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「キングダム」で解く中国大陸の謎(その4)

 秦は統一後、もともと秦一国で布かれていた「県制」を拡大し、全土に中央集権的な「郡県制」を布く。中国を36の郡に分け、郡の中に県を置く。それぞれ郡に1代限りの官僚(守…行政、尉…軍事、監…監査)を置き、県には行政官として県令を置いた。これらの役職は皇帝に直属し、互いに主従関係はない。行政官には与えられた権限以外の権力を持たせず、全ての力が皇帝に集中するようにして周以来約800年近く続いてきた封建制を解体したのである。
 電話もメールもない時代に、どうやって遠く離れた地方の官僚をコントロールしたのか?(それをやったこと自体、凄いとしか言いようがない!)法家的な「信賞必罰」で官僚をコントロールするわけであるが、それを実行するためには「文書主義」と、前提となる「文字の統一」を行う必要がある。現代中国でも地域ごとに北京語、上海語、広東語など発音も語彙も異なる複数の言語が使われているが、当時はもっと違っていた。文字はどの国も漢字を使用していたが、それぞれの地方で異なる体系があり、ひとつの漢字に多数の表記方法があるということも普通だった。秦は統一文字「篆書(てんしょ)」を定め、そのうえであらゆる命令や通達を文字にして残す文書主義を徹底したのである。
_0001_20190625172301 ローマ帝国の公用語、ラテン語は表音文字だったので、方言の影響を強く受け、つづりが地域ごとに違ってしまう。遠く離れると同じ国の人同士でも意思疎通ができなくなってしまうのだが、漢字は表意文字であるので、文字を一旦統一すれば発音や語彙が違っても筆談で意味が理解できる。文字の統一はその後、文字を共有し、文字を通したコミュニケーションが出来るという中国の「同胞意識」「漢民族」意識を形成することになる。
 その他、度量衡の統一、貨幣の統一を行った。また交通網を整備し、すべての人民を記載する戸籍の整備することで、最大500万もの兵隊を動員することができるようになった。現在、世界最大の兵を擁するのは中国人民解放軍なのであるが、それでも300万人に満たないといわれているからすごいものである。この軍隊で北方の騎馬異民族、匈奴を討伐し、人民を動員して匈奴の侵入を防ぐ万里の長城を築いたのはご存じのとおりである。
 ただし、秦の支配・統治はあまりにも性急で厳しすぎた。また簡単に地方の「ローカル権力者」が解体するわけでもない。始皇帝の死後、反乱が起こって秦は滅亡する。秦のあとを引き継いだ漢帝国は、旧秦の領域は郡県制、それ以外の地域は「王」を封じて封建制とした。このハイブリッドな統治方式を「郡国制」と呼ぶ。秦よりもゆるやかな統治を続けていたが、紀元前154年に「呉楚七国の乱」という封建諸侯の反乱後は、漢帝国も封建諸侯を排し、中央集権型の国家体制構築に進む。帝国を統治するための思想は法家思想ではなく、氏族制社会を裏打ちする儒家の思想を採用することになるが、このころになると儒家思想も法家思想やその後の社会の流れを取り入れ、帝国の統治を支える思想に変質していた。儒家の思想は大多数の中国人に受け入れられるものであったから、漢帝国の支配は安定し、新による中断(紀元8~25年)はあるものの400年の長きにわたって統一帝国を運営することが出来たのである。

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