かくめいのための理論

レジスタンスの中にコミュニズムは存在するか?

 2月下旬に「展望 19号」 が発行された。その中に「革命的共産主義者同盟関西地方委員会」名で、「未来へのレジスタンス ~時代の転換期といかに闘うか~」という論文が掲載されている。
 一方、この論文に対し、「資本論の終わり論2」ブログに「未来へのレジスタンス」について と題した批判が上げられている。書き出しだけ引用すると… 

 革共同再建協の機関誌『展望』19号(17.2発行)に 関西地方委員会名の「未来へのレジスタンス」なる文章が掲載されています。この文章は 編集後記には「関西総会への地方委員会からの報告」と記されています。総会でも、また事前の(案)段階でも この報告に対する反対意見が次々と表明されました。この報告(の内容)は 総会では採決されていないので、個人の見解に過ぎず 個人名で掲載すべきものだと思います。その上で討論の素材としてこの報告を載せるのであれば 当然反対意見を併せて載せるべきです。一個人の見解をいかにも党の見解であるかのように押し出すやり方は 中央派(清水・安田派)と同じではないかと思います。
 私は 事前の(案)段階で「報告はプロレタリア革命を否定するものであり 同志が今も革命の実現を願っているというのであれば 自ら撤回すべきものである」と意見書を提出しました。報告が公表されたので 誤りを明らかにしたいと思います。(以下略)


ということである。
 要するに、党の見解を表す論文なのに、「プロレタリア革命」が全く提起されていない…(党内で採決もされていないのに)革共同はいつから「レジスタンス政党」になったのか?ということである。

 批判文をふまえて、あらためて「未来へのレジスタンス」を読んでみる…なるほど、「当面の任務」的に言えば、こんなモンだろうな…という感じであった。ただ、「党内(総会)での採決」云々の手続きに関しては、私は知らないので何も言えない。

 あえて書くならば、p37の下の方に、こんな記述がある
 現代のマルクス派は、沖縄や福島、そして世界の反グローバリズム運動が未来のためのレジスタンスであり、その中にコミュニズムが息づいていることを見て取らなければならない。
 「レジスタンス」の中に「コミュニズム」を見る…レジスタンスとは、グローバリズム・資本の攻撃に対しての抵抗であり、それを「党」が主体的に担っていこうとする態度は正しい…しかし、抵抗はあくまでも「抵抗」に過ぎず、そこに「コミュニズム」が必ずあるというものではないだろう。
 「未来へのレジスタンス」の中でも(4)ナショナリズムを越えるに展開されているように、反グローバリズムの「レジスタンス」の中には、「トランプ現象」に見られるよう、民族排外主義や人種主義、偏狭かつ好戦的な愛国主義にまみれているものもある…これらは「コミュニズム=共産主義」には相いれないものである。

 「共産主義者の党」が「資本主義の暴虐」に対するレジスタンスに参加する時、そこに「コミュニズム」の論理や作風を持ち込み、提起しながらレジスタンスしなければいけないのではないだろうか?
 もちろん「コミュニズム」とは、労働者・人民の「自主的・自発的」な運動に基づくものであるし、そうでなければならない。自主的・自発的なレジスタンスの中に「コミュニズム」の萌芽を見つけ、それを発展させていくことも大切だろう…ただ、「萌芽」を見つけ発展させてゆくためには、党の人間が「コミュニズムとは何か」と、ある程度知っておかねばならない。(ここで「完全に」とか「良く知って」とか書かなかったのは、「完全なコミュニズム」とは永遠に未完成なものであると私が考えているからである)

 「コミュニズムが息づいていることを見て取」るためには、どうすればいいか?考えていかねばならない。

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戦略を練って声をあげることが大事

 明日、国会で証人喚問が行われる「森友学園問題」であるが、最初からこんな大騒ぎになていたわけでは、当然ない…始めは豊中市の市会議員、木村真氏の「疑問」から始まったのである。
 日刊ゲンダイインタビュー記事…森友問題を最初に追及 木村真市議が語った「疑惑の端緒」 を見てみればその経緯が分かる…2p目

