かくめいのための理論

「アベノミクス」評価と「金融緩和」訳語問題

 「そろそろ左派は<経済>を語ろう」シリーズ…松尾匡氏らは、アベノミクスについてどう語っているのか?
 _0001_4 まずアベノミクスには「三本の矢」がある。「異次元的金融緩和(第一の矢)」「機動的財政出動(第二の矢)」そして「民間投資を喚起する成長戦略(第三の矢)」である。本書の主張はケインズ政策であり、「金融緩和と政府支出の組み合わせ」というのは、デフレ不況(需要不足)に対する普通にケインズ政策の枠組みと同じなので、なにも問題はないし、安倍首相の独創でも占有物でもない。また欧州ではかなりスタンダードな左派の経済政策でもあり、英労働党のコービンは「人民の量的緩和(People's Quantitative Easing)」と言っている。要するに第1の矢と第2の矢は「有効」なのだ。
 問題は「第三の矢」で、同じ政策のパッケージに入っている必要は全くない…「「第三の矢」は小泉構造改革を継承するネオリベ的な天井の成長を意図した規制緩和路線ですから、需要側に注目した(「第一の矢」「第二の矢」の)ケインズ主義的な枠組みとはまったく異なるものというか、むしろ景気回復の足を引っ張るような政策です。でも、「アベノミクス」という言葉で二つの政策を一緒くたにしてしまうと、そういう違いが何も見えなくなってしまいます。」(p168)すなわち「第三の矢」だけがネオリベ政策であり、松尾氏に言わせれば「アクセルとブレーキを同時に踏んでしまっている」のだそうな。だから効果がないのである。
 また「第二の矢」の財政出動についても、「人民の/人々の」という意識に欠けており「有権者の一番の関心は景気問題なので、そこに注力してきただけなんですよ。そうすると、政策が非常に中途半端なものになるんですね。たとえば、本来金融緩和とセットになっている「第二の矢」の財政出動のほうを見てみると、一応政権発足後1年ぐらいは積極的な財政出動をやっていたんですけど、そのあとは財政赤字の増大を恐れて引き締めにまわっています。いつも選挙前になると、テコ入れのために一時的に積極財政をとるのですが、それが終わるとまた引き締めるということを繰り返してきました。」(p173)と手厳しい。だから「野党は『アベノミクス』の良い部分(金融緩和と財政出動)は継続して、お金の循環のさせ方を変えます。という方向でいけばいい」(p175)のだそうな。そして、お金の回し方も変える「本来は、社会保障費を削減するのではなくて、景気対策として社会保障分野にも投資するのが、左派本流の経済政策です。本当に財政出動すべき分野はたくさんあります。たとえば、子育て支援がその最たるものでしょう。それで子どもが生まれたほうが、将来税金を納めてくれるんだから、財政的にもいいに決まっています。(中略)少子高齢化を心配するんだったら、低すぎる保育士さんの給料も上げなければいけませんし、保育所も増やす必要があるでしょう。介護についても切迫していますから、たくさんお金をかけて取り組むべきです。奨学金など借金を抱えて大変な学生さんもたくさんいますし、大学の学費を無償にするとか、給付型の奨学金を充実させることも必要な政策だと思います。」(p177~8)要するに、旧来型のハコモノ、インフラ系公共事業…それこそオリンピックやカジノ、万博に代表されるようなもの…を止めて、旧民主党政権が掲げたスローガン「コンクリートから人へ」を実践すること。これが「左派」がとるべき経済政策なのだ。
 ではなぜ「アベノミクス」総体がボロカスに言われるのか…「Monetary Easing」の訳語を「金融緩和」としているため、これが通貨量を増やす(緩和する)意味でなく、なにか「金融自由化」の一種の「ネオリベ」新自由主義政策のようなイメージでとらえられるからである。また「金融緩和」だけでマネーをジャブジャブ出しても、「財政出動」のやり方が間違っているから、全部「資本」のほうにいってしまい、需要は増えない。デフレのまんま、株価だけは上がる…ということになるからだ。

 もっとも訳語問題は、「経済成長」の語もそうであるが、定着してしまっているので今さら変えられない…ということもあるのだが。

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「左派ポピュリズム政党」はMMTを理論支柱とするだろう

 先日山本太郎は「左派ポピュリズム政党」を目指すのか?で、お友達のkuronekoさんに好意的に取り上げていただき、またコメントもいただいたので、向こうのブログ記事 にもコメント返しなんかをしておいた。「左派ポピュリズム」という言葉が「新鮮」だったようですが、もともとポピュリズムには、既成政党ではとらえられない民衆の不満・要求をすくいあげて、扇動・宣伝していく政治手法であり、そのアプローチは左右どちらからでも行えるわけ。ポピュリズムの事例として挙げられるアルゼンチンのペロニズムは、労働者階級の要求に答えようとする「左派ポピュリズム」であったし(理論的なものはイタリアのファシズムから学んでいる…ファシズムとポピュリズムの違いについては詳しく述べないが、議会外の大衆運動に依拠するか、選挙そのものに重きを置くかぐらいで理解しておいたほうがよい)、イタリアの「五つ星運動」なんかも「左派ポピュリズム」として位置付けられている。また、薔薇マークキャンペーンと市民社会フォーラムの企画にそろそろ左派は<ポピュリズム>を語ろうというのもあることを紹介しておく。

