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コンクリート船を見に行く闘争

 先日、仕事関係で広島方面に行く用事があったので、ついでに戦時中につくられたコンクリート船「武智丸」が防波堤として使われている所を見に行った。コンクリート船というと、そんなモン浮かぶのか?と思う人もいるかも知れないが、鉄の船だって浮かぶのだから、コンクリートで船の形を作れば浮かぶのだ。
 コンクリート船の話は、小林一輔先生の著書「コンクリートの文明史」(岩波書店 2004年10月)で知った(小林一輔先生については、こちら)コンクリート船は戦時中、鋼材が不足したため建造されたものだが、提案したのは武智正次郎という人。1941年12月に東条英機首相と海軍艦政本部長にコンクリート船建造の建白書を提出している。その後、武智の土木会社がコンクリート船を建造することになり、造船所が加古川の塩田跡に設けられた。最初は動力の無い特殊油槽船を建造し、1944年~45年にかけて自航できる総トン数840トン、全長64.3m、幅10m、積載貨物量940トンの第一~第三武智丸が建造されたのである。なお、コンクリート船は当時も「泥船」と揶揄されたものだが、戦時中は米軍もコンクリート船を大量に生産しており、総トン数2000トンクラスの貨物船や油槽船を104隻建造している。船としての性能はともかく丈夫で、瀬戸内海で触雷してもびくともせず、揺れが少なくて乗り心地も良かったそうだ。

 場所は、広島県呉市安浦である。JR呉線の安浦で下車。
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 駅員さんがワンオペで対応している。待合室が改装されていて、綺麗だった。

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 昔は安浦町でした…目的とする三津口港は、駅から歩いて15分ほど…「武智丸」と書かれている。

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 国道沿いに歩いて、漁港に到着…

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 おお、コンクリート船が2隻、並べられている!

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 一応、立ち入り禁止となっているが、フェンスは開けっ放し…先ほども牡蠣を食いに来た観光客とおぼしき人たちが中に入っているのを確認している。どうやら近所の人が管理していて開けてくれる らしい。

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 由来を示す看板…台風被害を避けるため防波堤の建設を依頼していたところに、コンクリート船を払い下げてもらって設置したもの。

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 フェンスが開いているので、中に入ってみた…手すりは簡易なものだから、観光客用でないことは分かる。手前の船は半ば土砂に埋もれている。
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 かなり立派なつくりで、大きい船であることが分かる。

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 細かな部材は風化が進み、外に近い鉄筋は錆びている。
 「コンクリートの文明史」で小林先生が述べておられるところによれば
 私は2002年までに数回現地を訪れ、二隻の武智丸をつぶさに調査した。潮風に約60年間曝されてきた船体はいまでも健在であった。強度も設計当時の値を保持している。それだけでも十分に驚きであったが、さらに意外な事実が判明した。船体のコンクリートには信じられないほど多量の塩分が含まれていたのである。コンクリートを練り混ぜるときに使用した砂が原因である。それは、造船所建設の際に掘り起こした廃墟塩田の砂であった。ところが、それにもかかわらず、しかも驚くべきことに、内部の鉄筋はほどんと腐食していなかった。(p156~157)
 コンクリート中の鉄筋は、コンクリート中の塩化物イオン量が1.2~2.5㎏/㎥以上になると発錆するとされている…おそらくそのくらいか、それ以上の塩分量が検出されたのであろう…それでも内部の鉄筋は錆びていないというのは、いかに密実なコンクリートが打設されていたのかということである。しかし、今回確認したように表面に近い部分の鉄筋は錆びが進んでいる。

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 船端にも、コンクリートの浮き、それによるひび割れが見受けられる…少し蹴ってみると、落ちそうだ!内部の鉄筋の腐食は進んでいると思われる。さすがに建造から70年以上が立つと、こうなってくるのだ。
 このコンクリート船防波堤を「産業遺産」的に保全しようとすると、難しいだろう。鉄筋が錆びないようにするためコンクリート補修や塗装をするにしても、建造時の雰囲気を損なわないように材料等を選ばないといけない。防波堤としての役割はまだまだ果たせるだろうから、撤去して別のところで保存するわけにもいかない(だいたい重量がありすぎる!)…結局、このままここに留め置かれて、ちょっとずつ朽ちてゆくのを見ているしかないのであろう。
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 後ろを振り返ってみる…実は吊りをしている人がいた。この人がいるので、フェンスが開きっぱなしになっているようだ。(この人が管理者?)