 昨年の4~5月だったと思いますが、学校の工事現場の柵に児童募集のポスターが張ってあり、そこに靖国神社の鳥居らしき写真と一緒に教育勅語が載っていました。その時、ちょっと待てと。こりゃあ極右の学校じゃないかと。そんな小学校が豊中にできるのは我慢できない。早速、事務所で学校のHPを見たら、大阪市の塚本幼稚園が小学校をつくるというのが分かりました。この幼稚園は地元では右翼系幼稚園として知られていたから、これは何としても学校設置を潰さないといけない。そう思って調べ始めたのがきっかけです。

 その後の展開は、ご存じの通り…まず朝日新聞が取り上げ、関西ローカルで放送され、やがて国会で質問されて全国で報道…と動いたのわけだ。実は木村市議は、国有財産有償貸付合意書や、不動産の売買契約書の情報開示請求をしたものの、肝心の金額が非開示だったことに対し、国を相手取って提訴し、そのことを会見したというのである。…4p目

 その前に昨年10月末ごろから、今回の疑惑について3万枚のビラを作って市内を中心に配りました。籠池(泰典)理事長宅の郵便ポストには特別サービスで3枚ぐらい入れたと思います。ただ、豊中市だけで17万世帯もあるため、これではラチが明かない。じゃあ、マスコミに情報提供しようと。当初はなかなか報道されませんでしたが、売買金額の非公表の件で国を提訴して会見を開けば、どこかのメディアが取り上げてくれるかもしれないと考えました。結果、もくろみ通りといったら失礼な言い方ですが、大きく報道された。そういう流れです。

 3月19日の豊中での集会を主催した「瑞穂の国小学院問題を考える会」はおそらく、この提訴へまでの流れの中で出来た団体なんだろうと思う。具体的に集会の最後に行動提起として、「行政文書不開示処分取り消し請求訴訟」の第2回公判が大阪地裁で、4月27日(木)16時~とあった。(売買契約についてはすでに金額は報道等で明らかになっているが、当初非開示にしたことの不当性を問う裁判が続くわけである)また国有地の低廉売却について、近畿財務局を背任容疑で告発も行うとのこと。塚本幼稚園での「ヘイト・虐待」の課題や、「教育勅語」教育など、「右傾化・戦前回帰」と言われる教育、社会の流れを問い直す取り組みも引き続き行っていくとのことである。
 「森友学園問題」は今、安倍政権を追い詰めているが、ここまでいったのは菅野完氏や、まして籠池氏の「おかげ」だけではない…最初に「変だ」と気が付き、声を上げた木村議員と彼を支える豊中市民の働きがなければ、そもそも「問題」としても上がってこなかったのである。

 だから「おかしなこと」に対しては、まず「声を上げること」が大切なのである。そして出来れば、いかにマスコミ等に取り上げてもらうか等も含め、戦略的に動くことが重要なのである。

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日本会議と維新こそ問題の根源

 昨日は豊中市立中央公民館で行われた、「『森友学園問題』の背景と本質に迫る」と題する学習会に参加してきた。用意された部屋が満室になり、別室でビデオ中継を聞きながら…という集会であった。
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 だいたい、こんな感じ…
 開会あいさつと、「森友学園問題」の概要説明の次に、「幕引きを許すな!森友学園問題―止めよう壊憲暴走」と題して、新聞うずみ火の矢野宏さんからお話があった。
 ご存じの通り、森友学園問題は、籠池理事が「安倍首相から100万円の寄付をうけた」と爆弾発言を行い、3月23日に国会で籠池理事の証人喚問が行われることが決定している。
 いろいろな問題が出てきてややこしいことになっているのだが、2つのポイントがある…一つは、国有地の払い下げで、なぜ8億円もの値引きがされたのか?もう一つは、なぜ教育内容や財務状況に問題のある森友学園に対し、小学校の認可が下りたのか?ということ。これらの認可等に、政治家の口利き(もしくは役人の忖度)があったのか?ということである。
 そして政府・自民党の他、小学校認可については大阪府の権限であり、とうぜん知事を出している維新の中枢部分の関与も疑われている…大阪でこれだけ問題になるのは、大阪では自民党大阪府連より、維新のほうが強いという特殊事情があるからだ。

