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「キングダム」で解く中国大陸の謎(その2)

 安定した周王朝は紀元前771年、西の異民族「犬戎(けんじゅう)」によって12代周王が殺害されたことによって動乱の時代に入る。周は拠点を東に移し「東周」と名乗るが、その権威は凋落した。これが「春秋時代」の始まりだ。この時期、中国には300近い邑(ゆう)がひしめいていたが、次第にその淘汰が進んでいくとともに、力のある諸侯は独自に勢力を伸ばすようになる。これが「覇者」だ。彼らが掲げたのが「尊王攘夷」すなわち、周王室を尊び、夷(異民族)をうち払うというものである。
 先ほど「生産力が低いので宗族でまとまらないと農作業なんかできない」などと書いた…核家族で農作業をしても十分な量が収穫できない、大規模に農業を行ったほうが生産量は多くなる。だから複数の一族が一緒に集落を営んでいたわけだが、この複数の一族が軋轢を起こさないために「祖先神信仰」が共有され、氏族性の秩序が保たれている必要がある。そういった秩序の一つに「本家」のほうが「分家」よりも地位が高いというのがある。複数の一族が協力して農作業を行う、集落を営むと書くと一見すばらしいことのようでもあるが、本家・分家の身分制度が絶対である「差別」「抑圧」の体系、秩序の中にいるわけだ。そして生産力が少ないので、その秩序から外れると飢え死にするしかない。
 ところが春秋時代が進むと、農業における技術革新が進む…具体的には鉄の農具の大量生産と「牛犂耕(ぎゅうりこう)」である。鉄の犂を牛にひかせて深く耕すことで生産力がアップする。そうすると、分家の者が本家の下に甘んじていなくてもよい状況が生まれてくる。家族ごとに「自立」することが可能になって来るのだ。そうすると、「氏族制」…本家・分家の身分制度…が揺らぎ始める。
_0001_11  同様のことが支配階級の中に起きてくる…裕福な人間が支持され、権力が集まる。君主が家臣にとってかわられる「下剋上」が起こって来るようになる。今の山東半島あたりを治めていた「斉」では紀元前481年、田氏がクーデターを起こし、紀元前386年に王が呂氏から田氏に変わっている。春秋時代の初めに中原を治めていた「晋」も名門氏族の趙氏、魏氏、韓氏が勢力を伸ばして独立するというようなことも起こっている。この独立が認められたB.C.403年から先を「戦国時代」と呼ぶことになる。
 とはいえ、氏族制そのものは1000年以上にわたって当時の人びとに染みついていた「道徳」でもあり、それを完全に破壊することは、各諸侯が世襲で支配している根拠も失われることになる。それでも生産力の向上により氏族制の解体が進めば、歴史学者たちは「歴史が穏当に進行したならば、統一は紀元0~200年年頃に起きるのが自然だった」(p14)とみているそうだ。それが現実には紀元前221年に秦が統一を行うことになる…それは何故か?

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『キングダム』で解く中国大陸の謎(その1)

 始皇帝 中華統一の思想 『キングダム』で解く中国大陸の謎(渡邉義浩 集英社新書 2019年四月)を読んでみた。「キングダム」というのは週刊ヤングジャンプで2006年から連載されている原泰久氏の漫画であり、中国の春秋戦国時代末期が舞台となっている。主人公の武人、信(実在の秦の大将軍、李信がモデルとされている)が、後の秦の始皇帝となる王、政とともに活躍する物語で、秦の中国統一過程が描かれてい_0001_11 る(連載中なので当然、統一はまだ先だ)人気があるのでTVアニメや実写化もされている作品だ。本書はこれを紐解く形で、なぜ中国が統一されているのか?ということを説くものだ。
 私は中国に行ったことはないが、広大な中国は実に多様であるそうな。住んでいる人の体格や容貌も、気候も、文化風習も違い、言語も違うそうだ。中国はヨーロッパのように、いくつも国があってもおかしくない…そんな地域なのに、秦が統一してから魏晋南北朝の370年間、五代十国の54年を除けば、基本的に統一された状態にある。これは歴史をみても非常に大変なことで、例えばローマ帝国は崩壊後、2度と再興しなかったし、インド半島を大部分平定したマウリヤ朝(B.C。317年~B.C.180年)も、その分裂後インドの統一は近代まで成し遂げられなかったのである。広大で多様な中国がずっと統一されているその淵源は、初の統一帝国・秦にあると本書では主張している。