 で、「左派ポピュリズム政党」が掲げるであろう、薔薇マークキャンペーン的な主張…消費税を5%に引き下げ、財政拡大を行う「反緊縮」政策の理論的支柱となるのが、「MMT(Modern Monetary Theory、現代金融理論)」である。ロイターの記事から
焦点:財政拡大理論「MMT」、理想の地は日本か 
 [東京 8日 ロイター] - MMT(Modern Monetary Theory、現代金融理論)が、注目を集めている。独自の通貨を持つ国の政府は、通貨を限度なく発行できるため、デフォルト(債務不履行)に陥ることはなく、政府債務残高がどれだけ増加しても問題はない、という考えだ。米国では、激しい論争を巻き起こしているが、財政が膨張しながら低金利にとどまる日本は理想の地なのか──。金融緩和策に限界論が出る中で支持が広がるか、市場の関心も高い。(以下略)

 「TPP亡国論」を著した保守の評論家、中野剛志氏も、東洋経済オンラインで2回にわたってMMTを紹介している。リンクのみ貼り付けると
アメリカで大論争の「現代貨幣理論」とは何か
異端の経済理論「MMT]を恐れてはいけない理由
 ざっと読めば、「信用創造」の観点から、貨幣の見方を見直したもの…「貸し出し」そのものが「預金」を生み出すというものなので、中野氏がいうところの、「天動説と地動説」「パラダイムチェンジ」という言い方がまさにぴったりだ。で、それを「独自の通貨を持つ」国家財政に適用したもの。これで国家が借金をする(財政出動する)ことで、市中に出回る貨幣量を増やし、経済をまわしていくことに繋げるのである。

 独自の通貨を持つ、通貨発行権のある国が、財政赤字を拡大させても、財政が破綻することはない…よって財政拡大によって経済をまわそう、インフラをじゃんじゃん整備しよう…という考え方は、保守の一部…安倍政治を礼賛する勢力の中にもいる…から一定の支持がある。また主流派経済学からは「異端視」されていることもあって、左の人たちからも喧々囂々、非難続出かもしれないが…
 ポピュリズム政党なら、それもOKじゃないか!

 ということで、「左派ポピュリズム政党」の理論支柱・基礎には「MMT」が座るのである(当然これは「マルクス経済学」ではない)
 おまけのリンク…薔薇マークキャンペーンの資料米国のオカシオ・コルテス現象について (pdf)米国の「反緊縮ポピュリズム」の動きとして、MMTを理論の支柱にせよというオカシオ・コルテス下院議員の主張を紹介したものである。

 ではでは。

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「脱成長」でやっぱり正しい!?

 ようやく「成長」には2つのタイプがある記事のつづき…おさらいしておこう。
「僕はこの二つの経済成長の関係を、桶の中に入った水に例えたりもしています。桶の中に水(労働者)が入っているとして、その水がめいっぱい入っている(完全雇用)とみなして桶のサイズそのものを拡大しようとするのが天井の成長を重視する経済政策で、これに対して桶に水がぜんぜんはいっていないから(不完全雇用)、景気対策をして桶の中に水をもっと注ごうとするのが短期の成長を重視する経済政策です。」(p41₋42)
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 これを受けて、ブレイディ氏がこう続けている…
 「その喩だと、デフレ不況下で「経済成長はもういらない」といのは、「桶に水がはいっていないから水を注ごう」という時に、「これ以上大きな桶はいらない」と言っているような感じになりますよね。そうすると、なんだかトンチンカンな会話になっちゃう。でも、そんな状況で「経済成長はもういらない」なんて言ったら、それこそスーサイダル(自滅的)だと思います。」(p42)

 まあ、言いたいことは分かるのだが、逆に松尾氏の喩は、左派が「脱経済成長」を言っていたのはある意味、正しかったことを証明している。
 そりゃそうだろう…桶に水が足りていない(需要不足)の時に、「サプライサイド」の経済成長を求めて桶をでっかくした場合、出来上がったデカい桶には、よりちょっぴりしか水が入っていないことになる。より悲惨になっちゃうのだよ。
 デフレ不況期に、高度経済成長期と同じようなインフラ整備や原発の増設、さらには「構造改革」なんぞをやれば、よけい供給能力が上がる…だが、その供給を満たす「需要」が増えなければ、よけい不況になるというわけだ。
 だからこの「失われた20年」の間に、サプライサイドの経済成長…一般論的な開発志向の、松尾氏のいう「長期の経済成長」をもとめないことは、正しいことだったのである。