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 早々に引き上げることにする…漁港周辺には、牡蠣を生産・加工・販売しているところが沢山ある。

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 おまけ…呉線を始め、広島地区で活躍する227系電車…こちらはセミクロスシートで運行中。
 ではでは…

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奈良に特急で行く闘争

 昨日の梅田解放区には、なんと50名近くの方々が来ました(^^)ありがとうございます…
 ということで、今日は闘争とは全く関係のない、乗り鉄ネタです。
 奈良県には、JRの特急列車は走っていない…近鉄特急なら、走っている…沖縄県を除いて、唯一JRの特急が走っていない県なのだが。
 それでも、臨時で特急が走っている。それが昨年3月のダイヤ改正で開業した「おおさか東線」を経由して、新大阪から奈良に向かう特急「まほろば」である。昨年の冬ダイヤから走り出して、今年の春の臨時列車でも走っている。それに乗ってみることにした。ついでに、開業1年後の「おおさか東線」北区間のレポートもするね(完全乗車は以前にやっているが、いちいちブログ報告していない)
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 目的の列車は、午前10時03分に新大阪を出発する。車両は和歌山に行く特急「くろしお」に使われる287系3両である。足元には「まほろば 〇号車」と書かれた表示も貼ってあるぞ。なお、この後すぐ土日には10時17分発、奈良行きの「直通快速」が走っている。
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 シートはありきたりの特急列車のもの。新型コロナの影響もあってか、そんなに人はいない。

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 定刻に新大阪を発車…東海道線の東淀川駅を過ぎると、こうしてスロープで上がって行き、やがて東海道線をオーバークロスして東おおさか線に入る。次は南吹田駅。ここは長らく鉄道系の公共交通機関がなく、駅の開業が待ち焦がれていたところである。
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 南吹田駅の次は、JR淡路駅…手前で阪急京都線淡路駅が見えるところ。わりと近そうだ…隣には以前から進められている連続立体交差工事の状況が見える。

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 JR淡路を過ぎて、淀川を渡る…この橋は、2013年に「おおさか東線」の工事着手まで、貨物線の横を人や自転車が渡ることが出来たのだ。

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 城北公園通り駅を通過…おおさか東線の新駅は、こんな感じの相対式ホームである。

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 JR野江駅を過ぎて、京阪本線の複々線を越える。京阪の野江駅と、JR野江駅も近いが、京阪野江駅は各駅停車しか止まらないので不便。(阪急淡路駅は、特急も停まる!)
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 JR野江駅を過ぎると、右から「学研都市線(片町線)」の線路が近づいてくる。

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 鴫野駅で、学研都市線に合流…ここで「おおさか東線」の昨年開業した区間はおしまい。

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 1駅区間走り、関西の有名難読駅「放出(はなてん)」を過ぎて、2008年に先行開業した区間に入る。

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 この先行開業区間は、なんか毎駅ごとに既存の鉄道と交差・乗り換えができる感じになる。ここはJR俊徳道駅近く、近鉄大阪線と交差する部分。
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 2014年にオープンした「あべのハルカス」も、すっかり大阪のランドマークとなった。
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 おおさか東線は、普段は黄緑色の201系電車が走っている。ただ近い将来、東海道線で快速に使われている221系に置き換わるようである。

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 新加美駅(しんかみ)駅を過ぎると、関西本線の線路が下からやってくる。やがて近畿自動車道をくぐってシャープの工場が見えてくると、「おおさか東線」の終点、久宝寺駅である。ここで運転停車的に止まる。新大阪からの所要時間は約25分、評定速度で48㎞/hほど…すごくのろのろと走って来た。

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 特急「まほろば」は途中どこにも停車せず、新大阪の次はいきなり終点の奈良である。関西本線に入って、スピードを上げるか…と思ったら、まぁちょっとは快走したが、王子あたりまで山の中をのんびり、のろのろと進んだ。法隆寺、大和小泉、郡山あたりの直線は、さすがに快走!
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 大和盆地を進む…向うに見えるのは、近鉄橿原線の架線である。

