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新・日本の階級社会(その5とまとめ)

 いよいよ「新・日本の階級社会」の長いレビューの終章である…

 格差が広がり、階級が固定化することは大きな弊害が伴う。生存権を保障されず、家族を形成する機会すら得ることができない人々が多数存在することは倫理的に看過できることではない。格差が大きい社会ほど、平均寿命が短くなる傾向があり、税を払うことのできない人が増大すると同時に社会保障支出が増大する。また、格差の固定化とは、貧困層の子どもが教育を受ける機会が奪われることであり、社会的損失である。
_0001  筆者は階級を無くすことは不可能かもしれないが、階級間の格差が小さなものになり、自分の所属階級を自由に選ぶ可能性が広がれば「無階級社会」とはいえないが「非階級社会」を作ることが可能だろうと説く。

 格差の縮小のためにはさしあたって
(1)賃金格差の縮小…均等待遇の実現・最低賃金の引上げ・労働時間短縮とワークシェアリング
(2)所得の再分配…累進課税の強化・資産税の導入・生活保護制度の実効性の確保・ベーシックインカムの導入
(3)所得格差を生む原因の解消…相続税率の引き上げ・教育機会の平等の確保 これらの政策が候補として上げられる。このような政策を実行してゆくにはどうすれば良いか?
 格差拡大を認識している人ほど所得再配分を支持する傾向が高く、自己責任論の立場に立つ人ほど所得再配分を支持しない。新中間階級は強固に、資本家階級と正規労働者はやや控えめに、所得再配分に否定的な傾向が強い。一方、パート主婦、専業主婦、旧中間階級、無職の人々、アンダークラスの人々は所得再配分を支持する傾向がある。このように所得再分配に対する合意形成への有効な道筋は、階級・グループによって異なる。 そこですべての人々、とりわけパート主婦や専業主婦たちの間に、格差が拡大し貧困層が増大していることは紛れもない事実であり、これが多くの弊害をもたらしている点についての共通認識を形成すること、また所得再分配に合意しにくい新中間階級と正規労働者に向けて、自己責任論はまやかしであり、間違っていると説得することが必要になってくるのだそうな。
 現在の調査では所得再分配に否定的な新中間階級も、かつては政治意識が高く、格差の現状に批判的で、所得再配分などの格差是正政策を支持する傾向がある程度まで高かった。また平和運動や反公害運動、最近では反原発運動や安保法制反対運動でも中心的な役割を担ってきたのは高学歴な新中間階級であった。だから現在の新中間階級に期待できる部分がないわけではない。格差拡大を認め、自己責任論を否認し、所得再分配を支持する傾向が強い「リベラル派」と分類されるべき人たちが、新中間階級の中で46.8%ぐらいは居る。もし格差社会の克服を一致点とする政党や政治勢力の連合体が形成されるなら、その支持基盤となる階級・グループはどこか?アンダークラス、パート主婦、専業主婦、旧中間階級、そして新中間階級と正規労働者のなかのリベラル派である。一見すると多様で雑多な人々を、格差社会の克服という一点で結集する政治勢力こそが求められるのである…と橋本氏は結論づけている。
 すなわち現代に求められる政治勢力は、資本家階級のイデオロギーや利害に立脚した自民党やその亜流の保守政党ではなく、他の階級の利害に立ち、階級格差を縮小していく(それは軍備重視を止め、多様性も認めるような)政策をとる「新しい政党(政治勢力)」なのである。
 ぶっちゃけた話、「維新」や「国民民主党」のような「保守」を標榜し、自民党との違いが分からないような政党はいらないsign03ということだ。また、それに答えられるのは誰か?何処か?ということが問われているのだ。virgo

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新・日本の階級社会(その4)

 格差を縮小し、階級差を縮めるためにはどうすればよいか?まずその前に、格差拡大について人々がどのように認識しているのか、見てみよう。
 その前に「右傾化」についてちょっと見てみると…「若者が右傾化した」とは言われるのだが、自民党支持率は、2005年まですべての年齢層で大きく低下しているものの、2015年では40代は横ばい、30代以下ではわずかに上昇している…相対的にみれば若者の保守化は事実であるが、「自分の住む地域に外国人が増えて欲しくない」「中国人・韓国人は日本を悪く言いすぎる」「日本国憲法を改正して、軍隊を持つことができるようにしたほうがいい」「沖縄に米軍基地が集中していても仕方がない」の4つの設問…前者2問が「排外主義」傾向を、後者2問が「軍備重視」傾向を示す…を用意し、それぞれそう思うか、そう思わないか、どちらとも言えないかを問うてみると、「排外主義」に関しては、むしろ高い年齢層で支持する傾向が高く、とくに下層の若者で「排外主義」「軍備重視」の傾向が高いとは認められない。排外主義的な傾向がもっとも弱いのは、パート主婦である。
 次に「日本では以前と比べ、貧困層が増えている」「いまの日本では収入の格差が大きすぎる」「貧困になったのは努力しなかったからだ」「努力しさえすれば、誰でも豊かになることができる」…前2問は格差に対する認識を、後ろ2問は自己責任に対する認識を示す…を問うと、多くの階級では約三分の2の人々が、アンダークラスでは約8割が、貧困層は増大しているとみなすのに対し、資本家階級は辛うじて半数の人々がそう考えるに過ぎない。新中間階級は、格差が拡大して貧困層が増えている事実は認めるが、格差が大きすぎるという価値観とは距離を置いている。自己責任論は資本家階級でその傾向が強いが、各階級間で大きな差にはなっておらず、アンダークラスにもある程度まで浸透している。パート主婦は自己責任論を強く否定している。_0001