 しかし何と言っても、この「森友学園」疑惑に関連する人物を並べてみると、「日本会議」に行きつく(我々は「にほんかいぎ」と呼ぶが、右翼は「にっぽんかいぎ」とこだわって呼ぶそうだ)日本会議は1997年、「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」が組織統一してできた。「日本を守る会」は1974年に鎌倉の円覚寺貫主、朝比奈宗源が伊勢神宮で「ご神託」を受けて始めた(なぜ僧侶に神託が下りるのかさっぱり分からないが、それこそ「宗教」である)もので、「日本を守る国民会議」は、保守派の政治思想を共有する財界人と文化人の集まりで、元々は「元号法制化実現国民会議」であった。作曲家の黛敏郎なんかがいた団体である。そして神道系振興宗教「成長の家」の谷口雅春の右翼思想を実現化し、かつ70年代の左翼学生運動に対抗して長崎大学の椛島有三が始めた右翼学生運動を担ってきた人達が中心メンバーである。いわば「成長の家原理主義者」である。なお、「成長の家」そのものは現在、政治活動を止めている。
 こうした人たちが、「草の根」に浸透し、かつ地方議会から意見書を上げてゆくなど、キャラバンを行って作っていった、保守・右翼運動の集大成なのである。そして安倍政権20人の大臣のうち、15人もが「日本会議」のメンバーなのである。(東京都知事の小池百合子も日本会議メンバーである)
 また「日本教育再生機構」というものがある。これは育鵬社の歴史修正教科書を促す運動を行っている団体である。2012年2月26日に大阪でこの団体が催したシンポジウムで安倍・松井会談が行われており、安倍は維新の「大阪府教育基本条例」を持ち上げ、意気投合したようだ。なんでもこの時、松井大阪府知事は、安倍に維新の「合流」約束を取り付けたとのこと…これほど安倍政権と維新、松井知事はズブズブの関係なのである。
 籠池氏が率いる森友学園・塚本幼稚園は、教育勅語の暗唱をさせる等、日本教育再生機構にとってはモデル校といってよい存在だった。これが今度、小学校を作る…日本会議・日本教育再生機構にとっては、自らの理想を実現する願ってもないチャンスだsign01かくして、どのような手を使っても認可・開校させる必要があったわけだ。
 安倍の教育改革が目指す将来像が、「瑞穂の国記念小学校」だったのだ…このように、日本会議と維新が、今回の問題のまさに核であり、逆に言うといかに日本会議が政治中枢に食い込み、思うように動かしていたのかということが明らかになったというわけである。

 従って「森友学園問題」は、単に安倍晋三に責任を取らせるだけでなく、右翼・日本会議を葬り去る闘いでもあるのだ。

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真理<天皇 の教育勅語

 以前のエントリー教育勅語はなぜイカんのか? で、教育勅語の問題点として
①「天皇のために尽くせ」という道徳規範であること
②道徳を天皇の下に置いていること
を上げた。
このうち、②についてもう少し述べてみよう。羽仁五郎も喝破したように…
教育勅語の最大の問題は、道徳を天皇の権威の下においた(中略)教育勅語は実は人間を、道徳を、教育を目的としておらず、これらの最高の価値を尊重していないのである。

 この「教育を目的としない教育勅語」で教育された人間が世の中に広がった結果、どうなったかsign02

 ものごとの真理<<<天皇 と考える人間があふれたわけだ。そして…

 70数年前の戦争では、その戦争目的が正しいかどうか判断もせず、「天皇の命令である」からと、みんなして突入していったわけだ。
 そして、負けが込んでも止めることもできない…しかし、1945年8月15日、天皇が「戦争止~めた」と放送したら、素直にみんな矛をおさめちゃった。
 あの戦争(目的が「自存自衛」にせよ、「大東亜共栄圏の確立」にせよ、「八紘一宇」にせよ)が「正しい」のであれば、少なくとも戦争指導をしてきた高級軍人たちは、最後まで抵抗するか、自決すべきであったのに、それもしなかった。

 み~んな、天皇の言う事を聞いて初めて、戦争を止めたのである。

 もちろんこの「からくり」を、マッカーサーは良く理解しており、よって戦後の占領政策を円滑に進めるために、昭和天皇の戦争責任を問わず、天皇制にもほとんど手をつけず、温存したのであるが…

 真理<天皇の図式が成立していては、物事の真理や本質をつかむことができない。何が正しいか?判断できなければ、民主主義も成立しない。科学も技術も、進歩しない。
 ブルジョワ社会的に考えても、競争に勝つことはできないのである…「天皇制」に組み敷かれた日本帝国主義は、しょせん「自由」な米帝や英帝に勝てっこなかったのである。

 この「天皇制」は、残念なことに今も日本社会にどっかりと居座っている…「象徴天皇制」と名を変え、ソフトな感じに「変身」して…

 「教育勅語」なんぞ有難がっている「右寄り」政治家・文化人は沢山いるようだが、道徳や真理が天皇(あるいは国家権力)より下に位置付けられる社会は、衰退と滅亡に向かうしかないのである。

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教育勅語はなぜイカんのか?

