かくめいのための理論

設計変更を許すな!奥間政則さんの学習会

 昨日設計変更を許すな!大阪アクション学習会に参加してきた。講師は奥間政則さん、PLP会館4階の中会議室で、40人ぐらいの参加者であった。奥間さんは今日の昼に、西宮でハンセン病問題についての講演を行って来た…関西にしばらく滞在し、10箇所ぐらいで講演行脚を行うとのことである。
 奥間さんは配布された資料に、表紙がないことを詫びられた後(主催者側に送付し忘れたとのこと)、今年の2月に「高江の北部訓練場に侵入した」と言う容疑で「刑特法違反」逮捕されたいきさつについて説明された。この弾圧により、奥間さんの持っているパソコンや携帯が押収され、ごっそり資料を抜き取られている…奥間さんが様々な専門家と繋がり、どんな”情報”を共有しているのか、権力側はそれが知りたかったのでは?と観ているそうだ。パソコンとかは帰って来たのだが、どんな”細工”がされているか分からないので、新しいパソコンとかを揃え、メールアドレス等も変えたとのことである。もちろん高江での「刑特法」違反逮捕は、異例の「通常逮捕」でもあり(「刑特法」違反は通常、現行犯逮捕、米軍施設内に侵入したことを現認されて逮捕となる)、辺野古・高江で先鋭的に闘う部分への「萎縮」を狙ったものであるとの指摘もされていた。
 奥間さんは続いて、ドローンを使った基地建設現場などの空撮「沖縄ドローンプロジェクト」や、土木技術者としてのものの見方で、専門家と連絡を取り合い、基地建設反対運動を続けていることを説明した。ドローンで撮影した多くの埋め立て現場や土砂搬出現場の写真が紹介される共に、「ドローン規制法」では、日本の自衛隊施設26か所のみが”規制”されているだけであり、米軍施設は「米国領土」なので日本の法律で規制できずグレーゾーンになっていること、もちろん「基地建設現場」も規制されているわけではない。また、陸上からドローンを飛ばしていると、地元の人間が”通報”するのであろうか、警察が職務質問にやってくること。宮古島のレーダー基地を空撮していると、電波が強すぎてドローンが墜落したこと、また高江のG地区、H地区のヘリパッドがほとんど使われず、猪が地面を掘った後が見られることなどが紹介された。
 沖縄ドローンプロジェクトに関しては、「森の映画社」と共同で「ドローンの眼」という冊子とDVD(上映権つき)が発売されている。冊子は1冊千円、DVDは2部構成の1時間モノが1万円、14分の「辺野古新基地建設の問題点」が2千円である。冊子のほうは、すごく立派で内容も豊富であり、お買い得だ!
 奥間さんは、技術的なことについて理詰めで反対していく必要があるとして、得た情報を琉球大学の加藤名誉教授や、新潟大学の立石名誉教授など、多くの専門家に流している。そこから辺野古・大浦湾には活断層が2本あるのでは?ということが明らかになってきているのである。彼らは地質学の専門家であるが、彼らが編成した「辺野古調査団」には、名前等は出せないが軟弱地盤の専門家(土木技術者?)も存在しているとのこと。なお活断層の現地調査では、ドローンも活躍してどのくらいの地盤の隆起があるかも調べられている…凄いぞ、ドローン!
 こういったことがアメリカにも伝わり、ついに議会が動き出したことも紹介された。6月25日の琉球新報・沖縄タイムスの報道によると、米議会が辺野古の活断層や軟弱地盤を懸念し、国防長官に改善案などを盛り込んだ報告書を提出させることを「国防権限法案」に盛り込み、下院小委員会で可決したのである。

 奥間さんはパソコンに様々なデータを入れて持ち歩き、講演の際にはあっちこっちのフォルダを開いて説明を続けるので、いつものことながら際限がなくなる…とりあえず1時間半ほど講演していただき、その後の質疑応答の中で、辺野古で行われる地盤改良工事、サンドコンパクションパイル工法とサンドドレーン工法について説明された後、集会を終了した…終了にあたっては、8月23日(日)に大阪アクションでは北上田毅さんを呼んで、同様に辺野古埋め立て設計変更の問題点について講演する予定であること、沖縄県に提出された設計変更は公告縦覧されるから、そこに反対意見を送り、世論を盛り上げて辺野古新基地建設を止めよう!と主催者あいさつがあると、奥間さんは「南西諸島の自衛隊配備も止めましょう!」とクギを刺された。

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けんじと太郎でタヌキを追い出せ!