 ではなぜ秦が中国を統一することが出来たか?それを見る前に、統一される前の中国の状況をみてみよう…古代中国社会は、宗族…父方の血縁によって結びついた集団で、共通の祖先を祀り、ともに生活を行う(「宗族」自体は中国社会に今も残っている)を単位として農耕を行っていた。生産力が低いので宗族でまとまらないと農作業なんかが出来ない。そんな宗族を「入れ子」にしたような支配体制、筆者は「マトリョーショカ型のピラミッド構造」と呼んでいる「氏族性社会」が古代王朝「周」の支配である。ちなみに周はある一定のエリアを面的に支配していたわけではなく、邑(ゆう)という城壁で囲まれた「都市国家」を支配していただけである。邑のような点どうしが結びついていたのが、殷・周王朝であり、このような国家形態を「邑制国家」と呼ぶ。邑の外は基本的に支配が及ばず、王と関係なく暮らす人びとがいたわけだ。 _00012
 周王が直接治めていたのは鎬京(こうけい)という特定の邑のみで、それ以外の邑は「諸侯」が統治する。周王は諸侯を各国の「君主」としてそれぞれの領土の自治を認める一方、一定の税を周に送り、有事には軍隊を引き連れて周王朝を守ることを求めた…これが古代中国の「封建制」だ。ただし諸侯をそのままにしておけば自立してしまう…そこで「宗族」の関係を利用する。具体的には周王が自分の氏族の娘たちを諸侯に嫁がせ、血縁関係になるのである。また各諸侯も自分の国の重臣に対して、自分の一族の娘を嫁がせる、諸侯をトップとする宗族を形成していた。古代中国は、君主が一元的にある地域を支配できていたわけではない。君主は諸侯に、諸侯はさらに下の豪族・有力者に支配を「丸投げ」していた…これが「マトリョーショカ型のピラミッド構造」と呼ばれる「氏族制社会」である。そんな「国家群」が、中原とよばれる黄河文明の中心地、さらには南方の揚子江文明の中心地までなんとなく広がっていたのが古代中国である。
(図はp180にあるもの…中国が統一されていないのは、紀元220年からの魏晋南北朝時代と、907年から960年の五代十国時代のみ…どちらも白抜き)

続く

 

 

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「やんばる高江の生きものたち」に参加

 昨日、アキノ隊員に聞く やんばる高江の生きものたち 講演会に参加してきた。

 住まい情報センターの5階が会場
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 開場13:30を少し過ぎたくらいで、こじんまりとした部屋が一杯になる。だいたい60人ぐらいの参加かな。
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 「アキノ隊員」はすごく小柄なお方で、生き物のことを語るのにはエエ感じの声で語る。
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 講演会は2本のDVDを観ながら進められた。1本目は、アキノ隊員が高江の森で見つけた様々な生きものの紹介…たくさん、沖縄・奄美固有種、亜種、天然記念物、絶滅危惧種という言葉もさりげなく紹介される。
 彼女は蝶の専門家だが、カエルやイモリ、ヤンバルクイナにノグチゲラなんかも次々と紹介した。ヒメハブは「ヒメハブ様」なんだそうな。
 生きもの紹介のこのコーナーでは、開場からその都度質問もうけつけ、かつアキノ隊員からのクイズに答える形式もとって、わいわいがやがやと進行した。
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 1本目DVDの後、休憩タイム…彼女のジャケットには「INSECT RESCUE」と書いてある。
 2本目のDVDは、北部訓練場、建設された高江ヘリパッドによる環境破壊の問題について…こちらのほうは、後でまとめて質問を受け付ける方式。
 ヘリパッド建設に伴い、沢山の木が切り倒されたこと、「張り芝」に混入した外来種が広まっていること、赤土が流出して川や海を汚染していることの他、オスプレイの低空飛行がノグチゲラの営巣に影響を与えていること、さらには「返還」された北部訓練場から、沢山の米軍によるゴミ・廃棄物が見つかってることなどが紹介された。
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 またノグチゲラやヤンバルクイナは、地上に「天敵」がいないため、地上を歩き回るのだが、ロードキルや人間が持ち込んだ野犬・野猫に襲われるといった問題も出ているそうな。
 そうした問題なども語りながら、楽しい雰囲気でアキノ隊員の講演は終了した。