 国有地を格安で払い下げてもらい問題になっている森友学園では、報道されているように国家主義的・右翼的な教育が行われている。塚本幼稚園では教育勅語を暗唱させるということが行われていた。あちこちに動画があふれているのでいちいち掲載しないが、ガキがやたらわめいているだけにしか聞こえん…

 で、この教育勅語…なにが問題かっていえば、天皇がわざわざ道徳についてえらそーなことを言っていること。これにつきるのである。
 とりあえず明治神宮のHPから、教育勅語のリンクを貼っておく。明治神宮とは

 これによれば…「私(明治天皇)は、私たちの祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。」だってhappy01

 あの~たかだか古代の「王様」でしょsign02国家の始まりに、道義もへったくれもあるわけが無い。ぼかぁ~んとよそからやって来て、地場の勢力を「奴隷化」したにすぎない(それが階級対立=国家の始まりである)…古事記にはちゃんとsign02日向の国から奈良盆地にやって来て、地場勢力を打倒したと書いてある。ようするに「侵略者」じゃなイカsign03

 とりあえず「王権」を正当化するため、律令国家成立時に中国から儒教思想を導入…ゆえに「教育勅語」も儒教的な徳目で占められている。
 明治神宮のサイトでは「明治天皇が…教育勅語を渙発されました」とあるが、もちろん明治天皇が作ったわけではない。山縣有朋や井上毅が起草したらしい。

 で、「一旦緩急あれば義勇公に奉じ 以て天壌無窮の皇運を扶翼」と続く。ようするに「天皇のために尽くせ」と言っている…いやぁ~「奴隷」になるための道徳なんだな、これdown

 もう一つも問題…天皇が道徳を語る(というか、教え諭す)ことで、道徳を天皇の下においていること。
 いくら「良いこと」が書いてあるとしても、その「良いこと」は、天皇よりも下であることを宣言している。「教育勅語」下の道徳は、「天皇が言っている」から、守らねばならないということになる。逆はすなわち「天皇が言わない」ことは、(いくら良いことであっても)やらなくてよいという判断基準を受け入れることになる。
 これが教育のど真ん中にくると、どうなるか?すべての学問や真理が、天皇の下に置かれる。正邪・真贋の判断も天皇の下に置かれる。

 これについて、羽仁五郎が次のような有名なエピソードを上げている。「教育の論理 文部省廃止論」(講談社文庫1981年11月第一刷)p55~56より…
 そのすぐあとで、その高校の校長室に集まっていた教師の一人が、先生は先ほどの講演のなかで、教育勅語は日本の教育をゆがめていた、つまり教育勅語のために、日本の教育は本来の目的をまったく失ってしまっていた、と話されたけれども、教育勅語に書いてあることは、父母に孝行し、兄弟仲良く、朋友相信じ、夫婦相和し、というふうなことで、それがどうして悪いのだ、と質問した。
 そこでぼくはその教師に、あなたの専門はなにですか、ときいたら、かれは数学を教えていると言う。そうするとあなたは、朕思うに三角形の内角の和はニ直角である、となることに、別に異議はないのですか、ときいたら、それは困る、と言うのだ。三角形の内角の和は、天皇が思うからニ直角になるわけではなく、客観的に、合理的にニ直角になるのだ、と言う。ではそれと同じではないか。親に孝行し、兄弟が仲良くし、友だちがたがいに信頼し、夫婦が相和するということも、天皇が思うからそうする、ということでは困る。天皇が思わなければ、そうしなくてもいいということになる。そこに問題がある。この点が、教育勅語のいちばん重大な点であろう。
 教育を尊重しない教育勅語
 教育勅語の最大の問題は、道徳を天皇の権威の下においた、ということなのだ。道徳とか教育とかいう人間の問題に最高の価値をおいているのではなく、天皇が最高で、道徳や教育はその下の二級のもの、一段下のものとしているのだ。つまり、教育勅語は実は人間を、道徳を、教育を目的としておらず、これらの最高の価値を尊重していないのである。教育勅語の目的は、教育や道徳にあるのではなく、天皇制にあり、その下で教育や道徳の価値を考えているにすぎないのだ。これが最大の問題なのである。