 本日、東京都知事選挙が告示され22人が立候補した…今回の選挙は、なんといっても「緑のタヌキ」こと小池都知事を引きずり降ろし、人びとの暮らしのためになる東京都政を取り戻すことが求められている。小池都知事はなにがなんでも東京オリンピックをやるために、コロナ禍でも感染症対策をなおざりにしていたくせに、オリンピック延期が決まるとやたらTVに登場し、あやしい横文字言葉も使いながらいかにもなんかやってる感をアピールしだした。緊急事態宣言解除後も「東京アラート」とかでレインボーブリッジを赤くライトアップしていたのだが(大阪で維新政治がやった通天閣のライトアップの猿マネだ)選挙が近づくと、今も東京では毎日二けたの感染者数が報告されているにもかかわらず、基準も示さず「東京アラート」を解除した…こんなデタラメなヤツに、コロナ禍の社会を任せていてはイケナイ!
 で、皆さんもご存じのとおり、小池都知事に対抗できる有力候補者が二人いる…元日弁連会長の宇都宮けんじ氏と、「新選組」代表で前参議院議員の山本太郎氏である。宇都宮氏は2012年、2014年の都知事選挙で次点を確保し、2016年も立候補しようとしたのだが「野党統一候補」として鳥越俊太郎氏が擁立されたため、出馬を断念させられた!という”筋金入り”の候補者だ。立憲野党が小池氏に対抗できる独自候補者を擁立することが出来ない中、立候補を表明し、立憲民主党・共産党・社民党が支援している。国民民主党は「自主投票」を決め込んでいるが、実質的に「立憲野党」の統一候補的な位置づけとなっている。そこに”殴り込み”(よかれあしかれこういった言い方がふさわしいだろう)をかけて「新選組」から山本氏が立候補したというわけだ。
 二人の政治姿勢や政策は似ている…とされているので、”公約”を見てみることにする。宇都宮けんじの政策(速報版)には、前書きと6項目にわけ、細かく中身が書かれている。中味はいわゆる「革新」「リベラル」が掲げるべき総花政策だ…今、コロナ禍で困っている人のみならず、あらゆる階層の人に応じている。またカジノ反対や、脱原発、反被曝というエネルギー政策や、安倍政権の暴走ストップ、反戦平和、米軍基地問題、反歴史修正(小池都知事のアキレス腱)も盛り込まれている。惜しむらくはこの中身いっぱいの公約、普段政治に興味のない人がどこまで読んでくれるのか?という疑問も出てくる。「総合政策」にいきなり「新自由主義」と書いちゃってるところもどうだろう?
 これに対して山本氏の東京都8つの緊急政策には、コロナ禍で当面、急いでやらなければいけない政策がボンボンボンと大雑把に「分かりやすく」書かれているだけだ。ただインパクトは山本氏のほうが大きく、いきなり「東京オリンピック・パラリンピック中止」が掲げられているじゃないか!さすがに尖っているな。大きな柱は「総額15兆円で、あなたのコロナ損失を徹底的に底上げ」とあり、コロナ禍で矛盾が集中した”弱者”に思いっきり特化した政策となっている。財源は明らかにされていないが、地方債を発行することを考えているらしい(どこまでだったら東京都が「債券」を発行できるかという金額を精査するため、出馬宣言がギリギリになったという話もある)。「MMT」理論を、通貨発行権を持たない地方自治体がどこまで適用できるのか?という実験的な公約ともいえる。対して宇都宮氏には「支払能力に応じた所得税(累進制強化)により、国の財政再建を求めます。」(これはこれで「反消費税」として当然のことだ)という文言もあって、財政に関する考え方は根本的に違う。東京オリンピックは感染症対策の専門家の意見を聞いて開催が困難であると判断した場合は、中止をIOCに働きかける、また招致における税の使われ方を検証するという、まあまっとうなことが書かれている。
 総じて宇都宮氏は広く深く、かつある程度いろんなことを考えている「インテリ」向けの公約、山本氏は本当に今、コロナ禍で困ってる人、絶望している人に向けた公約であると言えよう。前者は後者を「包摂」するハズなのであるが、前者が後者を捕えることはムズカシイ…そう考えて(いろいろな思惑もあるにせよ)山本氏はあえて今回、都知事選挙に立候補したと考えていいだろう。
 この宇都宮氏公約が、必ずしも必要な人に届かない問題は、そのまま宇都宮陣営、しいてはリベラル・左派全体の問題であるとも言える。私は宇都宮陣営の様子はまったく知らないのでどうのこうの言える立場ではないのだが、あえて言えば「真面目な公約を真面目に掲げていればいずれは当選する」というドグマに凝り固まっているのではないだろうか?立派な公約をどう届けるか、戦略も戦術も考えていない…だから山本太郎につけこまれる!
 巷では「新選組」山本氏が独自に出るのではなく、宇都宮氏を応援すれば、支持が広がるのに…と考えている人も多数いるだろうが、彼は人が考えた「立派な公約」をいかに広めるか?という「下請け」仕事をするような人ではない。自分が考えた「コロナ禍で苦しむ人を救う公約」だからこそ、街頭で、YouTubeで伝わるように広めることが出来るのだ…彼に宇都宮氏の応援を期待することは、最初から無理だったかも知れない。
 一方山本氏の公約は「東京オリンピック中止」を掲げて尖っているものの、特に原発問題や被爆問題なんかが完全にスルーされているのを見ると、この人が原発事故後に政治に目覚め、動き回って来たのは何だったのだろう?もちろん私も「経済問題」に特化した山本氏の主張を好意的に紹介もしてきたわけだが、ここまで行くと「少しは初心に戻れよ!」とも思う。
 今になって反小池票が割れて云々と言っても仕方がない…宇都宮氏にはこれまでの支持者層をがっちりつかんでもらうとともに、山本氏には無党派層・無関心層に切り込むとともに、コロナ禍で小池都知事を見限った保守層(これが下手すると維新とかに行く)の支持を取り付けるべく、選挙を盛り上げてもらいたい。そして「緑のタヌキ」小池都知事を追い出すぐらいの勢いを見せつけようではないか!

