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中曽根が天寿全うして非常に悔しい!

 80年代左翼の最大の主敵、中曽根康弘元総理大臣が死去した…Y!ニュース共同通信より
中曽根元首相が死去 在任戦後5位、改憲自論
 安倍、佐藤、吉田、小泉各内閣に次ぐ戦後第5位の長期政権を担い「戦後政治の総決算」を掲げて国鉄(現JR各社)の分割・民営化を実現した元首相の中曽根康弘(なかそね・やすひろ)氏が死去したことが29日、分かった。101歳。群馬県出身。関係者によると、29日午前7時すぎ、東京都内の病院で亡くなった。
 東京帝国大(現東大)法学部卒。内務省入り後に海軍主計将校となり、終戦を迎える。1947年に衆院旧群馬3区で初当選し、当選20回。82年11月、第71代首相に就任した。戦後第5位の長期政権だった。自主憲法制定を唱え、2003年の議員引退後も憲法改正を主張した。

 中曽根が掲げた「戦後政治の総決算」路線とは、「国鉄分割・民営化」に代表される、今でいう新自由主義路線である。おりしも同時代には米帝のレーガン大統領、英帝サッチャー首相という「民営化攻撃」「労組敵視・破壊」を右から破壊的に押し進める政権が登場していた。ベトナム戦争敗北後の世界帝国主義の危機、市場の喪失・不拡大による世界不況と戦後ケインズ政策の行き詰まり(スタグフレーションが起き、不況なのに物価が下がらない!)…それは世界経済が生産活動を実態とする経済から、金融資本が基軸になっていくことから来ている…の乗り切り策としてあったのだ。
 もちろん、当時は「新自由主義」なんて言葉はなく、それぞれレーガノミクス、サッチャリズム、「臨調・行革路線」と呼ばれていた。危機乗り切り内閣として、当時の自民党「傍流」であった中曽根が首相になると、「戦後政治の総決算」を掲げ、これまでの日本のあり方…55年体制として社会党・総評ブロックがそこそこ力を持っている…をぶっ壊しにかかる(「ぶっ壊す」のは何も小泉のお家芸ではない)
 奴の悪行をあげれば、きりがない…国有資産を売り払うと同時に、10万人首切り、労組破壊の「国鉄分割・民営化」、奴はこれを「総評をつぶすために行った」と言っている。電電公社や専売公社も民営化された。「臨調・行革路線」下での自治体労働者、教育労働者への攻撃も酷くなった。またレーガン大統領と関係を緊密化させて日本の軍事大国化を推し進め「日本列島を不沈空母にする」発言や、1000カイリシーレーン防衛などという事も言い出した。防衛費がGDP(当時はGNP)1%枠を突破させたのも中曽根である。(GDPのほうが予想より伸びたので、結果的に突破しなかった)
 一方で日米貿易摩擦が酷くなり、85年「プラザ合意」で円高を容認、ここから円高不況が始まる。これの乗り切りのための「内需拡大」策が土地価格などの上昇を招き、後のバブルを生み出すことにもつながった。
 また「天皇在位60年(本当は「罪位」である)」攻撃を始めとする天皇制攻撃を強めたのも中曽根だ。そして靖国神社を公式参拝する…右翼が堂々と政治の世界に出てきたのである。そして「改憲」を堂々と口にしていた。もちろん自民党流の、自衛隊の国軍化、天皇の元首化、基本的人権を制限し、「家」制度を始めとする明治憲法のようなシロモノである。そして「行革でお座敷を綺麗にしてから、立派な憲法を据える」などと言っていた。
 新左翼にとっては「三里塚二期攻撃」成田空港の二期工事着工も中曽根がやったことである。85年の「10・20三里塚」交差点での機動隊との激突も、中曽根打倒闘争の一環としても取り組まれていたのである。
 また忘れてはならないのは、中曽根は日本に原子力、原発を導入した張本人であるということだ。「原子力基本法」制定に携わり、初めての原子力予算をつけた。もちろん最終目的は「日帝の核武装」であり、その路線は今も継続している。そして3・11後も、なんら反省も謝罪もせず、原子力を維持し続けると主張していたのだ。

 中曽根を打倒するために、多くの左の人たちが頑張ったけれど、左翼的な闘争で奴を打倒することは出来なかった。国鉄は分割・民営化されて、国労や動労千葉といった闘う労組はなんとか残ったものの、総評・社会党ブロックは解体に追い込まれてしまう。中曽根が倒れたのは、大型間接税「売り上げ税」を導入しようとしたためだ。この大衆収奪にはさすがに多くの人が反対したため、彼は政権を手放さざるを得なかったのである。
 首相引退後も自民党で国会議員を続けていたが、新自由主義「改革」の申し子、小泉首相により2003年の選挙で公認を拒否されたため、政界を引退することになった。新自由主義改革の先鞭をつけた者が、新自由主義改革を唱える者によって排除されるのはある意味、皮肉なことである。しかし政界の表舞台から去ったために、これといった批判や避難をうけることなく「天寿を全う」させてしまったことは、非常に悔しく残念である。

 原発政策への批判・非難の他、中曽根に対してやっておかねばならなかったことはもうひとつある。それは海軍主計将校だった時代、フィリピンで「慰安所」を作ったと彼は著書に堂々と書いていた…「従軍慰安婦問題」が出てきてから、奴はそれについて口を閉ざし、ほおかむりしたままあの世に行った。このことについても洗いざらい事実を明らかにしておくべきであった。

 とにかく、中曽根が天寿を全うして残念である!

 

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