 「教育勅語はスバラシイhappy01」と考えている森友学園、籠谷理事は小学校の認可・開業のためなりふり構わず政治家に圧力をかけてもらうように頼み、また中国・韓国人を差別し園児や保護者に対し虐待・暴言を吐く等、およそ「道徳」とは縁遠い存在である。また森友学園の教育方針に賛同してきた安倍晋三、昭恵やお友達の日本会議、ネトウヨもどき連中たちも、この問題が火を噴くにつれトカゲの尻尾切りを図り、全く関係ないかのごとく籠谷だけを悪者にする(オイオイ、「朋友相信じ」はどうなった)連中もまた「道徳」なんぞは鼻もひっかけていないだろう…しょせん「教育勅語」とはそんなモノなのだ。

 右翼トンデモ小学校の開校を許さず、森友学園疑惑を追及して、安倍政権を打倒しようvirgo

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「成長の質を変える」ことと「平等に貧しくなる」ことは違う

 2月11日に中日新聞の記事に乗せられた社会学者、上野千鶴子氏の論考(この国のかたち 3人の論者に聞く の2つ目)が波紋を呼んでいる。論考としては、少子高齢化が進む中、日本の排外主義的な体質が変わらないものとして、移民の導入を諦め、「みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい。国民負担率を増やし、再分配機能を強化する。つまり社会民主主義的な方向です。」とのたまった。
 日本の排外主義的な体質を不変のものと、社会学者の上野氏が断じてしまうことはいかがなものかとも思うし、社会民主主義が「再配分機能の強化」であることも半分正しいのではあるが、「平等に貧しく」とは、なんだかなぁ~とも思う…

 かつて「脱成長」ということが言われていた。70年代から始まった反公害、反原発等の運動が提起してきたもの…経済成長一辺倒の社会はオカシイsign01というところから始まり、左翼の中からは「スターリン主義」、社会が、これまた重工業を中心とした「経済成長」をスローガンに、自由や人権を抑圧するとともに環境破壊を続けてきたことへのアンチとして、80年代ぐらいには盛んに言われていたものである。反公害から、環境運動と続いてきた潮流(緑)と、左翼(赤)の中から既存の「社会主義」にある経済成長一辺倒路線を批判する部分が、いろいろ出し合ってきた…そうした中から、資本主義社会を撃つ「別の思想・潮流」が生まれてきたのである。これは現在にも「脱原発運動」の中に流れ込んでいる。
 基本的には「社会のあり方を変えて、成長の質(中身)を変えよう」ということである…例えば原子力を使って電力を作るのでは無く、自然エネルギーを使おう…ということだ。(ただし私は別の意味で自然エネルギーには反対である…分かりやすい例示として挙げている)原子力をガンガン使うシステムで「成長」するモデルがこれまで評価されていた。その指標でみると、自然エネルギーを使った場合のモデルでは成長が「緩やかに」あるいは「減少」して見える。しかしそれでも社会は運営され得るのだsign01ということだ。(ただし「自然エネルギー」に関して、今の脱原発主流は「自然エネルギーのほうが雇用も増え、経済成長する」というロジックを使っている)
 さて、少子高齢化でかつ「移民」を導入せず人口が減少する社会モデルを考えるにあたって、「社会の組みなおし」が必要になる。なぜならこれまでの社会は人口が右肩上がりであることを前提に組まれていたからだ。社会を組みなおすにあたっては、当然「リストラ」される産業・部門も出て来る…住宅建設なんか、そのいい事例だ。新規の住宅はもうガンガン建つことはなく、これまであるものをリフォーム・リユースしてゆくことが求められる。あるいはぶっ壊して「更地」にする需要だってあるだろう。こういった産業の「組みなおし」の中で「成長の質」は変わる…それだけだ。組みなおしをやっている段階で、かなり資源や労働力を使うことになるので、成長はそれなりに起こる…実は「脱成長」もそうゆうことである。産業・経済構造を変える中で、成長は起こるから、「脱成長」をやる=「衰退」し、「平等に貧しくなる」ということではない。
 とはいえ現在、「脱成長」=「衰退」…ゼロもしくはマイナス成長…と考えられていることも事実だろう…たとえば上野氏に対するトータルの批判としてまとまっている、脱成長派は優し気な仮面を被ったトランピアンである の「脱成長派」の使い方はそうである。