 で、左派がホントに言ってきたことは何か…それは「脱成長」ではなく、「成長の質を変える」 ことである。抜き書きすると… 

 基本的には「社会のあり方を変えて、成長の質(中身)を変えよう」ということである…例えば原子力を使って電力を作るのでは無く、自然エネルギーを使おう…ということだ。(ただし私は別の意味で自然エネルギーには反対である…分かりやすい例示として挙げている)原子力をガンガン使うシステムで「成長」するモデルがこれまで評価されていた。その指標でみると、自然エネルギーを使った場合のモデルでは成長が「緩やかに」あるいは「減少」して見える。しかしそれでも社会は運営され得るのだということだ。(ただし「自然エネルギー」に関して、今の脱原発主流は「自然エネルギーのほうが雇用も増え、経済成長する」というロジックを使っている)
 さて、少子高齢化でかつ「移民」を導入せず人口が減少する社会モデルを考えるにあたって、「社会の組みなおし」が必要になる。なぜならこれまでの社会は人口が右肩上がりであることを前提に組まれていたからだ。社会を組みなおすにあたっては、当然「リストラ」される産業・部門も出て来る…住宅建設なんか、そのいい事例だ。新規の住宅はもうガンガン建つことはなく、これまであるものをリフォーム・リユースしてゆくことが求められる。あるいはぶっ壊して「更地」にする需要だってあるだろう。こういった産業の「組みなおし」の中で「成長の質」は変わる…それだけだ。組みなおしをやっている段階で、かなり資源や労働力を使うことになるので、成長はそれなりに起こる…実は「脱成長」もそうゆうことである。産業・経済構造を変える中で、成長は起こるから、「脱成長」をやる=「衰退」し、「平等に貧しくなる」ということではない。

 社会の「組みなおし」を行うにあたって、それなりの「需要」は出来る…従って「桶の水(雇用)」もそれなりに増えるのだ。

 もちろん、旧来型の「成長」を求めて、例えば新幹線やリニア、高速道路や架橋(「忖度道路」と呼ばれる下関北九州道路なんかもそう)をガンガン整備する方法でも、それなりに雇用は生む…桶の水は増えるだろう。だが、それは持続可能ではないですよ…と言って来たわけだ。
 もっとも、松尾氏らは著書で旧来型の「成長」は求めず、カネを使うところを変えよう❗と言っている。だから本質的なところでは、主張は変わらないですよ…ということが言いたいのである。

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運動なきところに、勝てる候補者なし!

 昨日行われた統一地方選挙前半戦、特に大阪都構想をめぐるw選挙では、残念なことに吉村・松井ら維新2人組が大勝した。午後8時過ぎぐらいには当確が出た、圧倒的な強さだった。
 両者が勝手な理屈をつけて知事・市長職を辞任し、W選挙に打って出た際のマスコミ論調も、この両者に批判的ではあった。自民党が主体に有力とみられる対抗馬を出したが、「反維新」「反都構想」側は及ばなかった。

 ここでいまいちど、「反維新」「反都構想」を掲げてきた部分の弱さをきちんと認識し、分析しておく必要があるだろう。
 果たしてここっちの運動の側は、なぜ「反維新」「反都構想」なのかということを、人びとに分かりやすく、また粘り強く訴えることができていただろうか?
 薔薇マークキャンペーンの地方経済政策マニュフェストpdf のような分析と、これの分かりやすい説明資料が出来ていただろうか?

 私も「反維新」「反都構想」運動を積極的に担っていたわけではないので、何もえらそうなことは言えないのだが…

 W選挙になると決まった時…というより、維新の両者は前々から「法定協議会が頓挫すればW選挙だ」とぶち上げていた…にもかかわらず、有力な対立候補も出せず、自民党が推す候補者をある意味「仕方なく」支持せざるを得なかったことも問題だ。「普段の運動」の中で、対立候補者になり得る人や、それを支える組織的なものを育てておかなければならないのだ。

 「オール沖縄」が成立し、勝てるのは「反基地」「反辺野古」の運動がしっかりあるからだ。
 そして東京都知事で、「反石原」や「反小池」で勝てないのは、普段の運動の中から候補者を選ぶのではなく、外から見栄えのよさそうな人を連れてきてなんとかしようと考えるからである。

 「護憲」「反改憲」「反安倍」にしても、「3000万人署名」(あるいは「脱原発」でも「反基地」でもいい)などを駆使して、普段の運動をつくって、その中で候補者や支援体制を構築しておかないとダメである。

 さて、そういった中で、大阪ではまた注目される選挙がある…大阪12区(寝屋川市・四条畷市・大東市)では、現職自民党議員が亡くなったことから、補欠選挙が行われる…明日が告示日だ。
 立候補予定者は、自民党から亡くなった議員の親族にあたる者、維新の新人、元民進党で「野党共闘(共産党の応援をうける)」が嫌だからとっとと無所属になり、「希望の党」にも行った者…この3者が地元から出る。「運動が無い」ので、立憲野党からは誰も候補者がいなかった…ところに、共産党から比例で通っていた宮本たけし氏が、無所属で「落下傘的に」出ることになった。自由党が支援を表明している。

 しかし、運動がないところから出るので、まず勝てないだろう❗もっとも、彼を支えるところから運動をはじめていけばエエのだが…

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「成長」には2つのタイプがある

 「そろそろ左派は経済を語ろう」本について、いろいろ興味深い記述や指摘、ツッコミを行っていくコーナー…
_0001_2 第1章「下部構造を忘れた左翼」の中で、松尾、北田、ブレィディの3者は左派・リベラルが「経済成長」について語らない、それどころか「脱成長」を語るが、それでは現在「貧しい人」にとっては何にもならない、むしろ害毒であると説く。特に北田暁大氏は手厳しい…
「だから、ゼロ成長社会がいかに人々を苦しめるものなのかという現実的な問題をすっとばして、豊かなインテリが「もう経済成長はいらない」なんて言っても、長期不況に苦しめられてきた人にとっては、単なるお金持ちの戯言にしか映らないんじゃないかと思うんですよ。もっと厳しく言えば、古市=上野の牛丼福祉レジームは単なる「勝ち組」の思想です。それでわたしは上野千鶴子さんや内田樹さんなんかの脱成長論を批判して「脱成長派こそ勝ち組のネオリベ思想じゃないか」という文章「脱成長派は優し気な仮面を被ったトランピアンである」(̪̪『シノドス』2017年2月21日) を書いたんですけど…」(p28₋29)
 で、このへんの「混迷」について、松尾氏が分かりやすい解説をしてくれている。

