趣味

ニューシャトル完乗闘争

鉄道博物館に行ったついでに、大宮から上越新幹線の高架に沿って走る、埼玉新都市交通ニューシャトルの完乗を試みた。
ニューシャトルは、ゴムタイヤで走るいわゆる、新交通システムであり、東北、上越新幹線を建設する際に、地域分断その他で不便を蒙る地元に対し、その見返りに整備された路線である。
では、地元全てに「歓迎」されたのかというと、実は最後の羽貫-内宿間で、地権者一人の猛反対に合い、他の区間は83年に開業しているのだが、最後の区間は土地収用法まで持ち出してやっと90年8月に開業した。ちなみにその反対していた方は、なんと当時の「前進」にも登場、三里塚闘争と連帯して闘っていたのを覚えている。(ちなみにWikipediaにもそのへんの経緯がごく簡単に紹介されている。)

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まあ、土曜の朝の大宮発は、鉄道博物館前でごっそり下車した後は、こんなもんです。


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新幹線に平行して走ります。


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大宮の市街地を抜けると、あまり開発されていません。森が広がってきます。ちまちました関西に比べると、関東の郊外はホント、田舎です。
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内宿駅にて、黄色い車体がまぶしい(^-^;

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内宿駅の周辺も、がら~んとしています。


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新交通システムでは、軌道内に高圧電流が流れていますので、気をつけましょう。


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逆光仮面ですが、お許しをm(_ _)m


と、いうことで、無事に当日の闘争スケジュールをこなし、いよいよメインイベント?東京で友人と「とり鍋」です(^^)(^^)(^^)/
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二人とも大酒飲みですので、焼酎はロックでしょ!
朝まで飲み明かし・・・というコース選択もあったのですが、臨時化、廃止が噂される「ムーンライトながら」で帰阪の途に。
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大垣駅にて、JR西の快速加古川行きと
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米原で新快速に乗り換えれば、9時半ごろには大阪駅に着きます。
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お疲れ様でした


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鉄道博物館見学闘争(その3)

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新幹線0系の頭の部分です。交通博物館前にあったヤツですね。なお、本物の0系車両が大宮総合車両センターに搬入され、整備をうけて将来展示されるそうです。
鉄道ファン 投稿記事

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実物の展示だけでなく、模型もあります。
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小田急ロマンスカーですね。


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貨物列車の紹介コーナーですが、コンテナ車ばかりなので、あまり面白くありません。貨車ファンの方は、三重県の三岐鉄道構内に貨物鉄道博物館があります。

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なんかおいしそうですね(^^)


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デッドセクション(交直流切り替え部分)は、このようになっているのですね。ケータイ写真では、良く分りませんが…m(_ _)m

 なお、館内の車両内で食事等はできませんが、裏手に特急車両を何台かおいて、その中で駅弁を食べることができます。
 私は、2階に上がってカフェでランチとしました。
 2階は、年表のコーナーです。主なできごとに、72年の「あさま山荘事件」はあるのですが、85年浅草橋戦闘はありませんでした!?(アタリマエか)
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上から眺めると、こんなんですわ・・・。
なお、このほか、キッズコーナーやお勉強コーナー(要するに、鉄道車両や信号等の原理を子ども受けするように並べてある)もあります。外には、ミニチア鉄道に子どもが乗り込んで動かす遊具もあり、大変な人気です。
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「なんとかと煙は・・・」と、高い所に登ってみました。カメラを構える人がけっこう居ます。隣を走るのは、東北・上越新幹線、なお、写っているのは「ニューシャトル」です。

 お土産ショップをのぞきました。鉄道関係の雑誌・書籍をはじめ、チョロQやプラレール、BトレインショーティーからNゲージまで売っていました。しかし、「鉄道むすめ」はありませんでした。
 とりあえず、職場のみんなで食べられるお菓子を購入。人数がそこそこいるので、かさばらないようにするため、どうしても煎餅、サブレの類になってしまいます。

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あと、交通博物館時代の展示物がまとめられている部屋にて、ロッカーの中に京阪電車を発見!

