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2000年にわたる一つの王朝なんかないぞ!

 暴言大臣、麻生太郎がまたやらかした…毎日新聞webより麻生氏「2000年にわたり同じ民族が、同じ言語で、同じ一つの王朝…日本しかない」 批判呼ぶ可能性
 麻生太郎副総理兼財務相は13日、地元・福岡県飯塚市で開いた国政報告会で、「2000年にわたって同じ民族が、同じ言語で、同じ一つの王朝を保ち続けている国など世界中に日本しかない」と述べた。「アイヌ民族支援法」はアイヌを「先住民族」としており、日本が単一民族国家と受け取られかねない発言は批判を呼ぶ可能性がある。(以下略)

 後に「おわび、訂正する」とか言ってるのだが、あきれてものが言えない。現「日本国」の領域には、近代国民国家成立時に北海道のアイヌ民族が住むところを編入したし、琉球王朝という別の「王朝」を滅ぼして領域化している。このことだけでも「同じ民族が、一つの王朝」なんてことはあり得ない(さらに言うと、植民地支配・アジア侵略の過程で朝鮮、中国その他アジアの「他民族」が暮らしている)
 だが古代の大昔から「同じ一つの王朝」が続いてきた、というフィクションから、麻生も始め多くの人々が脱却できていないところがある。「単一王朝が2000年も続いたスゲ~ェ国!」論は、すぐに他民族・他集団への差別・排外主義にもつながるものであり、ゆえに天皇制批判はこれまで信じられている日本古代史を相対化するところも取り組まないといけないのだ。

 近畿一帯の有力な豪族であった天皇家(便宜上「近畿天皇家」とよぶ)が東北以外の日本列島の大部分を支配し「日本」という国号を使い出したのが7世紀末から8世紀の初め頃…一応、ここから日本列島では「一つの王朝」が続くことになる。だが列島にはそれまで近畿天皇家とは違う王朝が存在した。それが「倭国」である。倭国の中心は北九州で、中国・朝鮮にも近い。この王朝が中国から冊封を受け、また朝鮮半島にある新羅・百済なんかと国交していたわけだ。「魏志倭人伝」に出てくる卑弥呼は倭国の女王である。
 だが倭国は、7世紀の唐帝国の勃興とそれに平行する新羅による朝鮮半島統一過程の東アジアの変動において没落・滅亡の道を進む…具体的には663年「白村江の戦い」において唐・新羅連合軍に大敗し、滅亡しちゃうのだ。この白村江の戦い、近畿天皇家がわざわざ朝鮮半島まで出兵したように捉えられているが、実は戦争の主体は北九州にあった倭国で、近畿天皇家は倭国の要請を受け出兵したにすぎないのである。
 倭国が衰退・滅亡した後、日本列島の支配は近畿天皇家のヘゲモニー下に移る。近畿天皇家は内部の権力争い…壬申の乱…を経て体制を固め、唐の律令制度を取り入れた中央集権国家として出発するのである。
 とはいえ先ほども書いたように、近畿天皇家が白村江の戦いの主体であったかのように、さらにいうと、ず~っと近畿天皇家が近畿から日本全国を支配していた、「倭国」も近畿天皇家が名乗っていた国号に過ぎず、7世紀末に近畿天皇家が倭国を「日本国」に変えたのだ…ということが信じられているのは何故か?
 それは近畿天皇家が倭国の存在や歴史を徹底的に「なかったこと」にしたからだ。彼らが作った歴史書「古事記」「日本書紀」においても、倭国の存在はひた隠し、あたかも近畿天皇家の歴史のように改竄して記述したからに他ならない。それでも最初に作った歴史書「古事記」は、素直に読めば倭国の存在が分かるので「禁書」扱いであり、本文が再発見されるのは室町時代のことである。
 「古事記」や「日本書紀」に書いてあることが一応正しい…という前提で考古学の発掘物等も解釈されてきたので、近畿天皇家がず~っと日本列島を支配していたという「史観」は、なかなかゆるがない。考古学の発掘物といえば、先般大阪で「世界遺産」に認定された百舌鳥・古市古墳群について、ここの巨大古墳の主は「百済系」の王族ではないか?と考えられる。百済から来たヤツが、あのあたりを支配していたのだ。決して大和の国に昔住み着いた「神武」の子孫ではない。出雲や吉備に「王朝」のようなものがあって、それがヤマト王権=近畿天皇家の支配を認めるようになったとかいう話だけでなく、ヤマト王権の「内部」でも王朝・王権が並立していた可能性がある。そうした王朝・王権をひっくるめて、近畿天皇家の一族として無理矢理つなげてしまったため、初代「神武」というヤツは今から2680年もの大昔!弥生時代までさかのぼってしまったのだろう。
 最も王権・王朝が「並立」していたとはいえ、古墳をバンバン作っていた4~5世紀ごろの日本列島なんて当時の中国から見たら、国家組織もへったくれもないチョボちょぼの集団があちこちにいただけ…各王権の「支配」もかっちりしたものではなく、飛び飛びの、あるいは入り組んだ領域を相互に支配していたようなものだったのだろう。唯一、使いをよこしてくるのは北九州の「倭国」のみ、それも当時の中国は南北朝に分裂状態だったから、記録にもロクに残らず「謎」化しているわけだ。

 とはいえ近畿天皇家がず~っと日本列島を支配していたというフィクションは、打ち破らないといけない。7世紀以前は列島に王権・王朝が並立していたという仮定・仮説のもとに、考古学の出土物なんかを見直していく必要があるだろう。

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