「軍事的合理性」に抗する話
先週、「けーし風」(けーしかじ)第104号の読者の集いに参加した。今回の特集は「島々の軍事要塞化に抗して」と、南西諸島への自衛隊配備に対する闘いである。
改めて「島嶼防衛戦争」準備として南西諸島への自衛隊配備が勧められている事実に戦慄する。と同時に「沖縄問題」として捉えると、宮古島や石垣島、与那国島のほうがクローズアップされるが、軍事演習などは奄美大島や種子島などの「鹿児島県」の島々で激しく行われている。観光地として沖縄より注目されていない離島で、バンバン軍事演習・日米共同訓練などが行われていることを注視しないといけない。
そして「琉球弧」として見た場合、沖縄戦の記憶が残る沖縄島には新たな自衛隊基地を置けないので米軍基地を残し、そこを自衛隊も使う(辺野古新基地も当然、自衛隊の使用が織り込まれているだろう)その他の島々には自衛隊を堂々と配備し、南西諸島の軍事要塞化を推し進めていくのだろうという視点が必要だろう。
「読者の集い」の中で、例えば住民投票を要求する署名運動の結果も無視して基地建設が強行されるなど、なぜ住民の意見を聞かないで進めるのか?という疑問があったのだが、それの答えは「軍事的合理性」は住民の意識を超えるから…ということに他ならない。敵を迎え撃つのにここが一番いい陣地です!という時に、いちいち住民の声なんか聞かない…それが軍隊・軍事というものだ。
「辺野古新基地建設反対」の場合、沖縄に海兵隊がいることは別に抑止力でもなんでもなく(海兵隊にそんな役割はない)ただ政治的にそこにいる(日本政府が決めたから)ことを根拠に反対できる。それに対し、「島嶼防衛」を口実に行われる自衛隊配備…ミサイル部隊の配備、一旦奪われたら、後で海兵隊的なものを使って”奪還”する作戦等…は、それなりに「軍事的合理性」があるからやっかいだ。
島々を防衛する場合、制海権・制空権の確保は欠かせない。本来は海軍兵力・空軍兵力によるべきものなのだが、地対空、地対艦ミサイルを重点的に配備するのが手っ取り早い。また過去の戦訓から、島には強力な陸軍兵力は置けないので、島嶼防衛は難しい…一旦敵に明け渡した後、奪還するほうがやりやすいのである。だが「一旦敵に明け渡した後、奪還する」と書いたが、狭い島々には人が暮らしているのだ。そこで獲ったり取られたりの攻防戦を行えばどうなるか?沖縄戦の歴史を想起しよう!
だから「軍事的合理性」に抗するには、戦争があることを前提にした政治・政策そのものが間違っている!と声を大にして言う必要がある。私はあんまりこんなことは言わないのだが、ここでこそ日本国憲法9条の理念が試されるところなのだ!
おまけ…MMTについて、考えるあるみさんのブログを更新しました。
| 固定リンク
「かくめいのための理論」カテゴリの記事
- 設計変更を許すな!奥間政則さんの学習会(2020.06.29)
- けんじと太郎でタヌキを追い出せ!(2020.06.18)
- BLACK LIVES MATTER”よりも”大切なこと(2020.06.14)
- コロナ禍での社会ヘゲモニーを握ろう!(2020.05.15)
- 憲法1条を守れば天皇制はなくなる?(2020.05.05)
コメント