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 奈良駅に到着…10時53分、約1時間弱の旅であった。
 新幹線から外れた奈良へのアクセスといえば、JR奈良線を使った「みやこ路快速」が定番となっている。奈良線も単線区間が残り、また京都~宇治の区間は線形も悪くぐねぐねしているので、スピードが出せない。あえて特急を運行するメリットもないので、快速のままなのだろう。で、おおさか東線を経由する特急「まほろば」も、おおさか東線や関西本線内でスピードが出せず、50㎞ほどを1時間かかっているようでは、あまり「特急」としての意味はない。ただ指定席があるので「確実に座れる」メリットはあるかと…ただそれだけだなぁ~。

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 特急「まほろば」の利用があまり芳しくなくて、結局運行止め!ということになれば、奈良はいつまでも「JR特急が走らない県」の立場に甘んじなくてはならない…ということで、リニア中央新幹線に希望をつなぐしかないのだろう。
 ではでは…

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南海加太線に乗ってくる

 なんか時間があったので和歌山まで足を延ばして、南海加太線にのってきた。80年代に「完乗」のため乗車して以来だから、三十数年ぶりとなる。もちろん、当時の記録もないし、記憶もほとんどない…初乗車みたいなモンだ。
 特急乗って、南海和歌山市駅に到着…ここも超・久しぶりだが、なんか工事中のようだ。駅ナカや改札の外には「アンスリー(南海・京阪系のコンビニ)」しかない。駅の外にも「白木屋」しかない!お昼前なのに、メシが食えない!
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 駅の外観は、こんな感じ…今、2020年中のオープンを目指して改装工事中だそうな。右の建物は図書館だそうである…和歌山市の文化の中心地になるのか?
 しかし和歌山市駅前がこんなに何もないとは改めて驚いた。JRの和歌山駅だったら、いろいろ店とかあるのに…メシは、しょうがないので「アンスリー」でパンとか買って、車内で食べることにする。学校の試験期間中か、高校生が集まってくる。
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 こちらはJR和歌山線への乗り換え口である。正面がJR和歌山線、左側から、南海加太線の電車が発着する。
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 やってきました、赤い電車!これは観光電車「めでたいでんしゃ」と言って、タイをイメージしたラッピングデザインが施されている。ちなみに「めでたいでんしゃ 」は3両あって、赤いのは「なな」と呼ばれている。リンクを開いてもらうと分かるが、水色のが「かい」ピンクが「さち」で、「なな」は「かい」と「さち」が結婚してできた子どもという設定だ。2014年に「加太さかな線プロジェクト」というのが始まり、加太線に「加太さかな線」の愛称がついた。その後、16年にピンクの、17年に水色の「めでたいでんしゃ」が走り出し、赤い「めでたいでんしゃ」は去年の3月から走り出した。
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 中は、こんな感じ。2両の、もちろんロングシート。つり革の「輪」の部分が、魚の形をしている。
 時刻になったので、発車…さっききた南海和歌山本線を戻り、紀ノ川を渡る。次の駅「紀ノ川駅」に停車…ここは南海和歌山本線の駅で、ここで加太線が分岐する。各駅停車と区間急行しか停まらず、日中は各駅停車しか走ってないので、大阪方面から加太線に乗るのは不便である。
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 紀ノ川駅を過ぎて、本線を右に分岐…なぜかこの辺りだけ複線となっているが、加太線は基本・全部単線である。

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 加太線内初の駅、「東松江駅」…この駅は島式ホームで、改札も「島」の中にある珍しい形である。

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 「中松江駅」ここも島式ホームだ。

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 加太線内3つ目「八幡前駅」で、対抗列車とすれ違い。この後「西ノ庄」「二里ケ浜」駅と続く。「西ノ庄駅」は交換が出来ない。

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 平日の昼間は、ガラガラだ。高校生も乗っていたが、ほとんどいなくなった。

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 「磯ノ浦駅」を過ぎると、山を切り開いて道路建設が行われていた。加太のあたりは周囲を山に囲まれており、戦前・戦中は「要塞地区」として一般人の立ち入りにも制限があったようなところだそうな。

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 車窓に菜の花が見えてきたら…

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 終点・加太駅に到着…海が近い「ハズ」なのだが、なぜか山の中の雰囲気がいっぱいの駅。

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 改札と待合室も、こじんまりとしている。

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 「トンガリ」(「キテレツ大百科」のスネ夫もどきではない、念のため)というものが飾ってあった。加太駅の屋根瓦の飾りらしい。危険になったので撤去して、ここで展示しているとのこと。