 「たとえば、経済学では、普通何でも修飾語をつけないで「成長」と言ったら、ものをつくって売る側―供給能力(サプライ・サイド)―の成長のことを指す場合が多いんです。この場合は、たとえば労働者人口がどれだけ増えていくかとか、機械とか工場とかがどれだけ増えていくかという話になるので、成長の天井が上がっていくことを指しています。」(p31)すなわち「経済成長」とは供給能力の限界を克服する、「成長の天井」「経済の天井」を上げること、これを経済学では「長期の成長」と言うのだそうな。
 その「供給能力」に対して需要が少ない場合、だれも製品を買ってくれないわけだから、供給能力に達するまで生産が行われない。これが「不況」であり、生産が行われないから失業者も増え、ますます需要が少なくなる。そこでケインズの言うように政府支出を増やして需要を喚起すれば「そうやって需要が増えて、その結果、企業の人手が足りなくなって雇用も増えていくと、経済の天井(生産能力の天井)にいきつくまでは生産が増えて行きますよね。専門的に言うとGDPギャップが埋まっていくということなのですが、これが二つ目の経済成長です。」(p36)これを松尾氏は「短期の成長」と表現している。
 この「長期の成長」(「成長の天井」)と「短期の成長」ともに経済学では「経済成長」と言っているので、ややこしくなる…p38にこの関係を図示してあるが…
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 「成長の天井」は時間軸と共に右肩上がりになっているが、現実の成長は成長の天井まで伸びたり縮んだりしている。成長の天井と現実の天井との差が、「GDPギャップ」であり、需要が供給能力に対し少ないことを示している。逆に需要が増えても「成長の天井」(供給能力)に抑よって頭をおさえられるので、天井の成長率以上に経済は成長しないのである。
 で、この「短期」の成長現象が必ずしも時間的に短いと言うわけではない…「しかし、ケインズが1930年代に発見したように、社会が「不完全雇用均衡」という状態に陥ったまま、経済がずっと停滞し続けて、いつまでたっても天井にぶつからないということが起こりえます。つまり「短期」の問題が、10年、20年にもわたって続いてしまうということもあるわけです。」(p38)…これが日本の「失われた20年」にも当てはまるのだ。
 あと、「長期の成長」「成長の天井」を右肩上がりにするのが、イノベーションを起こすための文字通り「成長戦略」であり、また「構造改革」であった。古い時代の「高度経済成長」は、インフラをバンバン整備することで「成長の天井」を右肩上がりにしていったともいえる。長期の成長と短期の成長の違いを、松尾氏は「桶と水」にも例えてp41で説明している。_0001_3
 「僕はこの二つの経済成長の関係を、桶の中に入った水に例えたりもしています。桶の中に水(労働者)が入っているとして、その水がめいっぱい入っている(完全雇用)とみなして桶のサイズそのものを拡大しようとするのが天井の成長を重視する経済政策で、これに対して桶に水がぜんぜんはいっていないから(不完全雇用)、景気対策をして桶の中に水をもっと注ごうとするのが短期の成長を重視する経済政策です。」(p41₋42)