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鉄道博物館見学闘争(その2)

 さて、鉄道博物館の続きである。時代はいっきょに戦後へ飛ぶ・・・080913_120801
国鉄を代表する特急型車両485系交直流両用電車の「ひばり」である。


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直流機の雄EF66ですね

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10系寝台車の様子です、3段式寝台は、さぞきつかったでしょう。

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北陸あたりでは、まだこんなのが走っていますよ(^^)(^^)


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で、101系の中に入ると・・・

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こんなんが張ってありました。国鉄の赤字は、日帝ブルジョワジーの責任です・・・とは書いていません。


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台車のゆれ止め装置?です。動かせますが・・・実際にうごかしてみると、けっこう重いもので(^^);;


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鉄道博物館見学闘争(その1)

年次学術講演会闘争のところで、なぜか宇都宮に宿泊しているが、これは翌日の土曜日、テツの殿堂、いや聖地?の、鉄道博物館に行くためであったのだ。

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 大宮まで在来線で行き、ニューシャトルに乗り換えて1駅、鉄道博物館駅にて下車、なお私は別途、パスネットを購入しているので、パスネットにて改札を通過。
 入場料は大人1000円なり、で、右手に入って展示の主力「ヒストリーゾーン」となる。

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1号機関車、ご対面~(^^)(^^)


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9850型が、解剖されています。

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今はなき、20系客車「あさかぜ」です


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転車台が真ん中にあって、C57の転車ショーが始まります。ちなみに、転車台は「東急車輛製造(あるみさんの勤務先ですねheart)」製です。

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こ~んな風に、まわってきます(^^)//

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黎明期の気動車です。


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なつかしい車内ですね。

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旧型国電(旧国)であります。


普通、博物館とかは、展示物は撮影禁止だと思っていたのですが、写真撮り放題!デジカメが普及しているこのご時勢、どこでもシャッターを切る人が居ました。ケータイ写真なんぞ撮っているのは、私ぐらい(^^;)

テツのみならず、家族連れが1日楽しむことができる場所でありますなぁ~

お腹の大きなご婦人も見受けられました。胎教にもよろしいようで・・・うん、きっと生まれてくる子どもさんは、立派なテツになるでしょう。

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写真をのっけてみました

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と、ゆうわけで、京阪本線、土居-滝井間です。隣の駅がすぐ見えて、ぐっとカーブしているところですね。

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で、こんなふうに迫ってきます(^^)

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晴れた日は、光線の加減が難しいです。
ちなみに、これらの写真はポケットサイズのデジカメで撮っています。


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おまけ・・・ケータイでの撮影。大阪駅の特急「はまかぜ」重厚な181系です。

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人民列車の臨時化、廃止攻撃を断固粉砕せよ!