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 駅の外観…右隣は「店」なのだが、閉まっている。

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 顔だすヤツ…

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 これも「顔出し」のヤツだったか…どこかの事務員さんが、沢山の郵便物を出しにポストにやって来た。

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 改札のあたりは、こんなふう。

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 「めでたいでんしゃ」をアピールしています…それでは街を歩いてみよう!
(つづく)

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佐喜真美術館とゆいレール

 22日は帰阪の日、名護を出て宜野湾の佐喜真美術館へ行くことにした。名護からここに行くには、辺野古を経由する77系統のバスで普天間で降りて歩くのが王道だろうが、高速バスの中城(なかぐすく)パーキングにあるバス停も地図で見たら近い!ということで高速バスで中城バス停で降りて佐喜真美術館に行こうとすると…
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 えらく坂を上ることになった…向うに見えるのが高速道路…グーグルマップとか、道路地図は土地の高低が分からないから、こんなことになる(^^;;
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  さっきのところから少し進むと、すぐ宜野湾の市街地に入る…下り坂はそんなにきつくない、ということは、宜野湾市や普天間基地は高速道路よりも標高が高いということになるわけだ。先に見えるバス通りを右に曲がると、佐喜真美術館に行く道にすぐ出ることになる。

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 目印としては、宮脇書店を覚えておくとよいだろう…公園通りを真っすぐ進むと…

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 案内看板が出ている。

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 すぐに佐喜真美術館が見えてくる。この日は幼稚園児たちが先生に引率されてきていた。「今日はここで何の話を聞くのかな…戦争の話ですね」「みんな沖縄で戦争があったこと知ってますか?」「知ってる~」
 開館時間は9:30~17:00、入館料は800円である。佐喜真館長自らが切符を売ってくれた。
 実はここ、何年か前に一回行ったことがあるのだが、今回の目的は「命どぅ宝 沖縄戦の図 全14部 展」である。
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 「沖縄戦の図」は、丸木伊里・丸木俊さんが最晩年に取り組んだ八連作…取材も含め6年かけて制作したものだ。企画は9月25日から12月16日まで。
 展示されている絵を見ると、やはり圧倒される…黒い画面に赤い血がところどころある…そんな感じ。ピカソの「ゲルニカ」(本物を見たことないけど)を連想させるような「集団自決」という絵もある。「ひめゆりの塔」では、火炎びんを投げようとする若者と、前の天皇夫妻が描かれている。
 いやぁ~行ってよかった!

 美術館自体は小さいので、絵はすぐ見終わった、美術館の屋上に上ると、普天間基地が一望できる。館長は「基地が出来る前は松並木がありました。それを想像しながら見て下さい」と言う。館内には基地を「引き取ろる行動」系の本がちらほらとある。
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 こう階段を上って、その先に

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 この四角い窓から、基地を望むような作りになっている。

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 滑走路はあんまり見えず、こんもりとした森が広がっているのが見える。また今日、この時は訓練が行われていないのか、とても静か。

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 敷地内には、亀甲墓がある。
 さて、佐喜真美術館を後にしてバスに乗車…国際通りに入る安里バス停で降りて昼食の後、牧志駅からゆいレールに乗ることにする。
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 目的は、10月1日に首里から「てだこ浦西」まで延伸された区間に乗車するためである。

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 牧志駅の改札内、案内表示には「てだこ浦西」と書いてある。
 モノレールはいつものとおり、満員御礼!といいたいとこだが、「おもろまち」駅でなぜか多くの人が下車…大型ショッピングセンターもある新都心だからということらしい。
 首里に向かうモノレールは、ドンドン標高を上げていく…琉球王府も高い所にお城をつくって、民衆を見下ろしていたということだろう。首里城公園は見えるが「焼け跡」はよく分からない。
 首里を過ぎれば延伸区間…なんか乗車している人は少ない。平日の昼とはいえ、大丈夫か?ゆいレール。
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 石嶺、経塚(ここから浦添市)、浦添前田を過ぎ、道路と並行して掘られたトンネルを抜けると、終点のてだこ浦西駅に到着!完乗闘争勝利!
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 向かいのホームには、那覇空港に戻る車両が待っていた。

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 終点の様子…高架橋は一般道路で、向うにすぐ高速道路が走っている。