 なるほど、これで「脱成長」論者と、松尾氏らのいう「経済成長が必要」論のギャップが良く理解できる。
 これについての論評は、また後ほど… 

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関西電力への申し入れ書

 24日に高浜原発で関西電力に渡した申し入れ書を添付する。

関西電力株式会社
取締役会長 八木 誠 様
取締役社長 岩根茂樹 様
高浜発電所長 宮田賢司 様

申し入れ書

 原発は、人類の手に負える装置ではなく、一たび重大事故を起こせば、職場を奪い、農地を奪い、海を奪い、人の命と尊厳を蹂躙する装置であることを、チェルノブイリ、福島の原発事故が大きな犠牲の上に教えています。福島原発事故から8年が経ちましたが、今でも、事故炉内部の様子はほとんど分からず、汚染水はたまり続けています。多くの被害者が、苦難の生活を強いられています。
Dsc02226 一方、福島事故以降の経験によって、原発は無くても電気は足り、何の支障もないことが実証されています。 
 そのため、脱原発、反原発は圧倒的な民意となっています。この民意のゆえに、今、原発に固執するあなた方・電力会社からの顧客離れが進んでいます。関西電力から離れた小口顧客は2割にもなろうとしています。
 脱原発、反原発は、原発立地・若狭でも、多くの住民の願いであり、民意です。私たちは、毎月4日間かけて、若狭の隅から隅まで歩きながら反原発を訴えるアメーバデモと呼ぶ行動を、5年近く継続し、多数の住民から、直接お話をうかがってきましたが、その中でも、原発推進の声はほとんど聞かれていません。とくに、老朽原発の稼働に賛成する声は皆無と言っても良いほどです。
 ところで、福島原発事故の大きな犠牲と、私たちの行動も含めた広範な反原発の声のために、民意を無視し続ける電力会社といえども、原発を稼働させようとするとき、多額の費用を要する安全対策を施さざるを得なくなり、安全対策費がとくにかさむ老朽な原発の廃炉を決意せざるを得なくなっています。関西電力も、2015年に、運転開始44年、42年を超えた美浜原発1、2号機を、1昨年12月には運転開始後38年になった大飯原発1、2号機の廃炉を決定しましたが、全国では、福島事故後、運転開始後40年を超えたあるいは40年近くになる老朽原発11基を含む21基の商用原発の廃炉が決定されています。原発は、経済的にも成り立たないことを実証しています。
 それでも、関西電力は、原子力規制委員長までもが「安全を保障するものではない」と言う”新規制基準”に適合したことを拠り所にして、今年で45年、44年超えとなる老朽原発・高浜1、2号機、43年超えとなる美浜3号機まで再稼働させようとしています。脱原発、反原発の民意を蹂躙し、関西電力の目先の利己的利益のために、人の命と尊厳をないがしろにするものです。また、脱原発に向かう、世界の潮流に逆らうものです。
 原発は事故の確率の高い装置ですが、老朽化すると、重大事故の確率が急増します。関西電力も良くご存じのように、次のような理由によります。
・高温、高圧、高放射線に長年さらされた圧力容器、配管等では、脆化、金属疲労、腐食が進んでいます。中でも、交換することが出来ない圧力容器や配管の老朽化は深刻です。
・老朽原発には、建設時には適当とされたが、現在の基準では不適当と考えられる部分が多数ありますが、全てが見直され、改善されているとは言えません。例えば、地震の大きさを過小評価していた時代に作られた構造物、配管の中には交換不可能なもの(圧力容器など)があります。
 関西電力は、老朽原発を今年9月から来年にかけて再稼働させようとしていましたが、2月4日、半年から9ヶ月遅れると発表しました。一昨年1月のクレーン倒壊事故などのトラブルによる工事の遅延のためとしています。高浜原発1号機では、去る3月6日にも火災を発生させています。まともに工事予定を立てることもできず、トラブル続きの関西電力が老朽原発を安全に運転できるとは考えられません。
 なお、原子力規制委員会が「新規制基準」に適合した原発が、再稼働時に次々にトラブルを起こしている事実は、「新規制基準」は安全を保障するものとは程遠く、規制委員会の審査は、いい加減極まりないことを示しています。
 一方、原発稼働によって蓄積する使用済み核燃料の行き場はありません。現在、福井県にある原発が持つ使用済み核燃料貯蔵施設の7割近くが使用済み核燃料で埋まっています。高浜、大飯の原発を運転し続ければ、6年程度で貯蔵限度を越えます。
 この使用済み核燃料の中間貯蔵施設について、開催電力は、福井県知事に、昨年内に県外に移すと約束しながら昨年末12月26日になって、候補地提示を断念したことを知事に伝え、謝罪しました。この約束は、大飯原発3、4号機の再稼働への知事の同意を取り付けるための、何の成算もない空約束で、県民を愚弄するものであることは明らかです。関西電力には、県民および全国民に謝罪し、行き場のない使用済み燃料を生み出す原発の全廃を決断することを求めます。
 福島原発事故は、原発が重大事故を起こせば、被害は広域かつ長期におよぶことを教えました。高浜原発などの若狭の原発が重大事故を起こせば、若狭はもとより、関西、中部も高濃度放射性物質で汚染される可能性があります。京都駅は高浜原発から60数㎞、大阪駅は80数㎞の位置にあります。250万人が住む京都府、150万人が住む滋賀県のほぼ全域が100㎞圏内にあり、この全域からの避難が不可能であることは自明です。琵琶湖の汚染は、1,450万人の飲用水を奪います。
 いま、関西電力は、危険極まりない老朽原発まで稼働させようとしています。私たちは、重大事故を起こせば極めて広範な地域の住民に塗炭の苦しみを与え、使用済み核燃料や核廃棄物などの人類の手におえない負の遺産を子々孫々にまで残す原発の稼働を座視することはできません。断固として、老朽高浜原発1、2号機を含む全原発の廃炉を申し入れます。
 なお、貴社が、私たちの再三の危険性指摘を無視して原発を稼働し続けて、重大事故が起こった場合、それは貴職らの故意による犯罪であり、許されるものではないことを申し添えておきます。

2019年3月24日
・3月24日高浜発電所前抗議行動参加者一同
・若狭の原発を考える会
(連絡先:木原壯林 090₋1965₋7102)

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「そろそろ左派は経済を語ろう レフト3.0の政治経済学」