おまけ…東京都民の皆様へ「維新」なんか行政のトップに据えると、コロナ第2派の流行時にカッパを集め出すことになるから止めましょう!

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BLACK LIVES MATTER”よりも”大切なこと

 先週の日曜日、大阪で「Black Lives Matter」を掲げ、人種差別に抗議する集会・デモが行われた。Y!ニュースMBSより
大阪でも「人種差別抗議デモ」…SNSの呼びかけで集結 一連のデモは世界各国に拡大

 アメリカの人種差別に対する非難の声が世界各国に広がる中、6月7日、大阪市でも抗議デモが行われました。
 「大阪の中之島でも多くの人が『BLACK LIVES MATTER』と声をあげて行進しています。」(記者リポート)
 アメリカで黒人男性が白人警察官に拘束されて死亡した事件に端を発した反人種差別デモは、世界各国に拡大しています。7日、大阪市でもSNS上の呼びかけに応じて集まった外国人や日本人が、大阪のアメリカ総領事館の前などで人種差別を糾弾する声を上げました。
 「向こうで起こったことは正しいことじゃないなと思って、どうしたらいいか分からないので参加しました。」(デモの参加者)
 一連の抗議デモは6月6日に東京・渋谷でも開かれていて、日本でも抗議の声が広がりを見せています。

 記事にあるように東京でも集会・デモは行われており、昨日も行われたようだ 
 別の報道では、この大阪のデモ参加者が1000人ともされている。参加した人によればそれ以上に集っているという声もあって、それは凄いことだ!それだけ集まれば、集会・デモの様子を写真や映像でみても壮観だ!
 人種差別の問題を、遠く離れた海の向こうのことだと考えずに、自分たちの問題であると立ち上がった人たちに、最大のリスペクトを払いたい‼

 その上で、大阪で「人種差別」に対しこれだけの人が立ち上がれるのに、足元で続いている「朝鮮人への差別」について立ち上がる人が少ないのはなんでだろう?と思ってしまう。
 全国でもそうだが、大阪でも朝鮮学校に対し、授業料の無償化や様々な補助金から排除されるという差別政策が続いている。(大阪では毎週火曜日のお昼、府庁前で抗議行動が行われている)また朝鮮・韓国に対する「ヘイトスピーチ」「ヘイト言論」は野放し状態で、そんなことを煽る本も書店で堂々と売られている!
 そんな状況に対し、私も含めどれだけの人が声を上げているだろうか?怒りを形にしているだろうか?

 遠く離れた海の向こうの問題について声をあげることはたやすいが、足元で起こっている問題に声をあげることは難しい…のだろうか?

 でも今回立ち上がった”1000人”もの人たちは、こんどは朝鮮・韓国人への差別問題について立ち上がるだろう!と信じよう!

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コロナ禍での社会ヘゲモニーを握ろう!