 されに「政府は豊かな人からの税金を増やしてでも、恵まれない人への福祉を充実させるべきだ」「理由はともかく生活に困っている人がいたら、国が面倒をみるべきだ」という、所得再分配政策に対する意見を問うと、アンダークラスが所得再配分を支持する度合いが強く、資本家階級は低い。また資本家階級、新中間階級と正規労働者は、所得再配分への支持は同程度である。なお、政党支持別にみてみると、自民党支持者は格差拡大を容認し、所得再分配に消極的である。

 ここで、格差に対する認識と「排外主義」「軍事重視」の傾向をクロス分析してみると、自民党支持者は排外主義的な傾向が強く、軍備重視の傾向も他を大きく引き離して強い。公明党支持者は排外主義の傾向が特に弱く、民進党(調査当時)支持者は軍備重視の傾向が特に弱かった。また、アンダークラスでは、所得再分配を支持する人ほど排外主義的傾向が強いということも分かった。
 政治的立場としては、
 格差是正―平和主義―多文化主義 …左派
 格差容認―軍備重視―排外主義  …右派
 と分けられそうだが、こうした構図はかなり崩壊しているように思われる。
 平等への要求と平和への要求は、新中間階級、パート主婦、旧中間階級では結びついている。平等への要求と多文化主義は、資本家階級と新中間階級で強く結びついている。資本家階級の多くは格差を容認し、排外主義的である。ところがアンダークラスでは、平等への要求が排外主義と強く結びついている。追い詰められたアンダークラスの内部に、ファシズム(ポピュリズム)の基盤が芽生え始めているとも言え、「在日外国人に生活保護はいらない!」という意見や、外国人労働者を排斥する動きにつながると危惧されるのだ。(続く)

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新・日本の階級社会(その3)

 先ほどの記事中「父親が資本家階級である人が、資本家階級では28.5%存在する。」と書いた…階級は「固定化」しているのだろうか?
 父親の所属階級からみた本人の大学進学率を調べると、資本家階級と新中間階級の子どもは大学に進学しやすく、労働者階級と旧中間階級の子どもは進学しにくいという事は分かる。
 各階級の世代間移動…父親の階級と本人の階級がどう変わっていくか?ということを調べると、資本家階級出身は資本家階級になりやすく、移動も新中間階級が多い傾向がある、新中間階級は新中間階級になりやすい、労働者階級は資本家階級や旧中間階級への移動は少ない、旧中間階級にとどまる人は少ない(そもそも旧中間階級自体が減少している)ということが分かる。
 ここで年代ごとに、各階級の世代間移動について「非移動率」(父親と同じ階級に属している人の比率)、「世襲率」(ある階級の出身者のうち、出身階級と同じ階級に所属している人の比率)そして「オッズ比」(「階級Aの出身者は、それ以外の人に比べてどれくらい階級Aになりやすいか」世襲の起こりやすさの指標、差がない場合が1、世襲的な傾向が強まるほど数値が大きくなる)の変化を見てみる。
 世襲率は階級によって違っている。旧中間階級は急速に低下し、資本家階級と労働者階級は、近年になって世代的な継承性を強めた。新中間階級は複雑な動きをみせている。
_0001  旧中間階級出身者は、相対的に旧中間階級になりやすく、資本家階級と労働者階級の傾向は似ている。どの階級も近年は世代的な継承性を強めて固定化しているのに対し、新中間階級は継承性を弱めている。資本家階級出身者がますます資本家階級になりやすくなった反面、被雇用者の父親をもつ人々が参入できなくなった 資本家階級は労働者階級や旧中間階級への移動が起こりにくくなった。労働者階級出身者が労働者階級に所属する傾向を強め、旧中間階級が労働者階級になりにくくなった 経験を積んでから独立し旧中間階級、あるいは資本家階級になる可能性が閉ざされてきている。
 資本家階級の固定化は進んでいるが、単純に「家業を継ぐ」などという形で世襲されているわけではない。資本家階級出身者でも、初職は労働者階級であるという人はけっこういる。大半は親の会社と別の会社やオフィスで経験を積んでから、経営者になっているということだ。
 一方で、新中間階級出身者が新中間階級になりにくくなった。これは「就職氷河期」の影響も大きい。かつてであれば、大卒者の多くは新中間階級になることができたが、初職時点でアンダークラスとなった若者が新中間階級に移動することは難しく、就職氷河期は新中間階級出身の若者たちに、より深刻な影響を及ぼしたといえる。もっとも新中間階級への「なりにくさ」は、就職氷河期の一時的な現象かは分からず、新中間階級も「固定化」するか、あるいは縮小してゆくのかは不明なところがある。