 薔薇マークキャンペーンの理論的支柱でもある、「そろそろ左派は経済を語ろう レフト3.0の経済学」(ブレイディみかこ×松尾匡×北田暁大の対談本 亜紀書房2018年5月)を読んでみた。松尾匡ら著者らが主張していることは、「不況期は財政出動によって需要を喚起せよ」「そのための財源は“金融緩和”(国債を中央銀行が引き受ける)でねん出する」というものである。これは「ケインジアン」の主張で、社会主義・共産主義を目指す「左翼」からみれば「異端」なのだが、米国や欧州の「左派」…アメリカ共和党のサンダースやイギリス労働党コービン、スペインの左派政党「ポデモス」なんか(「緊縮」を掲げる新自由主義者からは「極左」扱いされる)…の理論はむしろこれである。彼らが選挙で一定の支持を受け、政権担当も視野に入れられる中、日本の「左派」は何やっとるの?というのも本書の主張である。
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 その前に、本書における「レフト3.0」とは何か?マルクス=レーニン主義や「社会民主主義」を掲げ、国家行政主導で「大きな政府」を志向し、「労働者階級」を基盤としている旧来の共産党・社会党のような左翼勢力が「レフト1.0」。それに対する批判…中央集権的な組織の在り方、マイノリティーやジェンダーの問題への無頓着さ等…を経て、80年代から出てきた個人主義的で多様な運動、あり方を尊重する現代左派が「レフト2.0」だ。「レフト2.0」は「小さな政府」を志向し、労働者階級には基盤を置かず、幅広い「市民」に基盤を置く。急進的なエコロジー運動から米民主党「リベラル」、英国労働党ブレアの「第三の道」を掲げるような勢力も「レフト2.0」に含まれる。ちなみに60年代後半から70年代の「新左翼運動」は「レフト1.5」ぐらいで、その問題提起は1.0から2.0への転換を促した。この「レフト2.0」が「アイデンティティポリティクス(マイノリティーの解放を求める市民運動)」などに特化するようになって「下部構造(経済)」を忘れるようになる一方で、「小さな政府」志向は新自由主義とも親和性があった。そのため新自由主義が取る「緊縮」政策を根本から批判できず、経済成長や雇用拡大にも無頓着で格差拡大・貧困が増大することに対応できなかった。「レフト2.0」を支えてきた中間層が没落した一方で、マジョリティーである労働者階級がないがしろにされていることの反省から、欧米で出てきた「反緊縮運動」(一見「レフト1.0」への回帰に見える)が、「レフト1.0」に対する批判を乗り越えた上で、新たにバージョンアップを目指すのが「レフト3.0」と位置付けられるのだそうな。

 で、本書は「ケインズ政策のススメ」となっている。供給サイドから経済を考えると、不況などで経済が停滞していても「生産性向上」(当然、「リストラ」とかが起こる)などの経済政策が取られる。しかしケインズは「需要」面から経済をみた人である。総需要はC+I+G+(Ex-In)で表される…Cは消費、Iは投資、Gは政府支出、Exは輸出、Inは輸入である。「ケインズの言うように、不況の原因は総需要が不足している状態だとすると、その解決策は政府・中央銀行が金融緩和(不況の際に中央銀行が国債を買い上げたり、金利を引き下げたりして、世の中に出回るお金をふやすこと)をして、企業が設備投資(I)や労働者の雇用のためのお金を借りやすくしたり、公共事業などで政府支出(G)を増やして社会全体の需要を喚起すべきだということになります。金融緩和で金利が下がれば、その分自国通貨の価値が減価されますから、輸出(Ex)も増加します。そうして次第に景気が回復して、失業が減っていけば人びとの消費(C)も大きくなる。このように市場に介入して、人びとのものを買う力、総需要を引き上げてゆく経済政策が、いわゆる「ケインズ主義政策」です。」(p36)
 経済には供給能力という「天井」があるのだが、その天井まで需要がないと不況になる…だからその天井まで需要を増やしてやる。そのため政府支出を行なうが、財源として金融緩和で無からお金をつくる政策をとっても、供給の天井まで需要が届かないかぎり、インフレにはならない。「ハイパーインフレ」なんぞは、戦争等で生産が破壊されている時や、外貨不足で輸入が出来ない「供給力」不足の時に起こっている。従ってインフレの兆し(例えば物価上昇率2%)が見えた段階で、金融緩和をやめれば問題がない。ただ金融緩和で「無からつくったお金」を子育て支援や福祉などの将来減らすことが出来ないことに使うシステムを作ってしまうと、デフレ脱却した後に持続しない。そこで所得税の累進性強化や法人税増税などの富裕層から税金を取る仕組みを同時につくっておく、デフレ時の増税分は「つくったお金」で補助金や給付金等にして還付し、デフレ脱却時にそれらを廃止するという政策をとればよい。これが松尾氏の提唱する経済政策である。

 松尾氏は「数理マルクス経済」というのをやってきたマルクス経済学の人なのだが、本書ではほぼケインズ政策が展開されている。よって松尾氏がケインジアンに「転向」していると考えれば、腹も立たないだろう🍺