 「緊急事態宣言」が一部の地域で解除され、また大阪や兵庫でも休業要請を段階的に緩める動きがある。たしかに5月に入って日々の感染者数が減ってきている一方、補償のない自粛なんぞこれ以上続けられるか!というのが人々の本音だろう。ただウィルスは気まぐれで、政権への忖度もしない!から、6月に緊急事態宣言が「解除」されてもダラダラと感染者や死者が出て、一部の業種は自粛の強要が続く、不要不急の県境を越える旅行もご法度…そして世界での流行状況も含め、第二派、第三派の流行がやって来ては、自粛要請の繰り返し…というのが2~3年続くのではないだろうかと思う。
 こうしたコロナ禍の中でも「ポストコロナ」「アフターコロナ」…「コロナ後の社会」というものが語られだしている。コロナ禍で露わになった社会の矛盾、それは労働者階級、市民も感じているし、一方でこれまで社会を支配していたブルジョワジー、権力者の側も感じている。ウィルスの流行は世界的だから、当然この矛盾をなんとかしよう、社会を変えようという動きは世界的なものになる。
 我々労働者、市民がコロナ禍で味わったことは、普段現れている格差や問題が、治療法のない感染症の世界的流行という災禍の中でより先鋭に現れたということだ。また災禍は普段苦しんでいる階層、階級がよりいっそう苦しめられること、そして支配階級の都合により、その災禍がより大きくなるということだ。具体的には、補償も無く休業を強いられるが、大きな企業は余力があっても、小さな企業・個人事業主やフリーランスは大打撃をうける。テレワーク等が推奨されても、現場でインフラ等を支えなければならない労働者は、感染の危険を冒して出勤しなければならない。医療現場では、医師や看護師など病院の正規職に危険手当がついても、委託・非正規の職員にはマスクすら配られない。PCR検査も進まず「医療崩壊」が起こりそうになるのは、普段から病院や公衆衛生方面にカネを投下してこなかったからだ。そしてこんな時でもオリンピックや万博、都市再開発、あるいは基地建設にばかり金が使われる。
 感染予防の自粛はひたすら人びとの忍従や努力によって行われる…従わない個人や商店には“自粛警察”が襲い掛かる。ウィルスは外から来た!ということで、差別排外主義と結びついてヘイトクライムが起こる。人と人が会うこと、集まることは「3密」を避けるためと称して忌避される。公共の施設が閉鎖されていることもあって、様々な困難を抱えた人びとに対する支援も滞る…こうしたことが起こるのは、あらゆる物事を生産性で計り、生産性のないものは切り捨ててきた「新自由主義政策」を推し進めてきた政治や社会にある。
 だからコロナ禍の、あるいはコロナ後の社会を考えるにあたって、こういった政治を改めないといけない。逆にいうと「新自由主義政策」をやってきた連中…安倍・自民党や維新・橋下、吉村大阪府知事、小池都知事、さらには竹中平蔵なんかをのさばらしたままにしてはイケナイのである。
 例えば「新自由主義政策」の下で学校の「3密」を避けるため、下でオンライン授業を大々的に導入するとしよう。パソコンやタブレット、カメラやマイク等の機材導入、インターネット環境の整備など、GAFAやIT業界の草刈り場となる。オンライン授業のソフト導入という名目で、ベネッセなんかの大手教育産業も参入してくるだろう。その一方で、オンライン授業についていけない、そのシステムが会わない家庭や生徒はどんどん切り捨てられていく。
 だがオルタナティブに「少人数学級を徹底」すれば、オンライン授業を大々的に導入しなくても「3密」を解消することは可能だ。子ども達には、換気のいい、さわやかな空気が入る広々とした教室で、少人数でしっかり授業を受けることになる。学校の建物なんて、少子化で空きがでる一方だから新しく建物をつくることもない。教育労働者が増えるので、公的部門の人件費はこれまで以上にかかるし、建設業界も儲からない⁉(学校をリフォームするような地元の業者にとってはいいだろう)「新自由主義政策」とは反対のやり方である。(もちろん「不登校」の問題とかもあって、全ての児童、生徒を学校に集めて教育するという近代システムそのものも見直さなければいけないし、その過程の中でオンライン授業のようなものを取り入れることに反対するわけではない)これは社会のヘゲモニーを新自由主義者、新自由主義政治家から我々が奪って、行うことなのだ!
 コロナ禍での「梅田解放区」や「大阪市役所前座り込み」などは、こうゆうことも目指すための運動であるとも認識している。単なる「安倍ヤメロ!カネよこせ!」の運動ではないのである。

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憲法1条を守れば天皇制はなくなる?

 先日の5・3憲法集会や、他の反天皇制集会・デモに文句つけてくる右翼の中には「憲法1条を守れ!」と言ってくるヤツがいる…まぁ確かに我々は「天皇条項を無くせ!」とは主張しているが…憲法1条とはもちろん、天皇条項の一番最初…天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く…というものだが

・いつ天皇がいるかいらんかということについて「日本国民の総意」が調べられたことがあったのか?
・「日本国民」のうちどのくらいの人が天皇が必要である(あるいはいてもいい)としたら、総意なのか?

という問題を抱えているハズだ。

 とくに後者については総和を越えたあるべき正しき理念 とか、全員の一致した考えとかいう意味をとれば、天皇の存在は単なる「多数決」で決まっているとはとても言えない。共同体の「ほとんど全員」が「天皇が必要」であると考えているぐらいの状態だろう。
 そんな中で、過去の日本国憲法制定時にも、共産党支持者をはじめとする「天皇制(君主制)反対!」を叫ぶ人は一定数いたわけだし、現在も我々のように、「天皇制なんかいらない!」と声高に叫ぶ人たちは一定数いるわけだ。
 だから「天皇は必要!」あるいは「天皇がいても良い」という意見は、「日本国民の総意」ではないことは明白だ!

 ということで現在の日本に存在する天皇(制)は、憲法1条に規定された「総意」に基づいて存在するのではなく、別の論理で存在していることになる…よってその存在は「憲法違反」ということになる。
 また仮に憲法制定時に「総意」があって天皇制が存続していたとしても、後世にそれがなくなればその存在理由は無くなり「憲法違反」の存在となる…後になって「反天皇制」の思想・思考体系がより一般化し「日本国民」の一部が声高にそれを掲げれば、天皇の存在の総意はなくなるわけだ。

 とはいえ「天皇制」がもし「憲法の枠外」のものであれば、天皇条項1条~8条でがんじがらめに縛ったとしても、日本の政治や社会に及ぼす影響は非常に大きく、厄介なものとなる…天皇・皇族たちが全国を旅して「国民を慰撫」し、「祈りをささげる」ことを、前天皇も、そして今の天皇も「象徴の務め」であると考えているようだが、そんな「務め」は憲法のどこにも規定されていない…こうゆうことが出来るのも、天皇が「憲法の枠外」にいるからなんだろう。

 クソ右翼に「憲法1条を守れ!」ということを言われてもフンフンと言って笑っておけばエエのだが、憲法の枠外にいる天皇制を撃つことはなかなか大変なことなのである。

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「全病院労働者」に危険手当を!

