2ヶ月ほど前のことだが、会社の「隠れテツ」の方と語り合う飲み会を行った。今あ辞めているが、実は中学生ぐらいからかなり本格的な「テツ活動」をやっていたんだそうな。で、その方から交通公社の時刻表、1969年11月をお借りしてきた。

新幹線が岡山まで開業する前のこと…で、時刻表には急行列車を示す「急」の字が一杯並んでいる。さすがに東京ー大阪間を乗りとおす定期急行列車はないが、東京-名古屋間急行「東海」や、昼夜行で日豊本線経由で西鹿児島(現鹿児島中央)まで行く急行「高千穂・霧島」などが名を連ねている。
さてさて、1969年といえば、別の趣味者的にいうと、「安田講堂」は陥落したものの、新左翼学生運動真っ盛りの時代…手元の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道」のパンフ(というか本)をめくっても、8.04中核派 文部省に突入 逮捕者14名なんてかわいいもので、9.05全国全共闘連合結成大会(この時に約100名の赤軍派部隊が公然登場する)、10.21国際反戦デー、新宿など都内各所で火炎瓶による大規模闘争、東京の逮捕者1122人。札幌、大阪などでも逮捕者285人、11.05山梨県大菩薩峠の「福ちゃん荘」で首相官邸占拠に向けて軍事訓練中の赤軍派部隊53人、一斉検挙、11.18.17佐藤首相訪米のため、東京・鎌田周辺で火炎瓶による大規模なゲリラ闘争・・・逮捕者は全国で2093人(うち東京1691人)と、史上最高を記録した。云々とあって、武装化、過激化し、大量逮捕で組織力の消耗にむかいつつあった。そんな中で「連合赤軍」が誕生していく。
ま、そのぐらいの時代では、学生達を支持する人々も多く、昔の人に話を聞けば「関西から東京に闘争に行く学生は、片道きっぷのみ(逮捕されること前提)で、帰りは街頭で交通費をカンパしてもらって帰れ」といわれたとか…
では、当時の時刻表で普通列車乗り継ぎで東京から大阪まで帰ってみよう
東京発7:57→(327M)→13:38豊橋14:00→(541M)→17:21米原17:34→(845M)→19:39大阪…となる。運賃は2,230円、静岡でますの押し寿司かうなぎめしを買ったとして、200円だから、2,430円となる。
これを現代(2011年11月の平日)で見てみると…
東京発8:10→(755M)→9:52熱海10:16→(433M)→11:59島田12:09→(759M)→12:53浜松13:02→(941M)→13:36豊橋13:51→(2327F新快速)→15:16大垣15:37→(239F)→16:12米原16:18→(3281M新快速)→17:43大阪…
となって、乗り換え回数は多いものの、2時間ばかり早く着く。ちなみに運賃は8,510円と3.8倍に、ますの押し寿司は780円と、3.9倍になって、全部で9,290円となる。ちなみに時刻表は180円から一気に上がって1,150円と6.3倍になっている。大卒初任給は、1970年ごろで大体4万円、2004年で20万円と5倍になっている。
どのぐらい街頭に立ってカンパ求めたら、当時の弁当200円の12倍のお金が集まったのかは、定かではない。今も運賃は弁当代の11倍だが、コンビ二弁当やおにぎりだともっと安く済むはずなので、昼飯代の20倍を集めようと思ったらどれだけ時間がかかるやら(てか、街頭でカンパを集めて帰ろうとするヤツなどいない…大道芸でも出来れば別だが…)
ちなみに「大垣夜行」も当時から存在し、東京発23:30→(143M)→7:12大垣着。大垣で7:18発西明石行き247Mに接続し、大阪には9:58に着いた。2011年11月の臨時「ムーンライトながら」は、東京発23:10→(9391M)→5:53大垣着というトンでもない早朝に着く。しかし乗り継ぎ、米原新快速乗換えで8:06に大阪に着く。
ま、闘争には時間と交通費が必要ということは、いつの時代もいっしょということだな
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