 その後、SDCCの松島さんから、辺野古基地建設の進捗状況、「ジュゴン訴訟」や土砂投入までに沖縄県知事が「埋め立て承認撤回」すべきであるというお話があった。

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 こうした、生きものたちの写真も飾られていた…終了は16時ちょっと過ぎぐらい。アキノ隊員の活動を支えるためのカンパなんかも呼びかけられていたので、ちょこっと協力してきたぞ
 日曜日の午後のひととき、生きものの話も聞けた、ほんわかした雰囲気を味わってきたぞい

参考…ブログアキノ隊員の鱗翅体験

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やんばる高江の生きものたち

 集会のお知らせ…明日だけど。
 アキノ隊員に聞く やんばる高江の生きものたち
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 やんばるの生きものたちの声を聴きに来てください。
 ぼくたち、ここにいるよ
2018年 6月10日(日)
開始 14:00 開場13:30
会場 住まい情報センター (地下鉄「天神橋筋六丁目」駅下車)
資料代 1000円

主催:ジュゴン保護キャンペーンセンター
協賛:基地のない平和で豊かな沖縄の会

ヤンバルクイナにノグチゲラ・・・様々な生きものたちが暮らすやんばるの森
地球の奇跡といわれるその森で調査活動を続けるアキノ隊員は言う
「この森には絶滅危惧種、やんばる固有種、国の天然記念物がいる。これらを高江のヘリパッド建設は絶滅に追いやってしまう…一度壊してしまったら、人の手で元に戻すことは出来ないのに…1本の木が鳥や昆虫、たくさんの命を育む。1本の木を切るということは、未来に生存するいのちも奪ってしまう」と
すでにどれだけの木が切られたのだろう
やんばるの森の生きものたちの声をどうぞ聴きに来て下さい。

アキノ隊員プロフィール
本名:宮城秋乃。1978年生まれ。
沖縄県浜比嘉島出身。
沖縄県内の森林性のチョウの生態を研究。日本鱗翅学会・日本蝶類学界会員。2011年秋より、東村高江・国頭村安波の米軍ヘリパッド建設地周辺の生物分布とヘリパッド建設や米軍機の飛行が野生生物に与える影響を調査。日々の調査研究活動に加え、やんばるの森を守るためにブログやメディアなどで積極的に情報を発信、講演などで全国を飛び回っている。

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幕末にできた神武陵

 建国記念の日ネタ、続き…
 建国記念の日の元、紀元節は「辛酉(しんゆう)革命説」を拠り所に定められたのだそうな。これは「辛酉(かのととり)」の年には大きな変革が起こるというもの…辛酉は60年に一度、それが21回繰り返された1260年に、さらに大きな変革が起こるのだそうな。聖徳太子(厩皇子)の時代ぐらいにはこの思想が入っていたらしく、推古大王の即位から1260年前を、「神武天皇」即位としたらしい。推古即位が601年だから、神武紀元は紀元前660年ということになる。

 さて「天皇」が居たのであれば、天皇陵があるハズ…仁徳を名乗る「天皇」の墓とされるヤツは、堺市の百舌鳥古墳群にある大山陵という前方後円墳で、全長が486mもあるで、初代の「天皇陵」は
 「神武天皇」の埋葬地は一応、記紀にも記述はあるのだが、それがどこであるかは室町時代には分からなくなっていた。江戸時代になると歴史の好きなヤツが、それがどこであるか探し出したくなるわけだ。実際、国学者なんかが記紀の記述からあちこちの古墳を「○○天皇陵である」と認定しだしたのも、この時代である。
 で、記紀の記述を基にした「神武陵」の候補地が2カ所あった。ひとつは畝傍山の北東山麓にある丸山古墳、もうひとつは、その北東に300mほど離れたミサンザイ…田んぼの中に小さな塚があったらしい。ただ丸山古墳は被差別部落である洞の集落に隣接していたので、ミサンザイのほうが「神武陵」とされたのだ。
 1862年、ミサンザイは大改修され、「神武陵」として整備された。孝明天皇が攘夷の祈願をするためである。幕末に急遽、でっち上げられたものだと言っても良い。なおこの時、洞の部落は勅使を迎えるためにムシロで覆われたという。
 明治以降も「整備」は続けられ、「墳墓」の形も八角形になったり、円墳になったりと様変わりしながら、周辺には巨木も植えられた。洞の部落も1917年から20年にかけての拡幅工事で、移転させられてしまう。