 すこし前のお話…大阪の十三市民病院が労働者に事前に何の相談もなく(維新・松井市長もどきの思いつき)「コロナ専門病院」になる問題で、そこで働く医療従事者が毎日放送のインタビューを受けた。放送は4月29日である。
周囲で”突然閉店”など偏見…コロナ専門「十三市民病院」のスタッフ”苦悩”証言
(前略)病院で勤務する医療従事者がMBSの取材に応じ、周辺のコンビニが突然閉まるなどコロナによる差別や偏見に苦しんでいると話しました。
「新聞(配達)のおじさんに『コロナの病院で働いてるんでしょ?きょう集金どうしようかなって思ったわ』と言われて、傷ついて。『大丈夫?』とか『辞めたらいいやん』とか毎日ツイッターやフェイスブックとかEメールとか電話で言われるのは、ものすごくプレッシャーで、ものすごく疲れるんですよね。」(大阪市立十三市民病院の医療従事者)
 また、コロナ専門になることが決まってからも、スタッフ用のマスクが1日1枚しかないなど感染症対策が不十分だと話します。
「1人のヘルパーの人がコロナ専門になったら、コロナの病棟に行かねばならなくて、『マスク週に2枚とカッパで出来ますか』と聞いたら辞めると聞いた。」(大阪市立十三市民病院の医療従事者)
 大阪市などは5月初旬からの感染患者の本格受け入れを目指していますが、病院では退職を希望する医療従事者が相次いでいるということです。

 だがインタビューをされた方によれば、本当に訴えたかったことが全部省かれ、ひたすら「かわいそうな労働者」像を求めていたそうだ。何が省かれたかと言えば、医療従事者の権利を守ろう!危険手当を出せ!…それも医師や看護師だけでなく、病院内で働くすべての労働者に対して!ということだそうな。
 病院は医師と看護師、医療技術を持っている人だけで成り立っているのではない…食事を作り配膳をする人、掃除をする人、シーツを替えクリーニングする人、会計をする人…様々な職種の人が働いている。その多くは病院に直接雇われているのではなく、病院から委託された別の会社に所属する形で働いている。そうした人びとが一緒に働いて、はじめて病院の機能が発揮できるのだ。
 だが市が病院労働者に対し「危険手当」を出すにしても、多くの委託労働者は市に雇われているわけではないから、簡単ではない。市が病院に雇われている人の人件費だけでなく、病院が雇っている人に出す委託費も増額させないといけないからだ。
 一つの社会機能をもつ組織の中で働く人が、様々な会社や雇用形態で働いていることが当たり前の世の中である。しかし賃金・手当や労働条件に差別があれば、差別された労働者たちはその職場に「いない者」とされる…そうした差別は人と人とを分断し、しいては社会を解体してしまう。

#全病院労働者に危険手当を払え
#スーパーや物流関係者に危険手当を払え

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もはや茶番劇場と化した大阪府議会

昨日の記事
より厳しい経営環境にある事業者への支援について質問された吉村知事は、国がスピード感を持って対応しない、それは国会議員が事業者の立場…家賃を払わないとつぶれる…を味わっていないからだと責任転嫁したうえで、自らが提案する議員歳費の半減・削減を賞賛するという“自画自賛”答弁にすり替わっていた。
 と書いたが、このあたりもう少し詳しく記録しておきたい。
 