 以上の調査・考察は男性についてのもので、女性の「階級間移動」は男性のそれとはかなり異なる。これは男性と女性で階級構成が異なっているからだ。資本家階級と旧中間階級は男性が多く、男性事務職を新中間階級としているので、この階級も男性が多い。よって女性の階級構成は父親と大きく異なるので、女性のほうが世代間移動が多くなる。また専業主婦だったりパート主婦だったりするケースが多いので、本人の階級所属がなかったり、階級所属があったとしても、生活水準や意識にあまり影響しない。少なくとも資本家階級以外では、女性の階級所属は父親の階級所属とあまり関係がない。また女性がどの階級の夫をもつかということは、父親の所属階級と弱い関係しかもたないことは分かる。

 女性は自分の所属階級とともに、あるいはそれ以上に配偶者の階級所属の影響をうける。女性内部の格差は、配偶者の階級によって、配偶者のいないことによっても影響される。そこで本書は一章を設けて(第五章 女たちの階級社会)、配偶者との組み合わせで女性の階級を分類、分析している。本人を5つの階級、プラスパート主婦(非正規労働者で配偶者あり)と無職の7つ、配偶者が所属する5階級+配偶者なしの6つ、かけて42のグループが出来るが、パート主婦には「配偶者なし」はおらず、本人がアンダークラスの場合は自動的に「配偶者なし」のみになるので実質は30のグループに分けることができる。そのうちデータが多い17のグループについて、ざっと分析されているが、ここでは紹介しない。(続く)

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新・日本の階級社会(その2)

 それでは各階級にどのくらい人がいるのか?経営者・役員と自営業主・家族従業者は従業員数5人以上を資本家階級、以下は旧中間階級と分類し、管理職・専門職は新中間階級、事務職は男性の正規従業員のみを新中間階級とし、女性および非正規は労働者階級とした。リタイヤした無職の人々を除外して「平成24年就業構造基本調査」からはじき出した日本の階級構成は、資本家階級 4.1% 新中間階級 20.6% 労働者階級 62.5%(正規労働者35.1% パート主婦12.6% その他非正規14.9%…非正規労働者が労働者階級の4割以上)旧中間階級12.9%となる。橋本氏は非正規労働者のうち、パート主婦(配偶者の階級によって帰属階級意識等が変化する)を除いた人たち(男性と非配偶女性)を「アンダークラス」と位置付けてる。これを示したのが図表2-4だ。
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 「国勢調査」の結果から、各階級(ただしアンダークラスは分からない)がおよそどのような割合で推移していったかが分かる。1950年代の日本では、旧中間層が6割近く、巨大な農業国であった。60年代初めに旧中間階級と労働者階級の数が逆転し、資本家階級は95年まで急速に増加した。95年以降、増加を続けていた資本家階級と新中間階級が減少に転じているが、これは零細企業の廃業、正規雇用の縮小、管理職の減少と非正規への置き換えが進んだためである。2010年は福祉・医療分野の下級専門職の増加で新中間階級が回復傾向にあった。ここで新中間階級に「下級専門職」が含まれていることは注視しておこう。
 本書で紹介される各階級のプロフィールは次のとおりである。
(1) 資本家階級…254万人
 個人平均年収604万円(従業員30人以上では861万円)、世帯平均収入は1060万円(同1244万円)、家計資産の平均額は4863万円と収入・資産とも多く、経済的に恵まれ、満ち足りた生活を送りっている。自民党支持率が47.4%と高く、政治的には保守的。
(2) 新中間層階級…1285万人
 個人平均年収499万円、世帯平均年収は798万円、家計資産の平均額が2353万円である。高等教育を受けた人の割合が61.4%と教育水準が高く、情報機器を使いこなし、収入もかなり多く、豊かな生活をする人々。自民党支持率は27.5%で、必ずしも政治的に保守的というわけではない。
(3) 正規労働者…2192万人
 個人平均年収370万円、世帯平均年収は630万円、家計資産の平均額が1428万円である。それなりの所得水準と生活水準を確保して、おおむね生活に満足している階級。自民党支持率は24.1%。
(4) アンダークラス…929万人
 個人平均年収186万円、世帯平均年収は343万円、家計資産の平均額が1119万円である。所得水準、生活水準が極端に低く、一般的な意味での家族を形成・維持することからも排除され、多くの不満をもつ、現代社会の最下層階級 男性は有配偶者が少なく女性は離死別者が多い 自民党支持率は15.3%と各階級で最低である。
(5) 旧中間層階級…806万人
 個人平均年収303万円、世帯平均年収は587万円、家計資産の平均額が2917万円である。自民党支持率は35.5%と高く、政治的には保守的だが、民主党(当時)支持率が6.8%、共産党支持率が3.3%と最高になってもいる。規模の上で縮小傾向を続けるなかで衰退に向かい、その政治的性格を変えつつある。

