11・10太田昌国講演会(後編)
後半は反弾圧レポートということで、全日建連帯労組、関西生コン支部の西山直洋さんからあいさつ。安倍「スーパーウルトラ独裁政権」からやられていると笑いをとる。関生弾圧では滋賀県警、京都府警、大阪府警、和歌山県警、奈良県警が動き(兵庫県警は「山口組」の問題があるのでパス?)これまで87名が逮捕され、60名以上が起訴された。留置所には窃盗や覚せい剤など他の犯罪容疑者もいるが、生コンの事件があるからお前ら後回しやと言われる…で「あなたら何やったんですか?」と他の容疑者から尋ねられるそうだ。
自分は保釈されているが、保釈条件も酷い…全組合員と会ってはいけない、組合事務所に行ってはいけない。そして保釈金は700万円!である。そして関電の汚職問題にもふれ、労働組合が経営をチェックしていないからああゆうことが起こるなどと述べられた。
西山さんの後、いよいよ本題の太田昌国氏の講演「壊れちまった世の中で、今日は何を言う」である。太田氏ははじめに、現在の日本社会がとてつもなく壊れてしまっている。だが少し前は「まとも」だったのか?どこまで時代をさかのぼれば「まとも」になるのか?その辺を考えていないと、足元をすくわれる。また最終的には安倍は辞めることになるが、彼が壊した7年間をもとに戻すのは大変なことだろうと述べられた。
そして世の中が壊れる「前史」について、90年代から説き起こし始める…天安門事件、ベルリンの壁崩壊、冷戦終結で「社会主義・共産主義」が崩壊した。「社会主義」がなぜ人々を引き付けたか?これは資本主義社会のあり方への批判であり、その有力な根拠であったのだが、それが崩れたということを客観的に認めなければならない。一方、湾岸戦争が起こり「国際貢献論」から自衛隊掃海艇がペルシャ湾に派遣される。ここで憲法9条の堤防が決壊したと判断する。現代資本主義の「勝利」とグローバリゼーションの世界制覇は圧倒的な力であり、人びとに無限の「現状肯定意識」が浸透した。批判的な言論が衰退し、批判的な本が社会から姿を消していった。
1995年に阪神・淡路大震災と、オウム真理教の地下鉄サリン事件が起こる…絶え間ない災害は不安感・無常観・諦観を呼び起こすが、不安に乗じて権力は思う通りできる。97年に日本会議および「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が結成され(安倍晋三はその有力なメンバーだ!)2002年の日朝首脳会談後に、拉致問題が日本社会を席巻した…このあたりを、太田氏は日本社会の転換点であると考えているそうな。
太田氏はそれでも90年代は「社会主義」という批判点はなくなったものの、そこには「せめぎあい」があったのではないかと説く…そして「慰安婦」問題を事例に、いかに日本社会が不十分ながらもそれを認め「解決」に動こうとしていたかを説明するとともに、2001年、NHKのETV特集「戦争をどう裁くか―問われる戦時性暴力」における改竄事件、圧力をかけたのはまだ若手議員だった安倍晋三らである…ここでひっくり返るのである。
90年代の動きは、小泉・安倍(1次)政権でなぜひっくり返ったか?小泉はこれまでの自民党とは徹底的に違った。「自民党をぶっ壊す」という、主張は明確だったが、中身がない…そこで5年間、はぐらかされた。そこで徴用されたのが安倍晋三、ウルトラライトが浮上してきた。小泉政権で2002年日朝首脳会談で「国交正常化」が吹き飛んで、朝鮮憎しの「拉致問題」が日本を席巻するが、この時に安倍晋三が対朝鮮強硬派として台頭する。朝鮮に対応するのに安倍晋三だとしいう「刷り込み」が行われ、2006年に”国民的に人気の高い”安倍第一次内閣が発足する。「敵」をつくって政権基盤をつくるということは各国がやっているが、それが日本で起こっている。
日本国内の契機だけでなく、国際的あるいは東アジア的契機を導入することで、日本社会が壊れてしまった原因は何なのかということが見えてくる。「明治150年」史観、日清戦争以後「50年戦争」を繰り広げた日本帝国、関東大震災と朝鮮人虐殺(日本社会主義者の虐殺と「等価」では決してない)、1945年敗戦時の問題、戦後民主主義と平和、その裏で日米安保と朝鮮戦争・ベトナム戦争のような、東アジアの戦後史はどうだったか?そして「拉致」問題と植民地支配の忘却、忍び寄る排外主義…これらから見えてくることは、自国中心主義であり、他者・他国の「不在」である。そして近代日本の歴史を把握する上で「民族・植民地」問題が決定的に重要であるが、理想主義が無残な敗北を喫した現在の思想的な痩せ地にあっては、その「民族・植民地」を体現する人びとに対する「憎悪・嫌悪」表現を行う者たちが楽し気に踊っている。同じ考えの人物が長年首相の座にあるのだから…そしてこれは「安倍1強の責任」というだけではない!ということだ。
いかにも太田昌国氏らしい内容の講演であったが、いまさら感もある…植民地支配責任・戦後補償問題における揺り戻しについてはまさにその通りというところであるが、ソ連崩壊・冷戦終結→それまでの「社会主義」に代わる対抗軸の欠如ということは、ず~っと言われて来たことだし、30年たってまだそれが確立していない(せいぜい「ケインズ主義」が復権しつつあるぐらい)のであれば、それを作り出す議論や構想が必要だろう。そうゆう意味では後ろ向きですらあると感じた。
そんなこんなで集会は終了…みんなで椅子をかたずけ、帰路についた。
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