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 改札を出たところ…まだまだ周辺は工事中だ。

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 パーク&ライドで利用する駐車場も整備されている…こうゆう取り組みで公共交通機関になじみの薄い沖縄の人を取り込み、利用者を増やすことも必要だ。

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 高速道路まで行ってみると「幸地」バスストップが近い…まあ、ここで乗り換えるという需要はあまり期待できないだろう。

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 駅の様子は、こんな感じ…一通り見たので、ここから那覇空港に戻る。始発駅での特典、前面展望ができる一番前の座席に座り、40分ばかりモノレールのアップダウンを楽しませてもらった。

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残念な首里城炎上

 今日朝起きてPCを起動し、インターネットに繋げるととんでもない事件が起こっていた。Y!ニュース共同通信
沖縄・首里城が炎上、7施設焼失 正殿から出火か、城跡は世界遺産
 31日午前2時40分ごろ、那覇市の首里城で煙が上がっていると、警備会社から119番があった。正殿などが激しい炎を上げて燃え、正殿と北殿、南殿が全焼するなど主要7棟の計約4800平方メートルが焼失、午後1時半ごろに鎮火した。周辺住民30人以上が一時避難したが、けが人の情報はない。市消防局によると、正殿内部から火が出た可能性が高く、那覇署と出火原因や経緯を調べている。
 琉球王国の中心地だった首里城は太平洋戦争で全て焼失、その後主な施設が復元された。7棟は対象外だが、首里城跡を含む「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」は2000年に世界文化遺産に登録されている。

 火災の原因はまだ分かっていないが、沖縄観光のシンボルの一つであり、沖縄が日本とは違う国家・国政であったことを示す建造物で、沖縄県民の心の拠り所となっていた首里城が、あっと言う間に灰燼になった。残念であるとしか言いようがない。
 首里城には、1997年、初めて沖縄に行った時に訪問している。当時はまだモノレールもなく、分かりにくいバス路線を、これまた不案内なバス停の案内表示をみながらなんとかたどり着いた。首里城は復元されて数年…日差しの強い中歩き回り、大きくて広いのが印象的だった。ただし展示物についてはほとんど覚えていない。97年といえば、ちょうど普天間「返還」その代わり辺野古に代替施設を…というようなことが出始めていた頃だ。
 それから二十余年、今は年に1~2回は沖縄に行き「辺野古新基地建設反対!」なんてことをやっている。だが沖縄「観光」はほとんどやっていない。首里城にも全然、行ってなかった。
 10月1日にゆいレール がてだこ浦西駅まで延伸したので、こんど行く時は延伸部分に乗車…ついでにまた首里城にでも行ってみるか…と思っていた矢先に、この火災である。本当に残念だ。

 沖縄県の玉城知事は、「必ず復元する」 と宣言している。復元には莫大な資金と労力、さらには知恵や技術も必要とされるが、困難にめげずに取り組んでもらいたいと思うし、我々もなにがしかお手伝いが出来ればとも思う。

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三陸の「復興」もしくは国土強靭化を見て…

 半月ほど、三陸鉄道とその周辺の「乗り鉄」記事を書いてきた。実質、3日間ほどしか現地にはいなかったのであるが、いろいろと「復興」に向けた防潮堤工事や、バイパス道路工事を見ることが出来たのは大きかった。
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 震災・大津波から8年余、まだ仮設住宅に住まざるを得ない人、原発事故で避難生活を余儀なくされている人もいるが、多くの街では高台とかにちゃんとした住宅が整備され、そこで暮らしている。交通網も元に戻った…その上で、さらに「安全」を目指して、防潮堤や道路の工事が今も行われている。
 防潮堤にしろ、バイパス道路にしろ「ここにこれだけのものが必要なの?」というくらい大きい、あるいは立派なものだ。だがここには8年前、確かに巨大な津波が来た…同じ程度の津波は、また来るだろう…そのためにはこれぐらいのものが必要だ!というのは、痛いほどわかる。

