入るのはNG、神社の参道以外のところや舗装されていない場所でも、常識ある行動を心がけよう。優花里のような潜入は絶対にマネしないこと。
③町を汚さない、傷つけない
 家庭用ごみ置き場にはポイ捨てしない。ごみは持ち帰るようにしよう。また、建物や公共物など、町のものを破壊しないように要注意。戦車道の試合じゃないので、破損しても国からの補償は出ないぞ!
④節度ある行動を心がける
 お店の人には礼儀正しく挨拶をし、店の前で長居はしないようにしよう。撮影時には譲り合いを。戦車道の試合と同じく、礼に始まり礼に終わるのが、大洗流観光の極意だ!!
とのこと…なんでも大洗に巡礼に来る方々は、マナーが良いそうだ。

長いおまけ
血小板ちゃんが傷を治す時の注意事項
・はぐれないよう、勝手な行動はしないこと!
・他の子とケンカしないこと!
・GPⅠbとかをちゃんと使って、飛ばされないようにすること!
Yjimage_57
・凝固因子は、持ちましたか?

はたらく細胞 の聖地は、自分の体sign02

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2018年9月 | トップページ | 2018年11月 »