 質問した森和臣議員はかつて事業(組紐業だそうな)を営んでおり、事業者が家賃支払いに追われることは大変なことであるというようなことを述べながら、さらなる事業者に対する支援について吉村知事に質問した。それを受けて、国の方針や支援策の決定が遅と答弁しながら、国の決定が遅いのは、国会議員がこの事態になっても所得が保障されており、多くの事業主が抱えている、今月の家賃(テナント料等)を支払えないという苦しみを理解していないからだ、だから彼らの歳費を半減して少しでも「痛み」を理解してもらうとともに、財源にしよう!というふうにすり替えた…これを説明するに当たり、わざわざ各議員(国会議員のみならず、地方議員も)の歳費を半減させる説明パネルまで持ち出し、これまでの「原稿読みモード」とは明らかに違う、嬉々としたトーンで吉村知事がしゃべりだしたのである…これを見て傍聴していた私たち要請団は「自画自賛!」「議会がもはや“筋書き通り”演劇と化している!」「茶番劇だ!」とあきれ返ったわけだ。ついでに国会議員宿舎が国内の一等地にありながら、家賃をほとんど払わなくて良い、これも見直すべきだということも吉村知事は公言した。
 なるほど、家賃・テナント料を支払わないといけない事業者の痛み、視線を「共有する」という名目で議員工費削減をブチ上げる…これはこれで今困っている事業者さんは留飲を下げ、支持をとりつけることは出来よう。だが議員歳費を半分にしたところで、出てくる財源は限られている。(国会議員一人当たり年間2,200万円、議員定数が衆参合わせて713人で計算して約156億円、その半分は78億円…アベノマスク全世帯配布は補正予算で233億円計上…アベノマスクすら配布できないのだ!)まして地方議員のうち地方の町村議員になると、普通の人が月収で得る金+αしか出ないところもあって、ただでさえ成り手がいない。そんなところを半減すれば、生業が余裕のある人とか、二世、三世の世襲議員しかなり手がいなくなる。議員宿舎なんか、会期中は夜遅く、更には徹夜審議にもなる中で、国会近くに議員の拠点(単なる宿舎ではない)を確保しておくことは必要なインフラ整備と同じであり、そんなところからカネをとっても、まったく意味はない。
 そして橋下大阪府知事いらいの維新政治は、そうしたロジックを使いながら公務員を削減し、公務でやるべき仕事を次々民営化もしくは廃止してきた。二重行政を排するとして大阪府立公衆衛生研究所と、大阪市立環境科学研究所を統合し、独立行政法人化したのである。(大阪はもう行政・公務は絞り切ってしまったから、維新の「身を切る改革」のターゲットは「議員特権」ぐらいしか残っていない)これが大阪の「コロナ対策」を規定している。
 そして、こんなデタラメ問答が議会でまかり通るのは、ひとえに議会内に“翼賛勢力”しかいないからだ。大阪府議会の定員は88名で、そのうち維新が49名、自民党と自民党系無所属が16人、公明党が15人…維新・自民・公明で80名を占めている。そして15名以上の会派でないと、主要な質問が出来ない「ルール」があるそうだ。自民党も公明党も、府政野党と呼ぶにはあまりにもお粗末…特に昨年の府知事・市長のW選挙で敗北して以降、維新に明確に対抗できる勢力ではなくなった。維新も自民も、“事業者”目線で家賃が払えるかどうかは感心を持つが、労働者民衆が住むための住居、それにかかわる家賃のことなんぞ考えない(維新の多くは地元で自民党下の組織をさらってきたものを基盤として出てきている)まさしく労働者民衆の利害を代表する議員団の登場が必要なのだ。
 また吉村知事は「国の方針や支援策の決定」がない→だから大阪府独自では何もやらないと、責任を国になすりつけているが、かつての「革新自治体」をみられよ。国がなぁ~んにもやらないからこそ、自治体が独自に予算もつけて、福祉や環境問題等で先進的な政策を打ち出し、実行してきたのではないか?維新の連中がいう「政治のリーダーシップ」なんて嘘っぱちで、ただただ国のやることに従う(反動的なことだと国を先回りしてカッコいい言葉でぶち上げる)だけではないか!
 しかし大阪に帰ってきてから3年半…ここまで維新政治によって大阪府政とかが劣化していたとは、改めてぞっとした。これを機に、いかに府政や市政を維新から取り戻していくか!という課題について、選挙も含めて真剣に考えないといかんなぁ~と思ったぞ。

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「れいわ現象」の正体(その3)…「新選組」はどうなるか?

 本書の巻末には「新選組」から参議院選挙に立候補した女性装の東京大学教授、安富歩氏のインタビューが収録されている。安富氏は立候補したものの当選についてはハナから考えておらず、選挙運動で自分の理念(「富国強兵」から「子どもを守る」)を伝えることに専念していた方だ。_0001_20200330102701  安富氏は同じく先の参議院選挙で「躍進」した「NHKから国民を守る党」が、日常的に関わる人がいる上で選挙結果を出している「草の根型」「組織型」の政党であることに対し、「新選組」は「山本太郎ひとり、モードが全く違う。組織が全くなくて、カンパだけつのって、ボランティアだけで選挙活動をやっている。」と評する。そして「『山本太郎』という中心が消えないといけないと思っています。」(p216)と述べている。「山本太郎の動きが誰かを刺激し、その人がまた誰かを刺激するという連鎖が起きないといけない。私たちが候補として出ましたが、別にその候補者に限らず、山本太郎の活動に影響を受けた人が自分でも動いていかないと。そうゆう波及効果がどれくらい起きるか、ですよね。今まで政治に関わろうとしなかった人びとが、カンパしたりポスター張りをするだけではなくて、自分で地方選挙に立候補したりする。その動き全体が、いつまで『れいわ新選組』という形をとっているかは分からないですよ。また別な形が現れるかもしれませんが、そうゆう連鎖が広がっていくということです」(p217~218)と述べている。一方、このまま「新選組」が大きくなって当選者を増やし権力を取っても(山本太郎氏が総理大臣になっても)日本の権力・官僚システムからボイコットされる。民主党政権以上に政府が止まり、そこに揺り戻しが来て本当のファシズムが始まると危惧している。(山本太郎が「ファシスト化」するわけではない。彼は組織化をやろうとしないので、独裁者にはならないと安富氏は言う)その上で「れいわ新選組の動きを見た人の生き方が変わり、政治というものへの関わり方が変わり、多くの人が主体的に立候補したり誰かを支持したりするという動きが広がっていく。それは必然的に住み方とか働き方とか、生活の仕方も含まないといけない。つまり、今ある権力システムにしがみついて生きるのをやめる、ということです」(p221)と述べる。今のシステムから多くの人びとが逃げて、システムが崩壊してゆくことに「新選組」の運動を通して希望を見出しているようだ。 
 では、こういった安富氏の意見もふまえたうえで「新選組」は今後どうなるのか?あるいはどうすれば良いか?私なりに考えてみた。次の衆議院選挙まで国会に議員を送り込むことに特化した「政党」としての運動は続く…しかし今の組織もつくらず山本太郎個人に依拠した運動では、数人の国会議員を擁する弱小のつまらない集団に終わってしまうだろう。とはいえ森岡教授が指摘するように、かっちりとした組織をつくって「既存政党化」しても面白くないし、面白くなくなればやっぱり現状打破なんかできない…東京オリンピックが延期になって総選挙がいつ行われるか見えない状況下で、ダラダラと「選挙に特化」した運動を続けていても飽きられるし、新型コロナウィルス流行の影響で、得意の街頭宣伝(記者会見や「れいわ祭り」など)も出来ない。「新選組」は危機にある⁉
 そこで「新選組」は、山本太郎氏の人脈で集めた様々な(予定)候補者などが、選挙以外の様々な活動を行うNPO集団・ボランティア団体になって発信し、支持者の居場所や活動場所ともなればよいのではないかと思う。そこで有機農業や再生可能エネルギー会社を運営するのもいいだろう。それぞれの候補者などが自分のやりたいこと、得意なことをやるので、組織は分散的で、かつ徹底的に民主主義的に運営される…当然、山本太郎氏は中心にはいない…そうゆう「面白い集団」を目指せば安富氏の言うところの「山本太郎というプラットフォームがあって、ようやく私のようなものも入れ物に入るわけです。そうやっていろんな人が、山本太郎が起こした波に乗って動き始めたら、それに乗ってまた誰かが動くということが起きたら、変革は始まりますよね」(p232)となるのだろう。