 父親が資本家階級である人が、資本家階級では28.5%存在する。人々が父親と同じ階級に所属しやすいという事自体は、他の階級も変わらず、階級間には世襲的な傾向が存在する。
_0001  育った家庭の環境の調査で、家に本が少なかった(25冊以下)は、新中間階級31.1%、正規労働者48.4%、アンダークラスでは53.7%ある。本に親しむような文化があったかどうかが、所属階級の違いを生んでいるようだ。またアンダークラスでは、最終学歴を中退した人が多い。学校中退が、安定した職の確保に大きくマイナスに働いていると考えられる。
 卒業後すぐに就職した人は、新中間階級87.2%、正規労働者88.0%、アンダークラス66.7%となっている。新規学卒一括採用の慣行が強い日本において、学卒後すぐに就職しない(できない)ことが、後々まで影響を及ぼしている。
 またアンダークラスえは、学校でいじめを受けた経験をもつ人の比率が高い(資本家階級で8.3%、その他の階級で十数%、アンダークラスでは31.9%)いじめや不登校の経験は、アンダークラスへの所属と結びついているようだ。
 健康状態の調査によって、高収入の資本家階級は高脂血症・高コレステロール血症の診断や治療をうけたことのある人が多いのに対し、アンダークラスでは少なくなっている。一方、アンダークラスは「抑うつ傾向」が突出している。

 「資本家階級」対、「他の3つの階級」という対立構造があると言えるが、「他の3つの階級」間の差は大きいことが分かる…労働者階級の内部に大きな格差が生まれ、正規労働者とアンダークラスの異質性…安定した生活を送り、さほどの強い不満もなく、満足や幸せを感じながら生きることのできる人々と、これができない人々との違いである。
「だとすると、いまや資本家階級から正規労働者までが、お互いの対立と格差は保ちながらも、一体となってアンダークラスの上に立ち、アンダークラスを支配・抑圧しているといえないだろうか。これは、いわば四対一の階級構造である。」
 「アンダークラスは社会の底辺で、低賃金の単純労働に従事し、他の多くの人々の生活を支えている。長時間営業の外食産業やコンビニエンスストア、安価で良質の日用品が手に入るディスカウントショップ、いつでも欲しいものが自宅まで届けられる流通機構、いつも美しく快適なオフィスビルやショッピングモールなど、現代社会の利便性、快適さの多くが、アンダークラスの低賃金労働によって可能になっている。しかし彼ら・彼女らは健康状態に不安があり、とくに精神的な問題を抱えやすく、将来の見通しもない。しかもソーシャルキャピタルの蓄積が乏しく、無防備な状況に置かれている。他の四階級との間の決定的な格差の下で、苦しみ続けているのがアンダークラスなのである。この事実は、重く受け止める必要がある。」(p113~114)と筆者はまとめている。

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新・日本の階級社会(その1)

 「新・日本の階級社会」(橋本健二 講談社現代新書 2018年1月)が話題になっているので、読んでみた。日本では格差が拡大し、新たな「階級社会」が到来した…筆者はそのアウトラインを語り、対応の処方箋を示すものである。ただ本書は、様々なデータを分析・加工して表・グラフにした結果を本文で語るという形をとってるため、なかなか「レビュー」がやりにくい。なるべく表やグラフを使わないで話を進めて行こうと思うが、細かな分析の手続きや図表は本書を購入して確認してほしい。

_0001  ジニ係数、規模別・産業別・男女別賃金格差・生活保護率の指標変化から「日本の格差」を眺めてみると、1950~60年代は生活保護率を除いて格差を示す指標が増大(格差拡大)していたが、その後格差は縮まり、1975~80年代に一旦底を打った後、90年代には再び格差が拡大してきた。

