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「キングダム」で解く中国大陸の謎(その5)

 ではここで、中国を統一しつづけた「儒家」と「法家」の思想についてみてみよう。「儒家思想」は紀元前551年に生まれた孔子が始めたもの。氏族制度が解体しかけ「下剋上」も起こってくる中で、秩序を立て直し、封建制を再構築するため「仁」や「孝」といった昔からの社会規範、道徳観や慣習を言語化し、体系づけたもので、孔子の存命中はあまり高い評価は得られなかったが、孔子の孫弟子あたりから各国に浸透し始める。
 孔子の弟子の代から儒家は各国の政権中枢に入り始め、戦国時代中期には、諸子百家の中でもっとも影響力を持つようになった。これも儒家の思想が昔からある制度や慣習と適合的で、なおかつそれらを正統化する思想であることが大きい。
 たとえば、儒家は父と父方の祖先をとくに敬うように説く。これは中国の氏族制が父系だからだ。富裕層は一夫多妻だったため、母系社会になると誰が本家なのかわからなくなってしまう。儒家はそこで、父が偉いのだ、と正統化する。
 さらに、親を愛するように君主を愛せ、と主張し、君主への忠誠心を作り出すことにも加担する。家長にとっても、地方のローカル支配者にとっても、国の支配層にとっても、自らの地位が保全される思想ゆえ都合が良い。(p144~145)
 ただ儒家思想には、中国を統一してしまおうという考え方はさらさらない。中国を統一したのは「信賞必罰」で氏族制度を解体しつくした「法家思想」なのだが、この厳しい法家思想の背景には、「道教」のもと道家思想が根底にあるということだそうな。「老荘思想」という、一見、人為を排してなぁ~んにもしないの(「無為」)がエエ!?という「道家思想」が背景にあるとは驚きだが、こう筆者は展開する。
 現世のことを扱う思想が多い諸子百家の中で、道家は例外的な「宇宙論」だ。「道」とは世界の構成原理であり、宇宙や社会を成り立たせている原則を指す。「これ以上消すことができないもの」としてのXを道と呼んでいるわけだ。(p147)
 法家では、君主が無限の権力を発揮できるのは、君主が「道」の体現者であるからと考える。したがって君主は絶対者であり、宇宙の主催者だということになる。ゆえに君主によって施行される法は、無制限のものとなることが許されるのだ。(p150)
 ひぇぇ~そうゆうことだったの…実際に法家思想を体現し、中国を統一した秦王に対し、李斯が王の称号を改めるよう上奏した。神話的な帝王の称号である天皇(てんこう)、地皇(ちこう)、泰皇(たいこう)のうち、最も尊い「泰皇」を李斯は進めたが、政は泰の文字を抜いて帝を入れ「皇帝」とした。
 泰皇とは原始道家の概念で、宇宙を支配する泰一神(たいいつしん)のことである。つまり、泰皇を名乗ることは、現世の君主が宇宙を支配する絶対神になることを意味している。また王自身が選んだ「帝」とは、「上帝」という人格を持たない絶対神で、これも宇宙万物の総宰者という意味を持つ。
 李斯は法家ではなく道家の思想に基づいて、秦王に新たな称号を上奏したことになる。これも法家の根拠になっているのが道家だからだ。道家が目に見えない世界の構成要素から発想する思想である以上、法家が現実を無視して世界のあるべき姿を志向するのも当然のことなのである。(p150~151)
_0001_20190625172301  といことで、法家思想の背景に道家思想があるという、けっこう驚きの状況が理解いただけたであろうか…なるほど、中国統一後、始皇帝が「不老不死」にこだわったのも、道家思想の影響、背景があったからだと納得がいくものである。
 ただ法家思想は厳しすぎるだけでなく、正統性の根拠がはっきりしない(目に見えない「道」に基づく)ということが、国を統治するという点においては欠点となる。始皇帝は自分の子孫が二世皇帝、三世皇帝と続けていくこととしたが、なぜ皇帝の子孫が皇帝に成れるのか?という疑問に法家は答えられない(「法で決めたから」としか言いようがない)別の言い方をすれば、権力があっても、権威がない…という状況である。
 そこで再登場するのが、儒家思想である…既存の秩序を保守するのにはうってつけ。父系の「本家」を尊びましょう…というのはそのまま、皇帝の世襲も正統化してくれる。そして儒家思想のほうも、現実に合わせてバージョンアップしていくことが出来た。原理原則に拘泥する道家思想(ただし何が「道」なのかは誰にも分からない)法家思想とは違うのだ。実際、孔子の後150年後ぐらいの孟子は、孔子が認めなかった「下剋上」をあっさり認めてしまう…世の中「下剋上」が当たり前になっていたからだ…ただし、そのための理論は再構築した。「仁政」「民本思想(王道政治)」そして「易姓革命」である。また漢の時代になってからも
 たとえば景帝の父の文帝は、専横をふるった呂后(劉邦の正妻)を打倒する際にほとんど活躍しなかった。それでも即位できたのは、文帝の実母の一族が弱体で、外戚が力を持つ心配がなかったからだ。そのような即位の正統性に乏しい文帝に対して、儒家は、「母は子をもって尊し(子供が偉くなれば母親の地位も上がる)」として、それまでになかった考えを後づけして経典に加え、母の出自が卑しい文帝の即位を正統化した。儒家は社会の流れを見て思想を変化させ、ときの権力者に近づき、正統化の論理を提供したのである。(p176)
 漢以降の中国の統治思想は、儒家思想に戻った…ただし、いったん法家思想による統一を経て、法家思想も取り入れ、バージョンアップした思想である。儒家思想はやがて「儒教」として確立されるのである。 

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