 別な言い方をすると、「山本太郎」に頼っている運動や「政党」ではダメですよ!ということだ。

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東京オリンピック・パラリンピック反対!3・27集会

 昨日エルおおさかで行われた「東京オリンピック・パラリンピック反対!3・27集会」に参加してきた。雨が降って足元が悪い中、80~90名あまりの参加者だった。掲げられる「ゴーウェスト」の横断幕。
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 司会は「梅田解放区」園良太さん…オリンピック延期は、感染症の影響とはいえ私たちの頑張りが結実したものだ。それでもオリンピックは福島原発事故や巨大開発、資本主義の矛盾を覆い隠すイデオロギー装置でしかない。延期による追加費用も3千億円かかる。いますぐ東京オリンピック中止を!と訴えた。
 講演は「オリンピックとコロナウィルスに共通する資本主義の危機」と題して、「オリンピック災害」おことわり連絡会の小倉利丸さんである。小倉さんははじめに「オリンピック批判については、私よりも理論でもっときちっとした人が関東にはいます」と前置きしながら話を始められた。用意されたレジュメも分厚くて相当なものだ。
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 ぶっちゃけた話をすると、オリンピック批判の内容はほどんど無く、コロナウィルス感染症蔓延状況下で明らかになった資本主義・近代社会の矛盾を説くものであった。
 経済は人びとの生存を保障すること、経済が担わなければならないのは、人びとの衣食住を確保することだが、市場(経済)は生存の平等を保障できない…所得に不平等があるからだ…とゆうようなことがのべられた。
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 パンデミックを防ぐために「ロックダウン(封鎖)」をすると「経済」が失速する…逆に「経済」が失速するのを恐れてロックダウンをしないとパンデミックが起こるジレンマを描いた図。ここでの「経済」とは「企業が儲けること」で、この中には私たちの政治的・社会的自由と権利がどうなるか?という視点がないことを批判された。「企業が儲けること」は今回の新型コロナウィルスでも、医療産業や金融資本がこれを利用して儲けることを企んでいる…と、Interceptから引っ張って来た記事を翻訳したものを紹介された。
 感染症対策は「企業(経済)にたよる」方法と「国(権力)にたよる」方法の二つ…企業は儲からないことはやらないし、国は権力拡大しか考えていない…この他にたよるものはある。人類は数万年の歴史をもっているのだが、企業や国家が主体となっているのは数世紀だけ(他にたよるものがあるにもかかわらず、忘れているか知らないかのどちらかだということだ)
 「恐怖」というのは対象がはっきりしている、それに対し「不安」は必ずしも対象がはっきりしていない、対象があるのかどうかも分からない。権力は「テロ対策」で不安をあおって大規模監視・管理の技術を発展させ、それに支えられて今の世界規模のロックダウン・外出禁止がある。不安感情を権力に利用させない方法は、私たちが自分の身体の状態を知ることにある。新型コロナウィルスに対し陽性なのか陰性なのかを知ることは、知る権利を通じて不合理な権力による私たちへの心理への介入を阻止する前提条件である…ということで、検査抑制を批判された。
 「落書き」が批判されるのは「表現の自由」よりも「財産の権利」のほうが上だから…権利と自由には優劣があって、一番上は資本と権力だ。だからその優劣を認めてはならない。それをひっくり返すことが求められている。資本主義は民衆の生存も自由も保証しないシステムであるから、資本と国家のしくみをつくり替えていくこと、それは私たちがつくっていかなければならないことだ…
 ざっといえばこんな内容…オリンピックの「オ」の字もないでしょ(^^)
 後の質疑応答では、「知る権利」を奪われて権力や企業がやりたい放題していることは、徹底的に隠された上で行われる聖火リレーに通じるものがあるという意見や、「自粛」は同調圧力のみで起こるのではなく、末端では具体的な権力行使が成されていることを注視すべきという意見もでた。おもいっきり資金がある推進側(オリンピックのみならず万博やカジノも)の動きが止まっていることはチャンスだという声も。
 「企業」や「国」にたよらない方法…といえば「相互扶助」となるが、そうした動きは東京で起こっているのか?という問いに対し、小倉さんは、相互扶助も注意しないと排外主義と一体となる…白人だけで移民を排除した相互扶助など…と指摘した上で、東京は中央政治に近いので、”野党”と言われる人もなんとか日本経済。社会を立て直そうとしちゃっている…そうゆう意味で、相互扶助の運動は関西のほうに期待しているということを述べられた。