 ここで一つ疑問が出る…同様の津波は、今後30年以内に高い確率で来ると言われる、南海トラフ大地震においても起こるとされている。にもかかわらず、例えば高知県の海岸沿いで今、このような大規模な防潮堤工事やバイパス道路工事を行っているということは聞いていない。何が言いたいかというと、三陸で巨大な土木工事が「必要」だからバンバンやっている、だが他の「必要なところ」ではそれがなされていないのではないか?ということだ。
 道路については、もともと三陸地域には、三陸自動車道などの計画・構想があって、震災後は「復興道路」と位置付けられ、予算を投下して建設が勧められた。道路建設は周辺の道路整備も同時にやらないと意味をもたない。防潮堤を新しく作る、同時に海岸も整備するということで、同時並行的にバイパス道路も作っているのだろう、それはよい。
 だが、例えば高知県ではそのような高規格道路の建設計画はなく、住民の安心のためのバイパス道路を整備しようとしたら、一からやらないといけない。予算もつきにくいだろう。そうすると、次に南海トラフ大地震の津波が来る前に、バイパス道路整備や防潮堤整備が間に合わないということにもなりかねない。

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 「国土強靭化」という事が言われている…東日本大震災の後も、熊本地震を始めとする震災や、台風、集中豪雨による被害が多発している。今も台風15号による停電は、千葉県等で現在進行形である。加えて高齢化が進み、災害に対応する人的リソースも低下する中で、ハード面の防災対策をきちっと行っておくことは急務である。
 消費税増税に反対している元内閣官房参与の藤井聡 氏などは、「アベノミクス」の中の財政出動でバンバン「国土強靭化」のための公共投資をやるように主張していたわけだが、それは三陸では十分に行われた「かも」しれないが、まだまだ不十分だと感じているのだろう。で、安倍政権はそういった方面にカネも政策も出さず、財政出動はフェードアウトのうえ、消費税増税!に舵を切った…増税した分が公共投資に回るかどうかは分からない…おそらく過去にあったとおり、ルーチン的な「国債償還」と法人税減税とかに消えるのであろう。ということで藤井氏は、財政規律なんかには構わず(MMT理論に基づいて)大規模な財政出動をして国土強靭化・公共投資をしろ!と言っているわけだ。このあたりは温度差こそあれ、松尾匡氏や山本太郎氏も同様だろう。
 また、金を出すだけで「国土強靭化」が出来るわけではない…建設業界も高齢化・人手不足が続いているのだ。必要なリソースを、それこそ「無駄」なオリンピックや万博、カジノに使うわけにはいかないのだ。(工事を請け負うゼネコンにとっては、とにかく金がはいってくれば、オリンピックスタジアムでも賭場でもエエわけだが…)

 三日間、三陸を回りながら得た感想である。

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島越の状況

 さて、三陸鉄道に乗って、島越(しまのこし)駅で降りてみたのだ…その時の報告。

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 乗って来た列車を見送る…

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 この先のハイぺ沢橋梁(復興したもの)が、土木学会の田中賞を受賞した記念。

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 再建された、おしゃれな駅舎。

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 クウェートからの支援を受けています。アラビア語ですな。

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 斜めから見た駅舎…右手の階段から下に降りて、向うの方に行ってみよう。

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 三陸鉄道の築堤の下に、公園が整備されている…実はここは震災前は高架橋であり、ここに島越の駅があったのだ。手前の「ドーム」は、昔の駅舎にあったものである。

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 巨大津波によって、高架橋も駅も流され、この宮沢賢治の詩碑と…

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 駅に上る階段の土台部分だけが残ったのだ…改めて津波の恐ろしさを知ることになる。

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 犠牲者を追悼する碑が建てられている。

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 このポールのてっぺん、17mぐらいまで津波が来たのだそうな。
 さて、駅を降りたところは巨大な防潮堤と水門の工事を行っていた。その他、この部分を高架で渡る道路も建設中だ。

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 こんな感じで、橋台部分を建設中…ちょうど朝8時過ぎで、作業員の方々が朝のラジオ体操をしていた。

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 北山崎断崖クルーズの観光船が出るところに来てみた…隣の立派な橋梁は、さっきの橋台にとりつく…そう、下を通っている道路の「バイパス」が整備されているわけだ。

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 観光船の乗り場は、こんな感じ…朝早いのでだれもいないが、時間とお金があれば行ってみたいところ。

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 観光船も出る港の様子…静かである。

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 先ほどの橋梁と一体となって、津波避難所が整備されている…橋の幅を広くして、津波避難所を作りましたって感じ。
 ブラブラしたので、また駅まで戻る。

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 観光船が出るくらいの名所…ここらへんは三陸ジオパーク としても売り出しているところなのだ。厳しい地形が見える海岸も面白そうだ。