 一方で「一億総中流」と言われてきたが、出どころは総理府(現「内閣府」)が実施してきた世論調査「国民生活に関する世論調査」である。その中で「お宅の生活の程度は、世間一般からみて、どうですか」という質問に対し、「上」「中の上」「中の中」「中の下」「下」「わからない」の答えが用意されていた…ここで3つの「中」を合計すれば、当然「中流」の比率が高くなる…「中の~」と答えた人は1975年で90.7%、2017年で92.4%だそうな。当然、こういった「階級帰属意識」と階級帰属の「実態」は違っている。
 だがこの調査結果も見方を変えて、「上」「中の上」を「人並みより上」、「中」を「人並み程度」、「中の下」「下」を「人並みより下」として集計しなおしてみると、79年までは「人並みより下」が減少して「人並み程度」が増加し、90年代は「人並より上」が増加してきている。さらに2000年代は「人並みより下」と「人並みより上」が増加する分極化が起こっている。また、ジニ係数が上がれば「人並みより上」であると感じる人が増えている。
 さらに所得階層別(富裕層か貧困層か)に「階級帰属意識(人並みより上か下か)」を聞くと、年代が過ぎるごとに富裕層が自分を「人並みより上」であると認識する率が高くなり、貧困層が「人並みより上」であると認識する率が低くなる。すなわち、「一億総中流」と言われていた時代は、豊かな人々は自分の豊かさを、貧しい人々は自分の貧しさをよく分かっていなかったのだが、時代が進み「格差社会」が進むにつれ、人はそれぞれを明確に意識するようになったということが言える。
 また「自民党支持率」を調べてみると、富裕層で支持率は高く、所得が下がるにしたがって支持率が下がっていく。別途詳細にみていくが、自民党はその支持基盤が特権階級や富裕層に特化した「階級政党」になったとも言える。とはいえ自民党と正反対の位置に、貧困層や相対的貧困層の支持を集める単一の政党があるわけではないので、日本の政治が階級政治の性格を強めたとまではいえない…ということだそうな。

 それでは日本ではどのような「階級構造」をとっているのだろうか?カール・マルクスの階級理論から出発し、何人かの理論家たちがつくりあげたものが、「資本家階級」「新中間階級」「労働者階級」「旧中間階級」の四階級分類である。(マルクスの階級理論を説明するため、本書では「資本主義経済の基本構造」の説明も行われている…生産手段を所有する資本家階級と、それを所有せず労働力を「商品」として売らなければならない労働者階級との間で、労働力の価値vとそれに相当する賃金、および剰余価値sのやりとり関係が説明されている)四階級分類を図示すると、旧中間階級は資本家階級に雇われて生産活動を行っているわけではないので、そこが横にはみ出た図表2-3のような階級構造になるだろう。
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 さらに正規雇用が減少して非正規労働者が増加している。非正規労働者は雇用が不安定で、賃金も正規労働者より低く、貧困率も高い。非正規労働者が従来の労働者階級とも異質な、ひとつの下層階級を構成しはじめている。これを「アンダークラス」と呼ぶことにした。かつての労働者階級内部に巨大な分断線が形成され、従来の四階級に加えて、アンダークラスという新しい「階級」を含む五階級構造へと転換した、これが日本が直面する「新しい階級社会」の姿である…ということだ。(続く)

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「国体」の3段階変容

 昨日の続き…白井聡の「国体論 菊と星条旗」について

 白井氏は、社会学者・大澤真幸が「戦後の思想空間」(1998年)で戦前と戦後の平行性を考察し、戦前の天皇制が天皇と国民の関係性において「天皇の国民」「天皇なき国民」「国民の天皇」の三つの段階を経過していると紹介した上で、同様のサイクルを戦後史に当てはめることが可能であると想定している。

 明治期すなわち近代天皇制の形成期において欧米列強の侵略からの危機に対抗しつつも、対外侵略も続けてきた「坂の上の雲」を目指していた時代、日本の住人は「天皇の国民」として再定義された。昭和戦前期すなわち資本主義の危機がやってきてファシズム思想が台頭した時代は、受動的に支配・動員される「天皇の国民」を、理想国家実現のため能動的に活動する国民に転換しようとした(ただし、国策=戦争への国民の最大級の動員という形をとって破滅に向かう)「国民の天皇」の時代である。その中間の時代は、天皇制国家が「安定」していたと同時に、「坂の上の雲」に到達して藩閥政府による権威主義的支配がゆらぎ、社会の様々な領域で自由化が進み、資本主義も発展すると同時に労働運動、社会運動が台頭してきた_000005 「大正デモクラシー」の時代であるが、この時代は「天皇なき国民」の時代であると位置づけられる。「天皇の国民」「天皇なき国民」「国民の天皇」の時代はそれぞれ「戦前の国体」の「形成期」「相対的安定期」「崩壊期」と位置付けられる。
 「戦後の国体」は天皇の位置にアメリカが位置付けられる。占領期から安保条約締結、60年安保を経てベトナム反戦、全共闘運動に至る時代が、対米従属の形成を確立のための「アメリカの日本」(形成期)時代。ニクソンショックあたりから、アメリカの没落が始まり日米貿易摩擦が激化した70~80年代、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と呼ばれ日本人のナショナリズムを最大限に満足させた時代が、「アメリカなき日本」の対米従属体制の「相対的安定期」とする。そして90年代以降、冷戦が終結し、日本が対米従属を国家の基本方針とする必然性が消滅したにもかかわらず、それが自己目的化した「日本のアメリカ」の時代となる。「戦前の国体」になぞらえれば現代は「戦後の国体」の「崩壊期」と位置付けられる…バブルが崩壊し、「失われた20年(30年になりつつある)」時代…わけだ。

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「永続敗戦」体制は「戦後の国体」

 