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労働組合への弾圧は民主主義の破壊

 3月10日、大阪市西区民センターで行われた、「労働組合つぶしの大弾圧を許さない3・10集会」に参加してきた。主催者あいさつ、現状報告や被弾圧者からのアピールの後、労働研究家の熊沢誠さん の講演があったのだが、その内容が良かったので報告する。
 まず熊沢さんは、今回の弾圧は戦後未曽有の、戦前の「特高」のような弾圧だと批判された。その上で1870寝年代から1900年代にかけて、イギリスにおける労働組合の「承認」をめぐる過程で確立された争議の「刑事免責」「民事免責」に逆行するものであると述べられた。労働組合を「承認する」ということは、労働組合によって起こされた正当な争議による損害については、刑事・民事を問わず免責されるということが核心なのであって、それゆえ憲法28条や労働組合法に謳われているのである。それが侵されるのは、ひとえに日本ではストライキが皆無になっているから…争議による労働損失日数(ストライキをした人数×日数)は、日本では年に役1.5万日(1万人の従業員が1日ストライキをする)だが、イギリスではその11倍、ドイツでは73倍も起こっている。(イギリスやドイツのほうが労働者の人口は少ない)労組の影響力が無くなっていることが問題である。
 もしこの弾圧において裁判で負ければ、関西生コン支部たやったストライキは「不当な争議行為」となって、損害賠償が請求されるかもしれない。ストライキを非合法の犯罪とみなす社会が来ると警告された。
 なぜ関西生コン支部が弾圧されるのか?それは関生が「まっとうな労働組合」だからだ(関生はこれを誇りに思って良い)…関生は正社員も非正規社員も含まれる「単組」で、産別労働組合である。これが労働組合の世界標準だ。そして独自の産業政策を持っている。川上にセメント産業、川下にゼネコンからの収奪を受けながら、労働条件の向上のため、中小企業の経営を安定させる協同組合運動を進めている…そういう組合だから資本からみるとつぶさないといけない。ゼネコンは裏に隠れているが、きっとお金を出して組合つぶしを支援しているハズだと述べられた。
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 そしてここから重要なところであるが、民主主義とは決定権、もしくは決定参加権がその神髄である。選挙権や立候補する権利だけでなく、普通の労働者にとっては労働条件の決定に参加することが、「産業民主主義の決定的な意義」であり、そのために「労働三権」がある。「産業民主主義」を大切にしない「狭義の民主主義」だけでは、それは虚妄である。だから「まっとうな労働運動」への弾圧は民主主義の破壊であり、ファシズムへの道であると喝破された。(大切なことだから強調しました)
 そして日本の野党や労働団体は、この大切さが本当に分かっているのか?今この会場に700人の(実際は520名)の労働者が集まっているが、狭い仲間の組合員だけである。日本の世論・護憲勢力はダメだ!本来ならば関西生コン支部への弾圧は、国会で問題にすべきことなのだ…と厳しい批判を述べられたのである。
 なるほど、自分もそうであるが、産業における民主主義、自分たちの労働条件は、自分たちで決める決定権・民主主義のために、労働三権があるという思想は、忘れられがちである。もう一度書きましょう…労働組合への弾圧は、民主主義の破壊である!

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「三里塚農地裁判は、いま」学習会

 25日の夜、エルおおさかで行われた2・25「三里塚農地裁判は、いま」学習会に参加してきた。
 はじめにプログラムにはないが、関西生コン支部の武書記長があいさつされた。この間の弾圧に関する解説と報告の後、3月10日に西区民センターで行われる反弾圧集会や、5月15日、大阪府警における事件の第2回公判の傍聴参加を呼び掛けた。
 主催者あいさつでは、関実の松原さんが耕作権裁判の傍聴に行った話の他、関生弾圧と関連して「ストライキしたら…」本 のおススメ、紹介があった。

 主題は三里塚芝山連合空港反対同盟顧問弁護団の、大口明彦さんのお話「請求異議裁判一審判決と今後」である。
 請求異議裁判とは、異議訴訟制度に基づいて行われている。異議訴訟制度とは、強制執行力を有する債務名義(確定判決・和議調書・公正証書など)に対して、異議ある債務者が正当に争い、不等な強制執行を封ずる制度である。そのうち請求異議の訴えとして民事執行法第35条に①請求権の存在・内容や判決以外の債務名義の成立により異議のある債務者は、その債務名義による強制執行の不許を求めて提起できる、②確定判決に対する異議は、口頭弁論終結後に生じた事由に限る、とある。
 で、本「請求異議裁判」は、
(1)不執行の合意もしくは強制執行権の放棄(成田シンポ・円卓会議)
(2)信義則違背・権利濫用
 ①シンポ・円卓会議
 ②小泉英政氏との和解
 ③過酷執行の違憲性
 ④深刻な現日本の農業問題に於ける本件執行の問題性
(3)離作補償の不履行(補償を請求しているわけでなないが…)

で、市東さんの農地を「強制執行」して取り上げるの請求に対し、異議を申し立てた裁判であるということだ。
 これに対し、12月20日の千葉地裁は、(1)と(2)の①②については、民事執行法35条2項を単純適用し、(2)③④についてはまるっきり無視した。成田シンポや円卓会議は30年近くも前の話しで、異議請求の理由にはならないとしたのだ。ただ、小泉英政氏との最終和解は口頭弁論後であるし、そもそも今回はNAA側の「権利濫用」であるから、その場合は35条2項は適用されない…そのような法学上の多数意見や判例もある…ということだそうな。だから控訴審では35条2項適用の誤謬を追及することが中心課題になるとのことである。
 こう書いてみるとけっこうめんどくさいが、大口弁護士は結構分かりやすく説明してくれた。