 とまぁ、島越をちょっと眺めてみたが、ここは高架橋が完全に流されてしまうくらいの猛烈な津波被害を受けたところなのだ。海の傍にはもう人家はなく、上のほうに移転してしまっている。そして巨大な防潮堤、水門そして道路建設が成されているところだ。
 津波のことを知らないと、ここにこんな巨大な道路が必要か?というような疑問も感じるのだろうが、17mもの津波、そして高架橋が流された!という現実の下で、ここで大規模な土木工事が行われていることを批判・非難することは難しいだろう。

 おまけ…
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 三陸鉄道、JR久慈駅前の様子…

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 久慈から八戸までは、JR東日本のE130系気動車である…きれいな気動車なのだが、逆にキハ40系に乗りたくなってくるものだ…
 ではでは。

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三陸鉄道完乗闘争(その4)

 翌日2日は、宮古から元「北リアス線」を北上する。
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 朝の宮古駅…今日はちょっと雲が多い。

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 久慈行き36-200形

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 以前はここに三鉄の改札があった。本社の建物でもある。
 列車は定刻に発車…平日の朝なので、高校生が乗車している。

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 北リアス線は鉄道建設公団がつくった比較的新しい路線ということもあって、長いトンネルを一直線にぶちぬいて進む…遠くのほうに田老の海が見える。震災前には巨大な防潮堤があったが、その防潮堤も津波で壊れてしまったことで知られている。

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 田老の駅…ここで対向列車と交換する。田老を過ぎてすぐ、新田老駅の工事をしているところを通過。2020年春に開業するらしい…こちらのほうが学校とかに近いので、高校生とかは便利になるだろう。

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 田老で高校生とかがずいぶん下車したので、ガラガラになった。前方展望。

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 岩泉小本駅…龍泉洞への玄関口で、バスで30分ぐらいかかるそうな。

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 駅の手前には、日本で最初の鉄道PC斜張橋「小本川橋梁 」がある。リンクを開いてみると分かるが、特殊な外観をしている。矢印がコンクリートの主塔と斜材部分である。

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 岩泉小本の次の、島越(しまのこし)駅で下車することにした。ここは震災で甚大な被害を受けたところなのだが、見事に立ち直ったのでちょっと見てみることに。そのレポートは別途記事にする。

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 島越で1本後の列車…36-700形は、シートの間にテーブルがあるぞ。

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 島越駅を出てしばらくすると、震災で流され破壊されたのを復旧させたハイぺ沢橋梁を渡る。案内が流れて列車がゆっくりと走るのだ!曇っているので景色はイマイチかもしれないが、晴れていればスゴイのだろう。なお復旧後のハイぺ沢橋梁は、優れた橋梁や鋼構造物に送られる土木学会田中賞を受賞している。

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 次の田野畑駅は、立派な駅舎が建っている。

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 旧国鉄久慈線の終着駅であった普代駅を過ぎる…立派な高規格道路、三陸自動車道が完成している。

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 白井海岸駅を過ぎて、三陸鉄道撮影名所でもある大沢橋梁の上で景色を眺めるための停車…ここも晴れていればすごいんだろうなぁ~

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 三陸鉄道の大沢橋梁はコンクリートアーチ橋で、国道(三陸自動車道ではない)の側の大沢橋梁も、立派な鋼アーチ橋である。三陸鉄道撮影は、左手にあるレストハウスなんだそうな。

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 NHKの朝の連続ドラマ「あまちゃん」の舞台となった、堀内(ほりない)駅。

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 ドラマで出てきた「袖が浜」の駅名称…運転士さんが教えてくれました。

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 安家川橋梁のところでも停車…ここも景色がよさそうだ。

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 反対側は、三陸自動車道が工事中…向うに見える施設は、サケの養殖場だそうな。

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 以前乗車した時の終点、陸中野田に到着。

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 内陸の田園地帯を行く…

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 9時半前に、久慈に到着~これで三陸鉄道完全乗車闘争勝利❗

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 こ線橋の中は、こんな感じ…

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 三鉄の車両にも、さようならである。

 

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三陸鉄道完乗闘争(その3)

 釜石を出て、元JR山田線部分を北上する。
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 釜石から二つ目の、鵜住居(うのすまい)駅…あたらしい復興住宅が立ち並ぶ。住宅地には空地もちらほら…