「ムーンライトながら」は、東海道本線を走っていた大垣-東京間の普通列車が、96年に全席指定席化されたのを記に、列車愛称がついたものである。その「ムーンライトながら」も、相次ぐ夜行列車縮小の流れに抗せず、縮小・臨時列車化されることとなった。
Asahi.comよりhttp://www.asahi.com/national/update/0831/TKY200808310139.html
 夜行「ムーンライトながら」臨時化へ 18きっぷで人気
東京―大垣駅(岐阜県)間を結び、かつて「大垣夜行」と呼ばれたJRの夜行快速「ムーンライトながら」の毎夜運行が今年度末で終わる可能性が強まっている。JR東日本とJR東海が取りやめの方向で検討しているからだ。鉄道ファンから旅の手段として重宝がられている人気列車。乗客が多い時期の臨時列車だけはかろうじて残りそうだ。
 新幹線や飛行機、深夜バスに押され、ブルートレインなどの長距離夜行列車が次々に姿を消している。JR関係者によると、「ながら」が毎夜走らなくなるのも同じ理由という。
 JRによると、「ながら」の前身は、東京―大阪間を結んでいた夜行普通列車らしい。これが68年10月のダイヤ改定で廃止される方向になると、存続を望む声がわき起こり、当時の石田礼助国鉄総裁の決断で、東京から美濃赤坂(岐阜県)に至る下り列車と大垣から東京に行く上り列車が残った。翌年10月のダイヤ改定で下り列車の終着駅は大垣に変更され、その後、正式な名前のない列車が「大垣夜行」と呼ばれるようになったとみられる。
 JR全線の普通列車が一日中乗り放題になる「青春18きっぷ」と相性がいいのが「売り」だった。鉄道ファンや貧乏学生たちは日付が変わって最初に止まる駅まで近距離切符で乗り、その後は青春18きっぷのメリットを最大限に生かす旅が満喫できた。
 例えば東京駅発車が午後11時40分ごろだった頃、東京から出発する時は、横浜までの440~450円の近距離切符と、1枚2260~2300円の青春18きっぷがあればよかった。
 96年3月のダイヤ改定で快速に。同時に「ムーンライトながら」と命名され、長良川の鵜(う)飼いを図案化したヘッドマークが登場。ただ、一部区間で指定席が導入され、その分の料金がかかるようになったのはファンに不評だった。さらに、07年3月に東京駅発車が30分早まったため、近距離切符は小田原までの1450円分が必要になった。
 今年度末に予定されているダイヤ改定で毎夜運行が終わっても、盆や正月など乗客が多い時期だけ運行されている臨時列車は残る方向という。(鈴木剛志)(
引用終わり)

 80年代(それ以降もか?)まで、東京で闘争・集会がある時は、活動家がよく利用していたため、「大垣夜行」は別名「人民列車」と呼ばれていた。東京着が朝の4時半とゆう、とんでもない時間帯であるが、かえって三里塚ぐらいだと余裕で昼からの集会に間に合うわけだ。
 人民列車であるから、集団で大挙して乗り込んでも、座席は一般民衆のもの、我々は床に座りこみ、ひたすら邪魔にならないように眠る。防衛隊は、メット着用の上、デッキにて警戒にあたる。また、始発・終着駅で降りないのも鉄則で、某駅前にて集団で待機していたことを覚えている。
 さて、「人民列車」が「ムーンライトながら」となり、鉄の165系急行形電車から、ステンレスの373系特急形列車となったものの、中途半端なリクライニングシートと、夜間でも減光されない車内で、あまり良く寝られない、しかも座席を指定…すなわち予約をしないと乗れないようになって、活動家の人達はどのくらいこの列車を利用するようになったのだろうか。私も旅行で1~2回使っただけだ。東京への集会はもっぱら夜行バスもしくは新幹線とゆうことになった。同じ寝られないのなら、バスのほうがリーズナブルだし(18きっぷが使える期間は、靖国闘争ぐらいか?)翌日仕事があれば、新幹線でその日のうちに帰り、自分の部屋で寝たほうが良い。
それにしても、3月には東京-大阪間の夜行急行「銀河」が廃止されるし、8月31日で、北海道内の夜行特急「まりも」も廃止された。「まりも」は以前は夜行の急行で、北海道を周遊券で旅行する際、宿代を節約するため、同じ道内夜行急行「大雪」「利尻」と共に学生に愛されたものだ。全く、JRになってから、夜行列車への肩入れは、北斗星・カシオペア、トワイライトエクスプレス、サンライズ瀬戸・出雲ぐらいのもんで、特に九州方面は絶滅寸前、関西~九州は絶滅である。
JRによる民衆からの夜行列車取り上げ、整理縮小・廃止攻撃を断固粉砕!したいところであるが…
 
 蛇足…7月27日の革共同政治集会で売り出された「雲と火の柱-地下生活者の手記」に、「当時国鉄の東海道線で、「銀河1号」「銀河2号」とゆう鈍行電車が運行していて、夜の9時か10時ごろ大阪発で、朝方、東京に着いた。」とある。しかし、夜行急行「銀河」は、67年に寝台列車化されているため、この作者が「潜った」当時はすでに、「夜行急行列車」と記述するのが正しく、「鈍行電車」ではない。念のため(^^)

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