  一通り講演が終わった後、問題提起としてゴーウェストの方が「原発避難者の切り捨てを許さない!」とあいさつ。釜ヶ崎センター開放行動の方が、「巨大イベントを利用した立ち退き強制への抵抗」を報告。東京でもオリンピックを口実に行われている「再開発」についての地図が示された。
 各分野からの発言、行動よびかけでは、参戦と天皇制に反対する連続行動から、4月29日「昭和の日」に集会とデモを行うこと、リニア市民ネット大阪から、リニアの問題は広がっていないが、ルートが決まっていない今だからこそ出来ることがあると述べられた。アジア共同行動・京都から、強権発動とそれを支持する流れがあることについて批判・弾劾する発言があった。
 全日建連帯労働組合関西生コン支部から弾圧との闘いの報告…連合の組合は春闘の集会まで辞めてしまう、私たちは闘ってるから弾圧されている…とのこと。梅田解放区から3・28梅田解放区集会・デモ のお知らせの他、31日には大阪市役所前で家追い出し禁止・公共住宅開放・現金即日給付を掲げた座り込みを11時~18時まで行うことが表明された。

まとめ・行動提起で、集会は終了した。

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「れいわ現象」の正体(その2)

「れいわ現象」の正体のレビューの続き…哲学者で早稲田大学人間科学部の森岡正博教授は、「新選組」が重度の障がい者2人を候補者として擁立したことも取り上げ「(山本太郎氏のメッセージは)思想運動をしてきた人びとが細々と言ってきたことが政治の文脈に乗ったという印象があります。1970年代の『青い芝の会』の運動あたりからずっと言われてきて、それを思想家や学者たちが受けとめて言い続けてきたことがまさにこれですよ。つまり、人間の属性で生きる死ぬを決めるなということですね」(p153)と述べた後、マイノリティーが発するメッセージは、単にいま置かれている状況を改善されなければならないというものだけではないと展開する。障害者は確かに「生きづらい」けれど、それを見据えることが出来る…だが健常者はどうだろうか?健常者の方が自分でで自分をつらくしてないか?
_0001_20200324160301  「マジョリティーの側に立っている人たちは、れいわのお二人(注:木村議員と船後議員)を見たら、自分はああじゃなくてよかった。自分はああじゃなくてよかった。自分は二本足で歩けてよかったと思ってしまうことがあると思いますよ。実はその考え方こそが自分を縛っていることに気がつくべきです。ああじゃなくてよかったということを維持していくために、どのくらいのリソースを我々が自分のために使っているかということを考えてみてもいい、自分で自分に枠をはめてませんか、という話です」(p156~157)もちろん、こういった話は二層構造になっていて、表の層は「生きづらいから状況を改善して欲しい」という主張だが、その裏の層にはマジョリティーが感じていない喜びがある…ただ「喜びがある」からといって、そのままでいいというわけではない。 
それをふまえ二重の層…社会正義の実現と、人生をどう生きるか?…をつないで、すべての人が充実した人生を送れるようにするには「根源的な安心感」がキーワードになるとしている。「根源的な安心感とは、たとえわたしがどんな人間であれ、ここにいて構わないし、誰からもそのことによって責められない、という風にすべての人が心底思えるということ。もしそういう風に人びとが心から思えるのであれば、ある意味、お金とか物資とか、いろんなことは格差があったって構わないとまで思いますね。根源的な安心感を基礎に置くような考え方で社会を運営する。そのときに社会正義の追及と生きる意味の追求がつながるのかなと思っています」(p159)と述べる。単に「生産性で人の生き死をきめてはいけない、そのような価値感ではない価値観で社会を動かしていこう!」ということから一歩踏み出した概念が「根源的な安心感」なのだろう。
そして「どんな人でも生きていていいんだというのは、れいわ新選組の山本太郎さんのメッセージですよね。根源的な安心感という考え方にとても近いことを彼は言っているように見える。どうゆう根拠、背景があって言っているのかはちょっと分からないですけど。こういったメッセージを出したのは別に彼らだけじゃなくて、今までもいろんな政党の人が当然言っています。けれども、既成政党はやっぱりバックでサポートしている既得権益の団体の縛りをどうしても強く受けてしまうから、そのメッセージがストレートに届ききらなかったんじゃないかと思います」(p160~161)と、「新選組」が組織をバックにした政党ではないことも有利に働いているとしている。だから「新選組」がそれなりにかちっとした政党になれば、また同じことになるのではないかと危惧されている。(つづく)

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