24日に講演集会がある こともあって、「国体論 菊と星条旗」(集英社新書 2018年4月)を読んだ。「敗戦」を受け入れられず、ひたすらアメリカに「従属」する戦後日本の体制を「永続敗戦論」で説明した白井氏が、その体制を「国体」概念を使って読み解こうとしたもので、白井氏は「現代日本の入り込んだ奇怪な逼塞状態を分析・説明することのできる唯一の概念が『国体』である」(p4)としている。

_000005  「国体」とは戦前の「天皇を頂点とした政体・体制」が不可侵であり、絶対であるという日本でしか通用しないイデオロギーである。「国体」は敗戦によって表向きは「解体」されたハズだ。だが白井氏は「「『国体』が戦前日本と戦後日本を貫通する『何か』を指し示しうる概念であるのは、戦前と戦後を分かつ1945年の敗戦に伴ってもたらされた社会改革によって、『国体』は表面的には廃絶されたにもかかわらず、実は再編されたかたちで生き残った」(p4)とする。天皇の上に「アメリカ」が頂点に立っている「永続敗戦」体制…それについて疑問に思うことも、否定することもできない体制が「戦後の国体」であるとしている。
 なるほど、敗戦時に日本が連合国に要求した唯一の条件は「国体護持」である。すなわち、天皇を頂点とした絶対不可侵の体制を変更しないことだ。占領政策を円滑に進めるため、マッカーサー達占領軍、そして米国中枢は最終的にこれを認めた。「天皇の軍隊」を解体し、統治大権を放棄する代わりに「象徴天皇制」として政治には一切かかわらず権威のみ保持する形をとることで、「国体」はフルモデルチェンジをして生き延びたのである。  
占領期にアメリカは天皇制を利用することで占領政策を円滑に進め、民主主義を導入することに成功したわけだが、この過程で「天皇を理解し敬意をもったアメリカ」(p127)という神話(マッカーサーと天皇の会見等)が生まれ、「この観念に。今日奇怪と評するほかならないものとなり果てた対米従属の特殊性の原点がある」「対米従属的な国家は世界中に無数に存在するが、『アメリカは我が国を愛してくれているから従属するのだ(だからこれは従属ではない)』などという観念を抱きながら従属している国・国民など、ただのひとつもあるまい。まさにここに『我が国体の万邦無比たる所以』がある。この観念によって、現に従属しているという事実が正当化されるだけでなく、その状態が永久化される。」(p127~128)と白井氏は「永続敗戦」体制の成り立ちを説いている。「国体の本義(1937年 文部省編)」において「大日本帝国は万世一系の家長とその赤子が睦みあって構成される『永遠の家族』とされ」(p252)たことで、支配であることが否認されたのが「国体」概念であるから、被支配・従属関係が否認される「永続敗戦」体制もまた、「国体」なのであろう。
_000006  なお白井氏は「われわれが何によって支配されているか意識せず、支配されていることを否認し続けるならば、永久に知恵は始まらない。今日、日本人の政治意識・社会意識が総じてますます幼稚化していること(=知的劣化)の根源は、ここにあるだろう。」「戦前のデモクラシーの限界が明治憲法レジームによって規定された天皇制であったとすれば、戦後のデモクラシーもまたその後継者によって限界を画されている。いずれの時代にあっても『国体』が国民の政治的主体化を阻害するのである。」(p130)と説いている。また白井氏はアメリカの歴史家のジョン・ダワーが、このような極めて特殊な外見的民主主義体制の成り立ちを「天皇制民主主義」と呼んでいることを紹介し、その上で成立している現在日本の平和主義は「天皇制平和主義」であるとしている。
 なお「対米従属」日米安保体制は、軍隊を解体したうえで、「国体への脅威」である「共産主義」(実態はソ連を中心とするスターリン主義だが)から「国体」を守り抜くための体制であり、その中でマッカーサーはある意味「勤王の士」あるいは「征夷大将軍」であったと白井氏は説く。天皇制とそれを守る暴力装置、軍隊との関係について白井氏はあまり展開していないが、古代律令制の時期と戦前の「天皇の軍隊」があった時期を除き、天皇は独自の暴力装置・軍を持たず、一番強いヤツに征夷大将軍などの「お墨付き」を与え、それに依拠することで自らを守って来た歴史的経緯がある。戦後一番強いヤツは、「天皇の軍隊」を打ち負かしたアメリカ軍というわけだ。このへんはこのブログでも過去に展開している。

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野中広務は沖縄差別を止揚できたか?