ま、もともとの「脱成長」とは「成長の質を変える」ということだったのだ…ということが言いたかった。

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天皇の祭祀とは暗闇で行われる国事なのだ

FOR BIGIGINNERS 天皇制 p110より…

国家神道に基づく皇室の儀式は、そっくりそのまま、一見「私的」なものとして継承されており、廃絶されたわけでは全くない。しかも、天皇は、「象徴」として国民の上に位置し、国事行為をなしつづけており、1970年以降は、外交面その他にしきりに登場して、政治的に振る舞うことを積極的に任務化しているありさまである。
政府は、これも、天皇の「私的」な行為であると強弁するのであろうが、天皇という存在には、純然たるプライバシーは存在しえないのである。それが、王たるものの宿命である。象徴制下の天皇の祭祀とは、暗闇で行われる国事に他ならない。
今日の国民の祝日の過半が、宮中祭祀であるという事実は、戦前の天皇制と、戦後の天皇制の祭祀の連続性をなによりもよく表しているだろう。
これらの祝日に国民が日の丸をあげているとき、宮中では、皇統の正統性を確認するための祭祀が綿々とくりかえされているのである。いったい、こうした事実に、我々は、無神経でいてよいのであろうか。
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「国民の祝日」の中には、ハッピーマンデーで移動しないヤツ…春分の日とか、勤労感謝の日なんかがあるが、これは「宮中祭祀」…天皇の正統性を確認する祭祀…を行う日であるということは、「天皇性」についてちょっとでも学習したことのある人にとっては、自明のことなのである。

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有事にシームレス対応してはならない

 以前レビューした、小西誠氏の「オキナワ島嶼戦争」において、1章を設けて「領域警備法案」について批判している。
 「領域警備法案」とは、2015年の国会に当時の民主党と維新の党が、「安保関連法案」に対抗して出してきたものである。p182~

S_000033 この領域警備法案の中心的内容は、紹介した自衛隊の治安出動関連の協定と同様、「領海・離島」などで警察の対処が出来ない事態に、自衛隊が当初から警察に代わって対処する、そのための離島などの「領域警備区域」を決め、この区域では、自衛隊に「平素から警察官職務執行法及び海上保安庁法上の権限を付与」する、ということだ。
 自衛隊に、「平素から警察官職務執行法及び海上保安庁法上の権限を付与」するとは、言うまでもないが、自衛隊に治安出動と同等の権限を与えるということである。これは、後述するが治安出動という「有事」における権限が、平時から自衛隊に与えられるという、驚愕すべき事態である。
 これは、グレーゾーン事態(平時から有事への移行期)へのシームレス(切れ目のない)な対処を可能にするため、というが、何のことはない。平時の仕事がない、暇な陸自に平時からの仕事を与える、ということだ。


 ここで、グレーゾーン事態に対する「シームレスな対応」という言葉が出て来る…安全保障関連でよく使われる文言である。しかし、小西氏は続けてこう批判する。p183~

 しかし問題は、民主党などが現在の東中国海を巡る情勢を全く理解していないことだ。ここで明確にすべき決定的に重要なことは、本来、紛争を平和的に収めるには、平時から有事の事態への「切れ目」をあえて作り出すことであり、それを断絶させることである。
 現実に、もう一方の当事者の中国は、わざわざコーストガードを作り(中国船に英語で表示)日本の海上保安庁の存在(海上警察)に合わせてきているのである(2013年)。つまり、軍隊間の衝突を避け、警察間の関係で事を平和的に収めようということだ。


 要するに「有事」に「シームレスな対応」をしてはイケナイ…ということ。つまりどこまでが警察権による行動で、どこからが軍事行動であるか明確に分けておきましょう…という考え方である。さもないとダラダラとエスカレートして、いつの間にか「戦争をしている」「軍事行動をしている」ことになりかねないからだ。逆に「一線」がどこにあるかはっきりしていれば、その一線を越えないようにする「努力」や「対話・交渉」が可能になる。