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 向うの方には、釜石鵜住居覆復興スタジアムがある。

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 このへんでも、巨大防潮堤の工事が続けられている。

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 「ひょっこりひょうたん島」のひょうたん島がある大槌駅の次が、井上ひさしの小説で有名になった吉里吉里駅である。

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 なんか動物たちの像がおいてある。

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 吉里吉里を過ぎると、海が見えてくる…波板海岸、四十八坂海岸といったところ。

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 岩手船越駅で、対抗列車とすれ違う。

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 山田線の名前の元となった、陸中山田駅…山田町の中心部といことで、かなりの人が下車した。
 列車は山間部を走るが…

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 河川の水門が見えてくる…宮古が近づいてきたらしい。

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 3月23日に出来た新駅「八木沢。宮古短大」から前方を望む…

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 磯鶏駅を過ぎて、港の風景が見えてくると…

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 宮古に到着…三陸鉄道の本社がある拠点駅だ!

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 盛岡からJR山田線の気動車もやってくる。

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 いろいろ車両が留置されています。後ろは商業施設らしい。

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 三陸鉄道側の改札口。

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 JRの駅舎…といっても、管理は三陸鉄道がしている。

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 今年は、旧幕府海軍が新政府側の「甲鉄艦」を分捕ろうとして失敗した「宮古港海戦」から150年だそうな。

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 コスプレイベントもやるぞ!?

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 なんか見たことがある電車のポスターだと思ったら、叡山電車が三鉄カラーの車両を走らせている(pdf)のだった。

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 駅舎の隣のショップ「さんてつや」隣は向こう側に渡るこ線橋…市役所や市民センターみたいなのが駅裏に移転していて、そこに行くことができるのだ。

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 そのこ線橋から撮影した構内。

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 本日は宮古で宿泊…「さんてつや」で購入した支援グッズ。リアス線開業記念のクリアファイルと、サバのおつまみである。(つづくよ)

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三陸鉄道完乗闘争(その2)

 さて、三陸鉄道で北上する闘争は続く…
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 その名の通りの「三陸駅」に到着~

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 やがて、釜石の市街地に…すごく頑丈に作られたトラス橋を渡って…

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 鉄の街、釜石駅に到着~

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 やたらとキハ110形が居る…ここはJR釜石線の終着駅、C58で運行するSL列車SL銀河もやってくる拠点駅なのだ。

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 今はリアス線1本となったが、かつてはここで三陸鉄道「南リアス線」の終点であった。多分、あちらのホームに三鉄の車両は停車していたんだろうな。
 今乗っている車両も、宮古まで直通で行く、釜石では15分ほど停車するのだが、ちょうどお昼でお腹が空いた…ここで一旦、下車する。

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 三鉄は萌えキャラだけではないぞ…イケメンの鉄道ダンシ くんも居るのだ!(恋し浜レン 君と、田野畑ユウ 君)

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 もちろん、久慈ありす タンや、釜石まな タンもがんばってます(^^)

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 釜石には、イオンタウンがあるぞ~

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 JR釜石駅の駅舎とか…手前はJRがやっている宿泊施設フォルクローロ釜石 、向こう側はサン・フィッシュ釜石という商業施設…この中でラーメンを食す。

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 駅前はいきなり新日鉄釜石の建物だ…市街地は左に曲がってちょっとバックして、というところに広がっている。

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 JRの駅では、SL関係のグッズも売っているぞ!

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 サン・フィッシュ釜石では、漫画家さんたちが釜石の街を応援していた。
 ラーメン食べただけでは時間があまる…次の宮古行きまでは2時間ぐらいあるので、暑いけど釜石の街をあるいてみた…

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 で、イオンまで行くと、こんな企画をやっていたのだ。

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 Nゲージのジオラマもあるぞ!
 ま、釜石ではイオンしかないわけでもないのだが、あんまり近くには見る所がない…ちょっと戻れば釜石大観音 なんて像もあるのだが…

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 その観音様は、三陸鉄道からも見える…

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 時間をつぶして駅に戻る…次の宮古行きは、レトロ車両じゃなイカ!

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 中はこんな感じ…いやぁ~シックですねぇ~(^^)

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 座席の間には、しっかりしたテーブルがあります…荷物も載せられるし、飲食物もOK!
 では、これで元JR山田線区間を北上しよう(つづくよ)

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