 90年代に官房長官を務め、自民党の幹事長でもあった大物保守政治家、野中広務氏が亡くなった。京都の被差別部落出身でもあり、政治家引退後、辛淑玉氏との対談本「差別と日本人」(角川書店 2009年)で、差別問題に保守政治家としてかかわってきたことが書かれている。
S_0001 また、昨今の安倍政治の憲法軽視・デタラメ政治が酷すぎるせいか、この人も憲法・9条を擁護する「リベラル」政治家であると考えられている。
 たとえばこんな感じ…毎日新聞WEB
野中広務さん死去:剛腕、平和追及…党派越えたたえる声

 野中広務元官房長官の訃報が伝わった26日、与野党から悼む声が相次いだ。野中氏が政争で見せた「剛腕」と、「平和」を追求し「弱者」に寄り添った政治姿勢は党派を超えて後進に影響を与えた。(以下略)
 ま、人様の訃報を聞いて、悪くコメントするヤツはほとんどいないのはおいといて…彼は少なくとも「沖縄」には寄り添えていないと考える。
 政治は、結果責任である。野中氏は「沖縄駐留軍用地特別措置法」を改悪し、知事の代理署名なしに沖縄の反戦地主の土地を米軍基地に使用できるようにした張本人である。いくら委員会の最後に「この法律が、沖縄を軍靴で踏みにじるような、そんな結果にならないように…国会の審議が大政翼賛会のような形にならないように、若い皆さんにお願いをして、私の報告を終わります。」と言った(議事録からは削除)としてもである。沖縄差別法を、政治的に認めたことは消えない。
 また97年に辺野古への基地建設を問う住民投票が行われた際、彼は名護市にいた…もちろん、「移設」を梃子入れするため、基地建設「容認」や「条件付き容認」が住民投票で「勝利」するよう、いろいろ工作をしていたのである。官房長官としての仕事だ。また、住民投票後の名護市長選挙・沖縄県知事選挙において「自公協力」を体制を作り(後に「本土」に波及する)、その後10年の「辺野古容認と引き換えの、沖縄振興」路線をつくった人でもある。

 要するに「札束で沖縄の人の頬をひっぱたく」体制を維持・発展させた人なのだ…このような人物が、後になっていくら「物わかりのいい」事を言っても、私ゃ信用はしない。

 なお全国政治で言うと「国旗・国歌法」をつくった人でもある…なんとなく「国旗・国歌」とされていた「日の丸・君が代」を、国旗・国歌であると法的根拠づけをしたものだ。成立時に付帯決議として「濫用」したり「強制」したりしてはイケナイとされたにもかかわらず、教員や公務員の思想・信条をしばり、入学式・卒業式等の周年行事での強制がまかり通るようになった。

 野中氏を「反差別」、ましては「リベラル」で括るようなあり方については、非常に違和感を感じる。

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ナチスの「手口」と緊急事態条項…「歯止め」なき自民党改憲草案

 さて、日本で考えられている「緊急事態条項」であるが、2012年の自民党改憲草案でみてみよう。
 改憲草案の第九章に「緊急事態」が設けられ、第九十八条(緊急事態の宣言)と、第九十九条(緊急事態の宣言の効果)が記述されている。
 第九十八条では、内閣総理大臣が閣議をへて、緊急事態を宣言できるとしており、それは国会の事前もしくは事後の承認が必要とされているものの、基本、行政府の長が自分で決められるようになっている。
 また百日を超えて緊急事態宣言を続ける場合は、事前に国会承認が必要であるが、百日というのは他国の事例と比べ、長い。
 第九十九条において、憲法十四条(法の下の平等)、第十八条(奴隷的拘束及び苦役の禁止)、第十九条(思想および良心の自由)、第二十一条(表現の自由)は「最大限に尊重する」と書かれているものの、これは「制限してはならない」という意味ではないので、これらは制限されるということだ。フランス第五共和国憲法でも、緊急事態において基本権を制限できる可能性については触れられていない。また、ボン(ドイツ)基本法では七十九条第三項に、第一条(「人間の尊厳」「人権」)および第二十条(民主制、連邦制、選挙制、法の支配、抵抗権…)の憲法の根本的な原則を変えてはならないとある。緊急事態時でも、基本権は守られる歯止めがあるわけだ。
 
S_0001_2  緊急事態を詳細に分類してそれぞれに規定を与えるわけでもなく、また内閣総理大臣の死亡や内閣総辞職の時の効力規定もない。国会集会の規定もなされていない…二院制での「ねじれ国会」を政治の停滞、議会の機能不全とするような国で、この状況を内閣総理大臣が「特に必要がある」と緊急事態を発する可能性もある。こんな中で、法律と同等の効力を持つ政令を、内閣がフリーハンドで出すことができるのだ。また、政令では「国民投票」の投票者を制限することも出来るので、緊急事態宣言時に、平時ではありえない制限を設けた上で「憲法改正発議」を行えば、簡単に憲法を変えることも可能だ。「主権独裁」が現れてくるのである。