 なお「神武天皇」とやらが実在したのか…紀元前660年に戻れば弥生時代であり、「神武天皇」は127歳まで生きたことになっている、そんなヤツは実在しないとなるのだが、モデルとなる人物はいたのではないか…大和朝廷の大王は、先祖は九州、日向の国から流れて来た…というだけ。さらに言うと、三国志の呉の遺臣みたいなヤツが、日本列島に流れ着いた。九州の北部は、魏(呉が滅んだときは、晋)と友好関係にあった倭国が支配しているので、南部の日向に落ち着いたが、それでも安心できないので、瀬戸内海を通って、畿内に来た。それが「神武東征」伝説の元話であろう。

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たぶんホッキョクグマは絶滅しない…

 まずY!ニュースに現れた、地球温暖化の「恐怖」をあおる記事を紹介…
北極海の氷が消え動物も姿を消す、残された時間は
 雪と氷に包まれた極北の光景は、数十年もしないうちに見られなくなるかもしれない。少なくとも、夏のカナダ北部では難しくなるだろう。地球温暖化が進むにつれ、夏の海氷と、その環境に適応して暮らしているホッキョクグマやアザラシ、セイウチ、クジラ、ホッキョクダラ、甲殻類、海氷藻類などの生物が姿を消すかもしれないからだ。
 1980年代の衛星写真を見ると、北極の海氷は、夏の終わりになっても平均750万平方キロにわたって広がっていた。しかし現在までに、そのうち250万平方キロ以上が失われてしまった。気候モデルを使ったシミュレーションによると、2050年代までに、夏でも解けない海氷の面積は52万平方キロを下回る。それらははるか北方の狭い海域、すなわちグリーンランド及びカナダのエルズミア島の北側にとどまるだろう。その縮みゆく海氷が、北極にすむ多くの野生生物にとっての“最後の砦”になるのだ。(中略)
 北極海の氷は今後数十年間は激減するだろうが、夏でも消えない細長い海氷の帯が今世紀後半まで残ると考えられている。地球を温める化石燃料への依存を断つことができれば、さらに長期にわたって生き延びる可能性もある。その頃には、大気中の二酸化炭素を取り除き、地球を冷やす方法が見つかっているかもしれない。(以下略)


あああああ先日にも書いたように 、産業革命前、地球は「寒かった」のである。また、寒くなる前、10世紀から13世紀ぐらいまでは「中世温暖期」という暖かい時期があったのだ。
 10世紀、グリーンランドにスカンジナビアのヴァイキングが上陸し、入植している。(参考) 故郷と同じように牧畜を試みた彼らの入植地は約500年持続したのだが、「寒冷化」によって放棄されたそうだ。
 記事の中で当時のグリーンランドの気候については述べられていないのだが、中世温暖化が少なくとも北半球で「暖かい」気候が続いていたとするならば、グリーンランド周辺、北極海の海氷は今よりも少なかったと予想される。
 ホッキョクグマを始めとする極北の生き物たちは、この「中世温暖化」時の海氷が少ない時期を乗り切って、現在に至ったと考えられるから、今後温暖化で海氷が減少しても、多分大丈夫なんだと言える。

 それよりおこがましいのが、この表現…大気中の二酸化炭素を取り除き、地球を冷やす方法が見つかっているかもしれない。…オイオイ、地球のような巨大で複雑なシステムを、「二酸化炭素を取り除」くという単一の方法で「冷やす」ことなぞ、絶対にできない何考えてんだか。二酸化炭素を取り除くこと自体に、膨大なエネルギーが消費される。二酸化炭素を「取り除く」には、質の高いエネルギーが必要だが、「太陽光発電」や「風力発電」といった質の低いエネルギーを使おうものなら、確実に発電したエネルギーが追いつかず、「何をやっているのか分からない」状況に陥るだろう。

 地球温暖化は「自然現象」なので、ほっとくしかないのである。

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マウンダー極小期と、小氷期

 寒くて、太陽黒点が減っている(太陽活動が不活発)ことの、続き…

 1645年から1715年の間、太陽黒点がほとんど観測されなかった時期がある。30年間で観測された黒点の数は、約50個!普通なら4~5万個の黒点数が観測されたハズなのだが…この黒点数が非常に少なく、太陽活動が不活発になっていた時期を、マウンダー極小期 と呼んでいる。

 この時期、ヨーロッパや北米で気温が低く、テムズ川が凍結し、人々はスケートや氷上縁日(フロスト・フェアー)に興じていたといわれる。それぐらいならまだしも、低温期にはあちこちで飢饉が起き、ペストも流行したそうだ。