 ゆめゆめ「有事」に対し「シームレスな(切れ目のない)対応を」などと言ってはならないのである。

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独占資本と不可分の天皇制

FOR BEGINNERS 天皇制 p152~153 なお、80年代の本なので、ここに出て来る皇太子とは現天皇のこと。結婚とは1959年、当時の皇太子と正田美智子との結婚のこと…

松下圭一は「大衆天皇制論」で戦後の大衆社会化状況の中で、天皇が戦前とは違った形で、国民的親愛の対象となったことを指摘した。だが、松下はこのとき同時に、「今度の結婚の意味するものは、日本の独占資本が政治的支配層として成熟したことであり、天皇制は独占資本の支配を政治的に粉飾する芝居として機能する」
「田中耕太郎氏は皇太子ないし皇室は『国民のもの』となったとのべた。このことは『国民』の名において支配する独占資本のものに皇室が転化したという意味において正しい」とも書いていたのである。
このような、マイホーム主義のシンボルとでもいうべき天皇―井上清のいう「新天皇制」―が社会的に定着したとき、天皇は、独占資本のものになったのである。
くりかえし、のべたように、1970年代以降、天皇をめぐる情勢は変化した。80年代にはさらに変化した。だが、天皇が、独占資本が阻害する客体で、主体は独占=国家独占であるという関係は、1959年以来変わっていない。ただ、政治が、その主・客関係に大衆をまき込む、まき込み方と大衆のまき込まれ方が、急速に変わっているにすぎない。このことから我々は、安部博純が記しているように、次のような教訓を得る。
「……まずいえることは、天皇制が独占資本と不可分となり、独占資本主義体制の象徴となったということである。そして、ここからひき出せる結論は、天皇制廃止がもはや独立の戦術目標とはなりえないということであろう」
天皇制廃止の問題は、君主制か共和制かの問題ではなく、独占資本の支配か、それからの解放か、の問題にほかならない。つまりそれは、国家廃絶の問題である。そしてそのためには、国家とは何か、どのようにして国家は階級独裁の手段でありながら、手段であることをこえたかのようなすがたをとるのかという観点から現代天皇制国家のしくみの解読が必要となるであろう。

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一般の人も思いきり対象な「テロ等準備罪(共謀罪)」

 大切なことだから何度でも書くよ…
 今国会に政府が提出しようとしている「テロ等準備罪」は、一般の人を対象にしたものではないという議論がある。時事ドットコムより
共謀罪「一般人は対象外」=菅官房長官
  菅義偉官房長官は6日の記者会見で、いわゆる「共謀罪」を創設するための組織犯罪処罰法改正案を20日召集の通常国会に提出することについて「政府が検討しているのはテロ等準備罪であり、従前の共謀罪とは別物だ。犯罪の主体を限定するなど(要件を絞っているため)一般の方々が対象になることはあり得ない」と述べ、理解を求めた。(2017/01/06-12:37)

いや、「一般人」を対象にしないと「テロ対策」にならないんですけれど…
なぜかsign02 「テロリスト」というのはテロを実行するまで、一般人にまぎれて暮らしているからに他ならない。すなわち、誰がテロリストか?あるいはテロ組織に加わっているのか?ということを調べるためには、一般人を広く調べなければならないからである。
また社会に存在する、ありとあらゆる「組織」が「テロ組織」かどうか調べなければいけない。はじめから「世界を征服するsign03」とか堂々と表明しているのは、TVに出て来る悪の組織か、イカ娘ぐらいのものだろう。テロ組織はそんなに甘くない…

ということで、「調べる」のは捜査機関、警察だ。ここに捜査手法として、一般人やあらゆる組織を監視する、盗聴(通信傍受)、盗撮等の手法が採られる。またその対象は、一般人が普段暮らしている中の、多くの犯罪とはならない行為についてやらないと、意味がない。

ここで前のエントリーで指摘した「予備罪のしばり」(構成要件実現のための客観的な危険性という観点からみて、実質的に重要な意義を持ち、客観的に相当の危険性が認められる程度の準備が整えられたことを要する)を無くすとどうなるか?

それこそ反対運動側で懸念している、いわば「共謀罪」対象の600余の犯罪類型行為について「話し合っただけ」で逮捕・拘束ということになりかねないのである。

今国会での「テロ等準備罪」の提出を許さず、共謀罪を葬り去ろうvirgo

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