 そもそも緊急事態条項は必要がない…大規模な災害時にあってはすでに「災害対策基本法」があるし、現憲法にも非常時の国会については、第五十四条二項に参議院の緊急集会の規定がある。憲法に選挙の期日が書かれており、それが災害等で選挙が行えない場合でも、その選挙が無効になったりするわけでは必ずしもない。
 それでもあえて「緊急事態条項」を入れるなら、ドイツのように要件を細かく規定し、犯すことのできない基本権を憲法に定めておくか、フランスのように裁判所(憲法院)によって歯止めをかけるかである。ただ裁判所によって「歯止め」をかけようとする場合、日本においては「高度に政治的な問題については、裁判所は司法審査権を行使しない」という、「統治行為論」を始末しておかないといけない。内閣が発した緊急事態宣言についての審査が、高度に政治的でないハズはないからだ。「統治行為論」を憲法条文で否定しておく必要がある…ということだ。

 本書ではドイツにある一連の憲法原理を強く求める姿勢が「戦う民主主義」と評価されている(もちろんこの中には、「抵抗権」もあればネオナチや共産党を禁止している「基本権停止宣言」も含まれている)が、このような政治的風土は、ナチスの犯罪の歴史についての深い反省と洞察が背景にあるのだそうな。歴史にも憲法にも向き合うことは、非常に「しんどい」ことなのであるが、それをちゃんとやってきたということだ。
 しかるに日本において、「南京大虐殺」も「従軍慰安婦」も「(たいしたこと)なかった」とする歴史認識がまかりとおっている…こんな国に「緊急事態条項」を設ければ、ロクなことにならないのだ…そう最後にまとめておこう…

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ナチスの「手口」と緊急事態条項…「歯止め」事例

 緊急事態条項は先にも書いた通り、危機に際して権力を行政府に集中させて「対応」し、危機が去ればまた権力が分立した「立憲主義」の態勢に戻るもの(シュミットの分類でいう「委任独裁」を一時的に与えるもの)として規定される。そこで「立憲主義」体制から緊急時に移行するにあたっての厳格な規定や、立法府のかかわりなどが「歯止め」として作られないといけないわけだ。
 ワイマール憲法においても、緊急事態権限の内容を詳細に規定する法律が予定されていたのだが、それらは未完であった。ゆえに制度の破れ目から緊急時に「主権独裁」が現れ、立憲主義体制を破壊し、ナチス独裁に向かったのである。

 だから現ドイツ基本法(ボン基本法)において、緊急事態条項には十分な歯止めが存在する。
 1949年に制定された「ボン基本法」では、草案の段階では緊急事態条項が存在していた。だが濫用への不安と、ドイツを「占領」していた西側諸国が、有事における全権を確保しておきたいという理由から、削除されたのである。
 東西冷戦下で「再軍備」も進む中、緊急事態条項を求める軍や警察関係者の声がたかまり、その導入については1958年頃から議論が進められてきた。緊急事態条項が盛り込まれたのは1968年の第17次基本法改定時である。
 緊急事態は、対外的緊急事態(外部からの武力攻撃)と、対内的緊急事態(州でクーデターが起きた場合と、災害時)に分けられ、対外的緊急事態の認定は、連邦議会が行うということになっている。急ぐときは「合同委員会(連邦議会議員32名と連邦参議院議員16名の常設の委員会…法律の制定や首相の選定も出来る)」が行う。連邦議会は連邦参議院の同意を得て、合同委員会が発した法律を廃止することは可能である。また、合同委員会が定めた法律や命令は、緊急事態終了後、遅くとも6か月または続く会計年度終了後に効力を失うとされている。
 国民の基本権の制限については、信書・郵便・電報の秘密の制限、職業・職場等の選択の自由制限、財産権の一部が公的収用に際しての補償が平時と異なる、拘置所の留置期限が少し伸びるといったことが行われるが、権力側のさじ加減でなんでも停止・制限できるという規定はない。
 災害等の対内的緊急事態については、警察力を含めた連邦政府と州は、通常の範囲を超えて連携せよと書いてある程度であり、移転の自由や住居不可侵が一部制約をうけるものの、国民の基本権を制限するものではない。
 
 ドイツではこのようになっているが、比較としてフランスやアメリカも見てみよう…フランスでは、第五共和国憲法第16条が緊急事態条項で、大統領の権限が非常に強いものである。ただ共和国の制度や国の独立、領土の保全、国際協定の履行が重大かつ切迫して脅かされており、憲法上の正常な運営が妨げられている場合にのみ発動が可能であるとされている。
 また、2008年に憲法院(憲法裁判所みたいなもの)の審査を求める第6項が追加された。30日以上の緊急事態権力が行使された後、国会議員議長、元老院議長、60名の国会議員もしくは60名の元老院議員は、憲法院に審査を申し立てることができるのである。
 別途、戒厳令の規定が憲法36条にあり、戒厳令は大臣会議が布告するが、12日を経過したものの延長は国会のみが可能である。このように、憲法院、立法府による「しばり」が存在する。
 アメリカには憲法で緊急事態を想定している条文はごくわずかで、第一篇第九節第二項に連邦立法権の制限として、人身保護令状の特権は…停止されてはならない…とあるのと、第二篇第三節 大統領の義務として、非常の場合には両議院またはいずれかの一院の召集することが出来る…云々とあるだけである。

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