 もっというと14世紀半ばから19世紀半ばまでは小氷期 と呼ばれる寒冷な気候の時期が続いていた。この間にシュペーラ極小期 (1420年~1570年)や、ダルトン極小期 (1790年~1830年)と呼ばれる、太陽活動が低下したであろうとされる時期がある。ただし、太陽黒点の極端な減少という形で裏付けられているのは、マウンダー極小期だけである。

 小氷期の前は中世の温暖期 と呼ばれる時期が、10世紀から続いていた…小氷期に入ったであろう1347年、シチリアにペストが上陸し、瞬く間にヨーロッパで大流行した。おお、フランス大革命からナポレオン戦争、そして1830年革命までのヨーロッパの激動って、まさにダルトン極小期の時期じゃなイカ?

 寒いと、ロクなことはない…日本においても、小氷期の影響は飢饉などの記録によって確認されている。また、中世の温暖期は「平安時代」の貴族文化が栄えているが、小氷期は南北朝動乱から江戸時代後期まで、「江戸幕府」の安定期間(それでも飢饉は多くあり)を除いて、けっこう動乱な時代であったわけだ。

 ちなみに地球温暖化を「扇動」する「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」は、小氷期が全地球的に気温が低かったとは捉えておらず、あくまで北半球だけの気温が低かったものとしている。とはいえ、「産業革命以降、気温が○○℃上がる(った)」という表現には、注意しておくべきだ。なぜなら産業革命以前は、寒かったのだから

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寒いのは太陽が活動していないから?

 いやぁ~寒いわ
 今週になって例年にない寒波がおしよせてきているそうな。なんでもシベリアで、マイナス60度という記録的寒さをもたらしたヤツだ。

 今年は昨年より一段と寒いが、今回の寒波はそれに輪をかけて寒い

 こんな寒い寒波が現れるのは、北極地方が思いきり冷え込んでいるからだ…何が地球温暖化だ全然、温暖化してねぇ~じゃないか

 で、太陽活動がどうなっているのか、調べてみた…SWC 宇宙天気情報センターのサイトに当たると…
 へ太陽黒点がない!
 いや、ホンマに、黒点ゼロだ…

 1月20日から24日まで、黒点数ゼロ00000 
 黒点の数が少ないということは、太陽の活動が弱い…ということで、この傾向が続いているのならば、なるほど、今年は寒いわけだ。

 で、ごちゃごちゃ探していると、怪しいサイトに…
 地球は「4000年間の温暖期」を終了し、これから長い寒冷期へ…

 えっ、えっ

 紹介されている論文を引用してみると。

 研究は、ノルウェーのハラルド・インデスタッド(Harald Yndestad)博士とジャン・エリック・ソルヘイム(Jan-Erik Solheim)博士によってなされたもので、その内容は、太陽活動が非常に高い現代( 1940 年から 2015 年)の太陽活動は、過去 4000 年間で最も高い活動レベルだとし、そして、それは「今」終了したというものだった。

これらの科学者たちは、次の 10 年以内、あるいは 2025 年までに、次の太陽活動の極小期(これは 18 世紀後半のダルトン極小期と同様の性質を持つ)が、地球の気候に対する寒冷効果を発現すると考えている。
うっひゃっひゃぁ~

ま、ざっくり読んでみると、「温暖化懐疑論」なんだが…案外正しいと思ってはいるぞ。
今日はこのへんで…ではでは

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山陰海岸ジオパークだぞっ!

 さて、山陰侵略初日に通過したあたりは、山陰海岸ジオパーク に認定されているあたりになる。地図的にいうと、京都府の丹後半島から、鳥取県鳥取市まで…

 でもって、山陰本線からもちらとその様子がうかがえるのだ。
 有名どころでは、豊岡のすぐ北に玄武洞なんてのがある。玄武岩の柱状節理がある他、地球磁場の逆転が発見されてもいる。鳥取砂丘もジオパークを構成する名所の一つだ。ただし、両者とも鉄道からは見えない。

 山陰本線が城崎温泉を越えて、兵庫県の海沿いに出ると、リアス式海岸を望むことが出来る…リアス式海岸も、地殻変動によってできた代表的な地形…季節風を防ぐので、北前船の風待ち港としても使われたりする。
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 余部橋梁があるあたりなんかもそうだ。手前の鎧駅あたりも、リアス式海岸が迫っている。風待ち港として、香住や浜坂なんかも使われたらしい…