 あと、今三里塚で闘われている5つの裁判闘争の概要を説明され、特に「耕作権裁判」では12年間も「1審」を続けている…NAA側が文書・証拠を出さないから、延々とやり続けざるを得ない。他方、元空港公団がつくった資料から偶然、南台の土地は市東さんが耕していたことを公団も認識していたことが判明し、これで航空写真による「空中戦」状態から抜け出すことが出来たという情勢になっていることが報告された。
 ただ三里塚の裁判では「正しいことを主張したから勝てる」というものではない。ある裁判官は「成田なんだから(だから「憲法違反、法律違反も仕方がない)」という言葉を発したが、こうゆう裁判官を相手にしているからだ。では裁判が無駄かというと、ここで「正義」が歴史的事実として明らかになる、ここに真実があることを社会的に明らかにしていくという意義がある。
 それと、相手が裁判に勝ったからといって、すぐに土地を取られるというわけでもない…裁判の過程でNAA側は、市東さんの土地について、空港の機能上、絶対に必要なものではないと明らかにした…当初の計画がそうなっているから、買収して「完全なもの」にしておきたいというくらいのものらしい…裁判を通して実質的な「勝ち」を求めることが大切で、裁判そのものの勝ち負けにこだわるわけではないと説明された。
 一方、成田空港の24時間化、第三滑走路問題との関連で、当初計画の2倍の規模になり、騒音被害をうける住民の数も増える。厚木空港訴訟で騒音による「健康被害」が認められる画期的な判決が出たが、成田の年間の騒音の総量は、厚木の10倍という話しもある。こういったことをふまえ、成田闘争の一層の普遍化が求められている…とまとめられた。
 なお「請求権裁判」の控訴審を闘うため、計350万円もの担保金が必要となっていることから、400万円カンパ運動が取り組まれている…
【カンパの送り先】
<郵便振替>
00130-0-562987
<銀行口座>
みずほ銀行成田支店
普通預金2074135
イトウノブハル


その後、質疑応答・まとめの後「懇親会」という流れなので、20:30までには学習会は終了した。

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天皇制の是非を問う国民投票

 チェックしているブログ、「アリの一言」さんが、ブログ記事で興味深い提案をされている。
「新天皇」の信任を問う国民投票を
(前略)しかし、ちょっと立ち止まって考えてみましょう。「象徴天皇制」は言うまでもなく日本国憲法に定められている制度です。その憲法第1条はこう規定しています。
 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく
 天皇の「地位」は無条件なものではありません。「主権の存する日本国民の総意に基づく」必要があるのです。そうであれば、天皇になろうとしている人物(今回の場合は徳仁皇太子)が新たに天皇の地位につくには、「国民の総意(意思)」を確かめる必要があるのではないでしょうか。それなしに自動的に天皇になるのは憲法1条に反すると言わねばなりません。
(中略)
 ともかく、「新天皇」には「主権者・国民」の信任が必要です。桑原武夫氏は「衆議院の議決を経て」と言っていましたが、「翼賛議会」(とりわけ天皇制に関して)の「議決」が「国民」の民意を示すものとは言えないでしょう。
 天皇制の是非についての議論を大いに広め、「新天皇」の信任を問う国民投票を実施すべきです。


 まぁ今のところ単純に「議論」を大いに広めても、おそらく圧倒的多数が天皇制を「是」とするであろう。「多数決原理」ではおそらく天皇制は揺るぐまい…
 だが、もう一度憲法の条文を見てみよう…主権の存する国民の総意…とある。総意って何? (辞書的な「総意」 ) 要するに「構成員全体の意思」という意味である…これって、単なる「多数決原理」で決まるのか

 気になったのは、「総有」(辞書的な「総有」 )という言葉を思い出したからである。入会権などの共同体が有する所有権的なもので、共同体の各構成員に持ち分がない。したがってその「処分」についても、共同体構成員の「全会一致」的な意思がないと出来ないものだ。三里塚でB滑走路下にある「東峰神社」が「総有」なので、一部地権者の合意だけでは撤去することも出来なかったという事例がある。
 
 こうゆうことから考えると、「総意」とは徹底的な議論を行った上で、ほぼ「全員が一致する」か、反対する人も「まぁしゃぁないなぁ~」と認めるくらいの異論しか出ないものでないといけないということになりそうだ。

 では日本国憲法第一条における「天皇制の存続」について、そのような「総意」は示されたのか徹底的な議論が行われたのか
 憲法論的には、憲法を制定する過程で「議論された」ことになっているのだろう…でも本当か?当時「君主制反対!」として天皇制の廃絶を強く求める日本共産党の議員もいたハズだ。そいつらはホントに納得したのか
 で、こうも考えられる…「国民投票」で一定数の、いや一人でも「天皇いらない」が示されれば…「天皇の地位」は国民の総意ではないことになる。反対者がいれば、天皇制そのものが憲法違反になるのである。

 もっと言うと、天皇制はそれに反対する人に対する暴力によって支えられている。その根拠として、日本国民の「総意」によるものだから、反対者が存在してはイケナイのだ

 とすれば、天皇制をめぐる「国民投票」は、必ず負けるから意味がない…というものでもない。むしろ「総意」というまやかしを具象化する手段として、有意義な方法であろう。

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