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 で、浜坂で降りた際に、新温泉町 山陰海岸ジオパーク館 に行ってみた。が…あんまり時間がないので、ちらっと見た程度…

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 パンフレットだけ、もらってきました(^^)

 パンフから1点だけ…★カニのここがジオ!から…
 大陸のへりが割れてできた巨大なくぼ地「日本海」中心部はとても深く、しかし隣接する海とつながる海峡の水深は概ね50~140mと浅いため、海水の交換が表層に限られ、孤立した「日本海固有水」ができます。この冷たく溶存酸素量の多い海水のおかげで、日本海はカニなどの冷たい海に住む魚介類が生息することができるのです。
 日本海は海底地形が複雑なことも特徴の一つです。そのためこの地域ではズワイガニとベニズワイガニという2種類のカニを楽しむことができます。水深約100m~500m前後に生息するズワイガニ、水深約500~2500m前後に生息するベニズワイガニはそれぞれ特有のおいしさを有しています。海底地形の複雑さはカニの棲み分けをはじめ、水産資源の多様さにもつながっています。

 とのこと…日本海の海の幸は、地殻変動の賜物だったのだ

 他、この海岸沿いは、城崎温泉、浜坂温泉、湯村温泉の他に、小さな温泉地がポツポツと点在している…香住にも香住温泉があるし、その1駅手前の柴山(これもリアス式海岸が迫っているところ)に柴山温泉なんてのがある。鳥取駅前も、鳥取温泉というのが湧いている。
 こうした温泉は、地下で暖められた地下水が、断層に沿って湧き出しているのだそうな。

 ただ、こういった地球の造形を十分堪能するには、やはりこのあたりは交通が不便だ…鉄道やバスは本数が少なく、車で回るしかない。車で来たとしても、高速道路がないから、全部見て回るのは大変である。
 しかし、そういった不便さも、逆に山陰海岸ジオパークの魅力ではなかろうか

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真理<天皇 の教育勅語

 以前のエントリー教育勅語はなぜイカんのか? で、教育勅語の問題点として
①「天皇のために尽くせ」という道徳規範であること
②道徳を天皇の下に置いていること
を上げた。
このうち、②についてもう少し述べてみよう。羽仁五郎も喝破したように…
教育勅語の最大の問題は、道徳を天皇の権威の下においた(中略)教育勅語は実は人間を、道徳を、教育を目的としておらず、これらの最高の価値を尊重していないのである。

 この「教育を目的としない教育勅語」で教育された人間が世の中に広がった結果、どうなったか

 ものごとの真理<<<天皇 と考える人間があふれたわけだ。そして…

 70数年前の戦争では、その戦争目的が正しいかどうか判断もせず、「天皇の命令である」からと、みんなして突入していったわけだ。
 そして、負けが込んでも止めることもできない…しかし、1945年8月15日、天皇が「戦争止~めた」と放送したら、素直にみんな矛をおさめちゃった。
 あの戦争(目的が「自存自衛」にせよ、「大東亜共栄圏の確立」にせよ、「八紘一宇」にせよ)が「正しい」のであれば、少なくとも戦争指導をしてきた高級軍人たちは、最後まで抵抗するか、自決すべきであったのに、それもしなかった。

 み~んな、天皇の言う事を聞いて初めて、戦争を止めたのである。

 もちろんこの「からくり」を、マッカーサーは良く理解しており、よって戦後の占領政策を円滑に進めるために、昭和天皇の戦争責任を問わず、天皇制にもほとんど手をつけず、温存したのであるが…

 真理<天皇の図式が成立していては、物事の真理や本質をつかむことができない。何が正しいか?判断できなければ、民主主義も成立しない。科学も技術も、進歩しない。
 ブルジョワ社会的に考えても、競争に勝つことはできないのである…「天皇制」に組み敷かれた日本帝国主義は、しょせん「自由」な米帝や英帝に勝てっこなかったのである。

 この「天皇制」は、残念なことに今も日本社会にどっかりと居座っている…「象徴天皇制」と名を変え、ソフトな感じに「変身」して…

 「教育勅語」なんぞ有難がっている「右寄り」政治家・文化人は沢山いるようだが、道徳や真理が天皇(あるいは国家権力)より下に位置付けられる社会は、衰退と滅亡に向かうしかないのである。

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